史郎と亮とオタク少女な直美ちゃん㊺
「……意外と悪くない光景だろ?」
「ああ、そうだなあ……」
台所で並んで料理を作り始めた直美と霧島を、俺たちは食卓に腰掛けながら見守っていた。
既に時刻は夕暮れに差し掛かっていて、遊びに夢中で食事作りが少し遅れてしまっている。
だから霧島一人に任せては食事の支度が遅くなると直美はいかにも仕方なさそうに呟き、一緒に台所へと並び立って作業を始めたのだ。
尤も俺たちが手伝うと言うと狭くて邪魔なだけだと言って追い払ってくる辺り、やはり本音は違うところにあるのだろう。
(素直じゃないなぁ直美ちゃん……まあ思春期ってことを除いても今までが酷すぎたもんな……だけど霧島だけじゃなくて直美ちゃんも自分からサボらずに家事をするようになってくれたし……お互いに良い影響を与えてるって信じたいところだなぁ……)
「あ、危ないっ!! 猫の手猫の手ぇっ!! 包丁使う時は指先をこう曲げるのぉっ!!」
不器用な霧島が危険そうな手付きで包丁を動かす様を見て、直美は流石に放置できないとばかりに声を掛ける。
「う、うん……え、えっとこれで皮を剥いたら後はみじん切りにすれば……」
「そうそう、その調子……で、やればいいんじゃん……どうでもいいけど……」
「わ、わかったよ……ありがとう教えてくれて……」
その際に反射的に霧島の方へ顔を向けてしまった直美はすぐ思い出したかのようにそっぽを向いた。
それに対して霧島は直美が構ってくれるだけでも嬉しいのか、幸せそうに微笑みながらお礼を口にする。
「ふ、ふん……べ、別に……ただ不味い料理食べたくないだけだし……それだけだし……」
「うん、頑張るよ……なお……貴方に美味しいご飯作ってあげたいから……」
そっぽを向いたままブツブツと言い訳がましい言葉を呟く直美を見て霧島はやっぱり嬉しそうに微笑みながら、決意を新たに包丁を振り下ろした。
するとトントンと軽快な……はずの音がドスドスとリズム感の感じられないテンポで聞こえてくる。
「あ……っ……ん……ぅぅ……はぅ……っ」
「っっっ!?」
包丁を振り下ろすたびに何やら怯え混じりの吐息を洩らす霧島と、それを見てハラハラした様子で息を飲みながら見守っている直美。
「……なあ、どっちが年上だったっけ?」
「わかってて聞くなよ……」
「よ……とぉ……んっ……よ、よし出来たっ!! こ、これでいいよねっ!?」
「うぅ……い、良いんじゃん別に……」
霧島は何とか切り刻み終えた玉ねぎをどこか自慢げに直美へと見せつけていて、それを見た直美は物凄く複雑そうな顔をしながら頷いた。
「よぉし、じゃあ次はこれをフライパンでキツネ色になるまで炒め……き、キツネ色って黄色だよね?」
「て、てきとぉでいいからそんなの……良いから早く炒めるのぉ……」
「は、はい……全部ドバっと入れてっと……」
手元にある携帯から調理法を調べつつ、わからないことがあるたびに直美へと話しかけ指示を仰ぐ霧島。
そのたびに直美は呆れながらも返事をして……その声を聞くたびに霧島は嬉しそうに頷くのだ。
(多分わざと大げさに話しかけてるんだろうな……直美ちゃんと少しでも会話したくて……打ち解けようと頑張ってるのか、単純に直美ちゃんが相手をしてくれるのか嬉しいのかはわからないけど……両方かな?)
