三谷永太一の物語 その10
ウルトラフォースが人を殺した。落雷のようなニュースを耳にした時、人々は耳を疑ったことだろう。
スーパーヒーローである彼は清廉潔白。常に国民の見本になるような人物だった。弱い人に手を差し伸べ、強い人に迎合するようなことはない。どんな凶悪な犯罪者でも必ず生きたまま捕まえ、そこから先を法の手に委ねていた。
――彼が殺人事件を起こしていた? どうせ誤報に決まってる。
日本国民の誰もがきっとそう考えていたはずだ。俺だって同じように考えていた。
しかし、そんな考えはいとも容易く壊された。ウルトラフォースが被害者の――おじさんの首を片手で掴んで持ち上げながら、両目から熱光線を放ち胸を貫くという、あまりにショッキングな犯行時の映像が何者かによってネットにばら撒かれたからである。
やはりおじさんは自殺したわけではなかった。犯人の正体は俺の想像を遥かに超えていたが。
いくら犯人を憎もうとも、既に死んでしまっている以上どうにもならない。しかし、どうしてウルトラフォースはおじさんを殺したのだろうか。もっと言えば、おじさんは殺されるだけの〝何か〟をしたのだろうか。わからない。けど、わからなくちゃいけないんだと思う。
衝撃的なニュースの来訪から3日が経った1月30日の11時。リビングでひとり遅めの朝食を取っていると、俺宛てに宅配でダンボール箱入りの荷物が届いた。受け取った瞬間、血の気が引いた。差出人が『石田荘慈』となっていたからである。
力任せにテープを破って箱を開ければ、中には梱包材に包まれたスマートフォンが入っている。電源を入れてみるとロックはかかっておらず、またアプリの類は一切入っていない。残っているのは一件の通話履歴のみだ。
履歴に残っていた電話番号を恐る恐るタップして、スマートフォンを耳に当てる。無機質なコール音が数度鳴った後、『もしもし』という低い男の声が聞こえてきた。心臓が爆発しそうになるほど跳ね上がる。見えない糸で首を絞められたように息が詰まる。
「もしもし」と声を絞り出すことができたのは、通話が繋がって十秒ほど経った後のことだったと思う。
『なんだ。いたずら電話かと思ったよ』と低い声の男はせせら笑う。『そうビビるなよ。送ってやったスマホからかけてきたんだろ? 大丈夫だ、わかってる』
「……あなたは、何者なんですか。どうして俺にあのスマホを送ってきたんですか」
『何者……っていうのは答えられないが、お前の協力者であることは間違いない』
「協力者? いったい、なにが目的だっていうんですか」
『広義的に言えばお前と同じだ』
「意味が分かりませんよ、それじゃ」
『石田荘慈の死を追ってるんだろ? 面白いものを見つけたって言えば、興味湧くか?』
また心臓が跳ねた。
名前もわからないこの男を信じることなんてできるわけがない。だが、この男はおじさんの死について間違いなく何かを知っている。じゃなきゃ俺に接触なんてしてこないはずだ。だとしたら、俺は男の言うことを信じるしかない。
「……興味はあります」
『だとすりゃ話は早い。口頭で住所を伝えるから、いますぐそこまで来い』
いかにも怪しげな男の声を、俺は黙って聞いていた。
〇
東京都練馬区上石神井にあるスエヒロビル二階。そこが、男の指定した住所だった。部屋着にコートを羽織っただけの格好で家を飛び出せば、外は冷たい雨が降っている。傘を取りに戻るのも煩わしく感じて、俺はそのまま走り出した。
バスを乗り継いで一時間弱。目的地の細長いビルはコンクリート打ちっぱなしの造りで、窓が数える程度しかない。なんとなく秘密基地という言葉を連想させる見た目で、閑静な住宅街の中にあるには異様な存在感を放っている。
階段をのぼって二階へ行き、チャイムを押したが返事がない。思い切って扉を引いてみると、鍵が掛かっていなかったらしく、呆気なく建物の中に入ることができた。
――なんだか妙だ。だからって、ここまで来て何もせずに帰れるか。
灯りをつけるわけにもいかないので、壁に手をつきながら暗い廊下を忍び足で進んでいくと、窓のない広い部屋に出た。
上着のポケットに入れていたスマートフォンから震えを感じたのはその時のことだ。突然のことに飛び上がりそうになりながらスマホを取り出すと、着信相手は例の怪しい男だ。息を整え、通話を繋いで「もしもし」と応答すれば、男は『女みたいに臆病だな』と笑った。
「うるさい。それより、俺をここに連れてきてどうしようっていうんですか」
『その部屋をよぉく調べてみろ。きっと面白いものが見つかるぞ』
用件は済んだとばかりに男は一方的に通話を切る。「なんだよ、クソ」と口汚くぼやきつつスマートフォンのライト機能を作動させた俺は部屋を調べ始めた。
部屋は二十畳ばかりの広さがあるだろうか。中央には黒樫の引き出し付きテーブルと座り心地の良さそうな椅子が置いてある。両方ともに欧風のあつらえが施してあり、家主のセンスがうかがえる。壁面を覆うのは3メートルの天井まで届くほど背の高い本棚。夏目漱石や芥川龍之介などの文豪の全集や、今風の推理小説の単行本、自己啓発本や絵本など、幾多の本がノンジャンルで納められている。
部屋にあるのはそれくらいで、他に目につくものはない。本棚を調べ始めるとキリがないので、ひとまずテーブルから手をつける。
テーブルの上にはノートパソコンが置いてあるばかりだ。電源を入れると、パスワードを要求されることなくデスクトップまで行き着いた。画面に並ぶのはテキストエディタと検索エンジンのアイコンのふたつだけと至ってシンプル。エディタをダブルクリックすれば、編集履歴の中に『痩せた両腕』というタイトルを見つけた。
なるほど。ここは江連さんの別邸というわけか。恐らく、彼女はここで小説を書いていたのだろう。しかし、おじさんの家で見つけたあの小説は手書きだったはずだが。
続いて引き出しを開けてみると、イヤホン付きのボイスレコーダーが入っていた。ここに小説のネタを吹き込んでいたんだろうか、なんて思いながら何気なく録音されていた音声を再生してみる。
『次に目が覚めた時、あなたは目の前の男が憎くなって堪らなくなる。憎くて、憎くて、殺したくて堪らなくなる』
予想もしていなかった音声が聞こえてきて背筋が凍る思いをした俺は、この場に留まることがどうしようもなく怖くなり、弾かれるように部屋の外へと逃げ出した。




