第六十四話「侵入」
~前回までのあらすじ~
地道な努力により、イワンはようやく周囲に認められるようになっていた。
それを喜びつつも、エミリアは不穏な空気をぬぐい切れずにいた。
そんな時、カーミラから「両親に繋がるかもしれない情報」を入手する。
「エミリアさん」
いつものように学園内で仕事をしていると、いきなり声をかけられる。
「カーロッタか。どうした?」
「今日、予定はあるかしら?友人たちとお茶会を開くんですけど、よかったら貴方もどう?」
イワンの存在が認知されたことにより、相対的に私も声を掛けられる機会が増えた。
こうしてなんやかんやに誘われるのも日常茶飯事だ。
誘ってくれるのはありがたいが、会話の内容が「イワン様の好みの女性は」とか、「どうやってイワン様に気に入られたのか」とかばかりだから、正直辟易している。
料理の話題になったりしたら楽しいし、彼女たち自体が嫌いという訳じゃないんだが……。
「あー、すまん。今日はちょっと出かける予定があるんだ」
「あらそうですの?ではまたの機会に」
「ああ、予定が合えば是非」
『行けたら行く』と言いながら行かない奴みたいな返事をしてその場を立ち去る。
あまり角が立つ断り方はイワンの評価も下げることになるから、やんわりとした言い方しかできないのがもどかしい。
人間関係って、本当に面倒だなぁ……。
一部のメイド以外からは避けられてたあの頃の方が、私としては過ごしやすかった。
こういう時、イリーナがいるとありがたい。
ちゃんと私の心中を察してくれて「今日のエミちゃんの予定は私が予約してるからねー」とか言って、角が立たないようにしてくれる。
仕事はサボるが、そういう気配りは抜群に上手い。
仕事はサボるが(大事なことなので二度言わせてもらう)
◆ ◆ ◆
旧ヒト科動物研究所へは、イワンに同行をお願いした。
護衛対象を危険かもしれない場所に連れ出すのはどうなんだとツッコまれそうだが、彼以外に適任者はいない。
カーミラさんを除けば私の過去を知ってるのは彼だけだし、万が一魔獣などに遭遇しても遠慮なく魅了術を使える。
一人で行く、という選択肢ももちろんあったが――ランベルトの時のように、秘密にした後でバレたことを考えれば、最初から話している方が最善だろう。
「エミリアに頼ってもらうためにはまだ修行が足りないのか……」なんて言って、これ以上危ない修行をされてはたまったものではない。
それに、目指す場所はヴァンパイア王国の中とはいえ都の外だ。
街の郊外に出る危険性は嫌というほど経験してきたので、仲間がいることは純粋に心強い。
「悪いな、大会も近いってのに」
「まだ一週間も先だろ。気にすんな……よし、こっちは準備OKだ」
イワンが背負っているのはいつもの木刀ではなく、真剣だ。
耐刃、防寒に優れたフード付きローブの下に簡易プロテクターを装着して、格好だけ見れば討伐訓練時の装備と大差はない。
私は外行き用の装備を持っていなかったので、イワンが成績上位者の権限を使って用意してくれた。
イワンとお揃いのローブと簡易プロテクター、下の服はカーミラさんに買ってもらったものの中で肌の露出が少なく、収納の多いものを選んだ。あとは雪目対策のゴーグルにランタンを持って準備完了だ。
ちょっと出掛けるのにそこまでしなくても……と思うかもしれないが、備えあれば憂いなし。
少しの距離だろうが日帰りだろうが、何かあってから『ああ、出掛ける前にあれを用意しておけば……』という後悔が一番やってはいけないことだ。
準備を怠った者は真っ先に死んでいく。
平和な場所で暮らしていると忘れそうになるが、ここはそういう世界だ。
「よし、行こう」
◆ ◆ ◆
旧ヒト科動物研究所は、王都を出て東に進んだ森の中にある。
森は小高い丘のようになっていて、ちょうどその頂点に旧研究所がある、という感じだ。
町を出てすぐに森は見えたので、道に迷うこともない。
雪も降っていないし、調査をするには丁度良い日和と言えた。
キシローバ村ほど豪雪地帯ではないので、王都周辺の天候がそこまで荒れることは少ないが、やはり降ってくると面倒だ。
二人でザクザクと新雪を踏みしめながら森を目指す。
小さい頃は誰も足を踏み入れていない場所に足跡を残すのが楽しくて仕方なかったが――国外に出ていたとはいえ、雪国暮らしがここまで長くなると感動も何もあったものではない。
砂漠地方の真っ新な砂地に足跡を付ける方がよほど楽しい。
森の入り口には小一時間程度で辿り着くことができた。
木々は乱立しているものの、視界が遮られるほど鬱蒼としているわけでもなく、これまた歩きやすい。
巨人が現れても戦いやすそうな場所だ。
「……」
この森の雰囲気。
初めて来る場所なのに、どこか懐かしさを感じる。
「なあ。ここ、似てないか?」
「どこに?」
「キシローバ村の裏手にあった山だよ」
「……あー」
イワンに言われて、ようやく懐かしさの正体が分かった。