そんな二人の様子はやはり一般的な家庭で母が娘と料理をする姿にとても良く似ているように思われた。
尤も本来の役割が完全に逆転してしまっているのだが……まあご愛敬というものだろう。
「……なあ史郎、ちょっといいか?」
「ん? どうした亮?」
そこで二人の様子をどこか眩しそうに見守っていた亮が、向こうへと聞こえないような小さい声で語りかけてきた。
俺もまた同じような声で訊ね返しながらそちらへと振り向くと、少しだけ神妙な顔で俺と向こうへ交互に視線を投げかける亮の姿があった。
「……お前の言ってたこと俺も何となくわかってきたよ……確かにこれならお前が信じたいっていうのもわかるし、見守りたいって思う気持ちも……だけど……」
「亮?」
そこで亮は言いずらそうにしながらも俺の方へと向き直り、まっすぐこちらを見つめながら口を開いた。
「なあ史郎……今霧島は仕事を探してるけど……本当に就職させて働かさせるのか?」
「……そりゃあまあ、今後の生活を思えば霧島も手に職を付けた方が良いだろうし……何より本人が直美ちゃんに恥ない立派な親に成りたいって頑張ってるから止めようとは思わないけど……どうした急に?」
「いや、なんていうかなぁ……せっかく家の中でこうして直美ちゃんと交流してるのに、働き出したらその時間が減るかんじゃないかなって思って……」
「ああ、それはまあ……だけど最初はパートかアルバイトから始めるみたいだし、時間帯を直美ちゃんが通学している間に上手く調整すれば行けるんじゃないかな?」
「うぅん……それは確かにそうなんだが……」
どうやら他にも危惧があるようで、亮は困ったように俺と霧島へ交互に視線を投げかける。
しかし少しして意を決した様子で亮は俺へと向き直ると、耳元に口を寄せて本当に小さい声で訊ねて来る。
「霧島を外に出してお前は……本当に大丈夫だと思うのか?」
「……どういうことだ?」
「どこかで働くってことは社会に出るってことだ……当然人と触れ合う機会も増える……無論異性とも……そうなった時、また霧島が変な男に入れ込んで暴走しないって信じられるのか?」
「っ!?」
亮の言葉に思わずその顔を見つめてしまうが、向こうは至って真剣な様子だった。
「確かに今の霧島は頑張ってるし、直美ちゃんと少しずつだけど歩み寄ってもいる……だからこそここでまた霧島が裏切ったりしたら、直美ちゃんはそれこそ立ち直れないぐらいのダメージを受けるんじゃないか?」
「そ、それは……」
「直美ちゃんだけじゃない……史郎、お前だってそうだ……あれだけ怨んでいたはずの霧島をお前は今、何だかんだで好意的に受け止めてやろうとしてる……この状態でまた霧島がお前の大切な直美ちゃんを傷つけて去って行ったら……耐えられるのか?」
「……っ」
亮の言葉を聞いた俺は何も言い返すことが出来ないまま、反射的に霧島へと目を向けてしまう。
「うぅ……ねちょねちょぉ……も、もっとかき混ぜるのぉ?」
「これが一番大事なのぉっ!! ほらほら、もっとグチョグチョになるまでコネて……終わったら掌でパンパンと叩いて空気を……」
直美と共に料理に精を出している霧島……その顔は別れた時の彼女とはまるで別物であり、幼馴染として接していたかつての霧島とも違うような気がした。
何より当時の霧島ならあんな面倒なことは俺か誰かに押し付けようとするばかりで、ましてあんな風に幸せそうな微笑みを浮かべていることなどなかった。
(……確かに俺は今の霧島を直美ちゃんとの関係を含めて好意的に受け止めてる……もし今、また霧島が変な男に引っかかって馬鹿な真似をしたら間違いなくショックを受ける……そして多分直美ちゃんも……)
呆れたような顔をしながら霧島に指示を出す直美……自分からも少しずつ確実に霧島と接する回数を増やし距離を縮めようとしているのがはっきりとわかる。
直美は今まさに霧島へ気を許そうとしている最中なのだろう……こんなところでもしもまた裏切られたら、今度こそ直美の精神は限界まで追い詰められてしまいそうだ。
直美のことが一番大切な俺にとってそれだけは許容できないことであり、それ等を知っているからこそ亮はあえて指摘してくれたのだろう。
(本当は俺が考えなきゃいけなかったんだよな……済まん亮、いつもこんな嫌な役をやらせて……ありがとう、だけど俺は……)
もう一度俺は目の前で不器用ながらも交流を続けている母娘の姿を眺めて……胸に湧き上がる温かい気持ちに従うように答えるのだった。
「そうだな……お前の言う通り、前に霧島がしたことを思えば油断はできない……だけど俺は大丈夫だって信じたい……いや、信じてるから……」
「……お人好しだなぁ史郎は……あんなに酷い真似をした霧島を良くそこまで……」
「お人好しはお前だよ亮……いつも俺たちを気遣ってくれて本当に感謝してる……けどな、俺は何だかんだでずっと霧島を見てきたから……裏切られる前も、裏切られた後も……その上で今のあいつならって思えるんだ……何よりあいつはさ、あの凄く良い子な直美ちゃんと血の繋がった母親なんだ……だから信じてやりたいんだよ」
はっきりと言い切った俺の前で亮は一瞬だけ目を見開いたかと思うと、すぐに困ったように笑って見せるのだった。
「はは……そっか……まあお前がそこまで言うなら俺はもう何も言わねぇよ……うん、俺もじゃあ信じることにするよ……」
「悪いな亮……いつもいつも心配かけて……」
「いやいや、この件に関しては俺にも責任があるからなぁ……だけど史郎、お前さぁやっぱりまだ霧島のこと好……」
「史郎おじさぁんっ!! とぉるおじさぁんっ!! ちょっと来てぇえっ!!」
最後に亮は何か言おうとしたが、その言葉を遮る様に台所から直美の叫び声が聞こえて来た。
おかげで会話を続けることもできず、俺たちは慌てて二人の元へと駆けつけるのだった。
「ま、待ってっ!! 呼ばないでっ!! な、何でもないの史郎っ!! だから……」
「見て見てぇ、このハンバーグの形どう思うぅ?」
「うぉっ!? な、なんじゃこりゃぁっ!?」
「うわぁ……これは見事に食欲をそそらない……よくぞまあここまで……霧島さんがやったのこれ?」
「ぷぷぷっ!! だよねだよねぇ~っ!! ここまで不器用なのも珍しいよねぇ~っ!!」
「あぅぅ~……み、見ないで二人ともぉ~……うぅ……い、意地悪ぅ……」




