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三谷永太一の物語 その12

 江連さんとおじさんを繋ぐ鍵である『痩せた両腕』。問題は、この小説をおじさんが持っていた理由だ。

試し読みを任されたとは素直に考えにくい。そもそも、おじさんが競馬新聞以外の活字を読んでいるところなんて目にしたことがない。


 だとすれば、おじさんが彼女から小説を盗んだ? そう考えると、「なんのために?」という疑問が残る。それに、彼女がデータで小説を持っている以上、たとえ原稿を盗まれたところでたいした痛手にならない。


 あの原稿自体に価値がある? たとえば、有名な小説家の生原稿、とか? ……いや。アレが有名小説家の文章だとは思えない。仮にそうだとしても、あの出来では価値が付かないだろう。


 考えてもキリがない。こうなれば、頼れるのは足と度胸だけだ。


 翌日。1月31日の午前十時。俺はおじさんが勤めていたという半グレ系の会社、『樹星社』に向かっていた。なにかヒントがあるかもしれないという希望的観測が半分を占めるが、心当たりといえばここくらいしかない。


 会社は府中駅から歩いて5分、小さなビルの二階にあった。チャイムを鳴らしてみたが返事はない。扉を叩いてみても同じ。もしやと思いドアノブを捻ってみれば、鍵がかかっていなかったらしく扉はスゥと開いてしまった。


 まずい――と思って慌てたが、オフィスには誰もいない。恐る恐る「すいません」と呼びかけてみたが返事もない。全員そろって営業か何かで出払っているのだろうか。いや、それにしたって留守番くらいは置いていくだろう。


 もう一度「すいません」と呼びかけながら中へ足を踏み入れる。


 向かい合わせに並んだ事務机が六台、窓際には一台。ヤニで汚れた壁面を隠すように置かれているのは、雑多にファイルが詰められた書庫がふたつ。壁に掛けられたテレビは電源が付けられたままで、NHKのニュースを流したままにしてある。所用で出ていったばかりで、すぐに戻ってくるのかと思ったが、入ってすぐ側の机に置いてあるコーヒーが冷めきっているところを見るにそういうわけでもないのだろう。


 夜逃げでもしたんだろうか。なんてことを考えながらオフィス内を見て周っていると、おじさんの顔写真が貼られた社員証が机に置かれているのを発見した。


 おじさんは本当にここの社員だったのか。ショッキングであったが、落ち込んではいられない。手掛かりとなるものを探すために机の引き出しを開いてみれば、クリップでまとめられた原稿用紙の束が入っていた。束は複数あったが、どうやらそれらのどれもが小説のようだ。この中に江連さんの作品は無いようではある。


 しかし、これだけの作品を集めておじさんは何をやっていたんだ? この会社は出版社ではないようだし、友人から試読を頼まれたにしたって仕事場に置いておく必要性はないだろう。だとすれば、どうして――。


 その時、オフィスの扉が開かれ誰かが入ってくる気配がした。机の影に隠れようとしたがもう遅い。「誰だ」という野太い声が背中に刺さる。俺は両手を挙げて降参の意思を示しながらゆっくりと顔を上げる。

そこにいたのは、黒い背広を着込んだ背の高い男だった。体格はラグビー選手のようにガッチリしているのに加えて、いかにもな悪人面は威圧感がある。逃げようにも出口は無い。窓から飛び降りるわけにもいかない。どうする。


「なんだ、お前は。ここに何の用だ」


 男は大きな黒目をこちらに向けながら、右手に持っていた缶ビールを口につける。ここまで来て嘘をついても仕方ない。覚悟を決めて俺は正直に話すことにした。


「ここに俺のおじが勤めていました。名前は石田荘慈です。何か知りませんか?」

「石田? 石田って、あの石田か」


 あからさまにこちらを馬鹿にするよう鼻で笑った男は、手近にあるオフィスチェアにどっかり腰を下ろしてテレビを眺め始める。


「ニュース見てないのか。死んだだろ」

「おじが死んだのは知ってます。お葬式にも出ました。俺が知りたいのは、おじがここで何をしていたのかです」


 すると、男はふとこちらに視線を向けた。肌がざわつく殺気が滲む、刺すような目だった。


「知らない方がいいこともあるぜ。どうせ、幻滅することになるんだ」

「関係ありません。俺は事実を知りたいんです」


 ふん、と今度は不服そうに鼻を鳴らした男は、テレビを眺めたまま語る。


「いまとなっちゃ廃業してるが、ここはカネのためならなんでもやる会社だった。で、俺はここの社長の坂田だ。元って頭につくけどな。石田の野郎は一番の下っ端だったが、あいつにはカネ稼ぎの才能があった。人を騙すことに罪悪感を覚えない人間だったんだ。あいつのシノギはお前の持ってるソレだ。素人どもに声かけて作品を集めて、書籍化しないかなんて文句で自費出版のためのカネを出させる。率直に言や出版詐欺ってヤツだ。才能が無い奴らに夢を売る仕事ってのは案外儲かるんだな。あいつに教えて貰うまで、そんなこと知らなかったよ」


 おじさんは本当に許されないことをしていたんだというどうしようもない事実。それを突きつけられた俺の視界は、顎に一発貰ったようにぐらりと揺れた。おじさんにたいして抱いていたある種の憧れに似た感情は、陶器を落としたようにいとも容易く砕け散った。


「ショックだったろ。顔色悪いぜ。やっぱり聞かない方がよかったんじゃないか?」

「……いえ。お話聞けてよかったです。ありがとうございました」


 ふらついた足取りでオフィスを出ていこうとする俺の背に、男は同情的に語った。


「はっきり言ってあいつはマトモな人間じゃなかったがよ、それでも、率先して殺されるほどじゃなかったと思うぜ。殺されるべきヤツらなんて世界中にごまんといるのに、どうしてわざわざあいつだったんだろうな」



 家に帰った俺は、例の男へ電話をかけた。ワンコール以内に通話は繋がり、『おう。どした』と男の低い声が返ってくる。


「わかりましたよ。ふたりと、あの小説との関係が」


 俺はおじさんの犯した罪について、すべてを話した。報告のためというよりもむしろ、半分以上は自分の気持ちに整理をつけるための行為だったと思う。


 話が終わるまでじっと黙っていた男は、俺が語り終えた後、数秒の沈黙を挟んで『なるほど』と吐き捨てるように呟いた。


『夢追い人を騙した報いだったってわけか。自業自得だな。ああいう手合いが、キレた時は一番怖いんだ』

「でも、いくらなんでも殺されるまでのことはしてなかったと思います」

『そりゃ身内びいきってヤツだ。人を裏切ったんだぜ。しかも、夢を裏切るなんて最悪な形で。殺されたって文句は言えねえよ』


 返す言葉が見つからなかった。俺には罪に対して潔癖なところがあるのかもしれない。


『それよりどうする。真実を知った上でも、俺に協力するつもりはあるのか?』


「こうなれば、おじさんがどうこうは関係ありません。ただ、人を殺した人がこのまま野放しにされるなんてあり得ない。それだけです」

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