144 訪問(サイラス視点)
サロンルームを出るとサイラスは馬車乗り場へと向かった。
学院からの報告書には午後の授業は中止にして生徒達は帰宅させたと書かれていた。
恐らくエドワード王子も既に王宮に帰り着いていることだろう。
本来ならば先触れを出して訪問するべきだが、そんな悠長な事は言っていられなかった。
(ダニエルから苦情が来るだろうが致し方ない。後で詫びを入れるとしよう)
王宮で働いているダニエルの顔を思い浮かべながら、サイラスは馬車を出させた。
「エルガー家まで行ってくれ」
「かしこまりました」
御者は余計な口は挟まずに馬車を走らせた。
サイラスは馬車に揺られながら、エルガー夫妻の事を考えていた。
(あの二人は養子に迎えたエドアルド様が王子だとは知らないのだろう。もっとも知っていてもエドアルド様を使ってどうこうするような二人じゃないからな。あそこまで地位に固執しない貴族も珍しいよ)
そんな二人に育てられたから、リリベットに『迷惑です』と告げたのだろうとサイラスは考えた。
(学院に入って貴族の階級の差を目の当たりにした事で、欲が出ているかもしれない。王子ともなれば生活も一変するからな。それに実の両親と一緒に暮らしたいと考えているかもしれないし…)
あれこれとサイラスが考えを巡らせているうちに馬車はエルガー家の門へと辿り着いた。
アルドリッジ公爵家の家紋が付いた馬車が止まると門番達は慌てふためいた。
「こ、これはアルドリッジ公爵様。ただいまお取り次ぎいたしますのでしばらくお待ちください!」
サイラスが馬車の中から見ていると、門番の一人が通信機で屋敷と連絡を取っていた。
すぐに門が開けられ馬車は屋敷の敷地内を走り出す。
エルガー家は普通の男爵家では考えられない程の広大な土地を有している。
(本来ならば侯爵になっていてもおかしくないはずなんだが…)
そのうちに馬車は屋敷の前に到着した。
御者が開けてくれた車扉を出ると、セレナと使用人達がズラリと並んでサイラスを出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました、サイラス様。一体どういったご要件でしょうか?」
少しオロオロとした様子のセレナにサイラスは出来るだけ穏やかな口調で話し出す。
「突然訪問してすまない。本日、学院の方で魔獣が出たらしくてね。その事でご子息のエドアルド君に話を伺いたいんだが、取り次いでもらえるかな?」
だが、セレナはサイラスの言葉に驚きの声を上げる。
「学院に魔獣!? あの子ったら『午後の授業は中止になった』としか言わなかったわ」
「恐らく心配をかけたくなかったんでしょう。幸い誰も怪我をした者はいなかったそうだからね」
「でも、どうしてエドアルドに会いに来られたんですか?」
「いや、エドアルド君だけじゃなくて他にも話を聞くつもりだからね」
サイラスは咄嗟にそんな事を口に出した。
どうせ息子のブライアンにも話を聞くのだからあながち嘘ではない。
「そうですか。かしこまりました。それではこちらへどうぞ。…エドアルドに応接室に来るように言ってちょうだい」
セレナに言いつけられて一人の侍女がどこかに向かっていった。
サイラスはそれを横目で見ながらセレナと共に屋敷の中を歩いていく。
応接室に通されサイラスとセレナが向かい合って座る。
侍女がお茶を入れている間、セレナはサイラスに話しかけようかどうしようか迷っているようだった。
お茶を一口飲んだところで、ようやく意を決したようにセレナが口を開いた。
「あの…どうして学院に魔獣が出たんでしょうか? あそこは結界が張ってあって魔獣は入ってこれないはずですが…」
「それはまだ調査中です」
「そうですか…」
不安そうな顔のセレナが口をつぐんだところでノックが聞こえた。
「どうぞ」
セレナが声をかけると扉が開いて一人の少年が姿を見せた。
サイラスはその姿を見て、一瞬エドワード王子が来たのかと錯覚した。
だが、その顔には四角い黒縁眼鏡が存在を主張していたのだった。