鹿狩りのために登山の訓練をしたり、こっそり魔法の練習をしたりした、あの場所によく似ている。
「そういえば、イワンと喧嘩したのもそこだったな。馬乗りになってボコボコにされて」
「いや、あの時はホントに悪かった」
「気にしてないよ。私だって雪玉当てまくったし」
バツが悪そうに頭を下げるイワン。
そこから私たちは、昔話に花を咲かせた。
風景が似ているからなのか、小さい頃の思い出がたくさん溢れてくる。
ずっと歩き通した疲れも感じないまま、私たちは目的地らしき建物を発見した。
「お――あそこじゃないか?」
◆ ◆ ◆
旧研究所は想像していたよりも遥かに小さかった。
一階建てで、大きさもカーミラさんの屋敷とそれほど変わらないくらいだ。レンガ積みなので頑強そうと言えばそうだが……あまり研究所然とはしていない。
事前知識が無ければ、大きめの物置小屋と勘違いしたかもしれない。
学園のどこかの棟一つと比べても、十分の一以下の大きさしかない。
「ここ……だよな?」
首を傾げながら、イワンが何度も地図を確認する。
「他に建物は見当たらないし、合っているはずだ」
ドア周辺の雪を払いながら中に入る。
建物自体はそこそこ朽ちていたが、骨組みがしっかりしているのか、軋みもせずドアは開いた。
入ると、玄関とリビングを合わせたような大きな部屋があり、そこから別の部屋に繋がる扉が五つ見えた。
一応、ヒトの気配を探ってみる。
私の感覚では誰もいない。
念のためイワンにも同様に探ってもらうが、彼も首を横に振った。
太陽の光が入るように設計されているのか、森に生えた木々よりも背が低いのに、中は比較的明るかった。
……ランタンの出番が無くなったな。
「よし、手分けして調べよう」
「了解」
とはいえ、ここはインキュバスの廃墟街のように打ち捨てられたのではなく、ちゃんとした計画のもとに移転している(今は研究棟の一部がヒト科動物研究所になっている)
重要な資料などがそこいらに放置されているはずもなく、調度品もほとんどない。
机と棚、そして椅子がぽつぽつと点在しているだけの伽藍洞だ。
どの部屋も同様――と思いきや、最後の部屋に足を踏み入れた瞬間、それまでと違う光景に顔をしかめる。
「……うぇ。なんだここは」
そこだけ何故か草が生い茂っていた。
地面が柔らかい。土が剥き出しになっているようだ。
日の光も強めに入るようになっていて、心なしか他の部屋よりも気温が高い。
おそらく、食用植物でも育てていたんだろう。
「わざわざこんなところでやらんでも……」
毒づきながら中を見て回るが、当然のように何もない。
十五分も経たないうちに、捜索は終了した。
植物部屋から引き返し、リビングでイワンと落ち合う。
「どうだイワン。何か見つかったか?」
「いいや。資料どころか、紙切れ一つ見つからねえ」
「空振り……か」
というより、もともと私には関係のない場所だったのかもしれない。
領主様が王都にいる時代、どんな役職に就いていたのかは知らないが……仕事の関係で出入りしていただけだったのかもしれない。
カーミラさんも「もしかしたら」としか言っていなかったし、強い根拠もない今、早々に引き上げる他に選択肢はない。
「……帰るか」
ポツリと呟き、部屋を出ようとする私を、
「待て!」
イワンが力強く制した。
彼は姿勢を低くし、私にもそうするようにジェスチャーで伝える。
「……外に誰かいる」
「!」
イワンの言う通りだった。
窓の端からこっそり外を覗くと、ローブで頭まですっぽり包んだ性別不明の二人組が、こちらに向かって歩いてきていた。
「なんなんだ?あいつら」
「わからん。狩人でないことは確かだけど」
この区画に狩猟できるような野生動物はいないし、そもそも狩人の出で立ちではない。
「どうする?」
「んー、こっちは別に悪いことしてないしなぁ」
旧研究所自体は立入禁止という訳でもない。
ただ、こんなところでヒトと鉢合わせするのは何だか気まずい。
それだけだ。
――後から思えば、このよく分からない『気まずさ』が、私たちの命を救ったことになる。
何も思っていなければ、そのまま外に出ていただろう。
「おい、こっちに来るぞ」
謎の二人組は、こちらに向かって歩みを進めてきた。
地面を指差しながら、何かを話している。
「なんだ?あの辺に何か落ちてんのか?」
「いや、雪しかなかったけど――!」
自分で言ってから、違和感を覚える。
雪しかない?
だったらそこに、当然あるものが存在している。
「エミリア?」
「イワン。あいつら――中に入ってくるぞ」
「え?」
「私たちの足跡を追ってきている」
「……!どうする?」
「どこの誰かは分からんが……不気味だし、見つからないように出よう」
「他に出口があるのか?」
「私に考えがある。奥の部屋に――」
そう言って、私がイワンの方へ近づいた瞬間!
凄まじい轟音を立てて、壁から氷が生えてきた。
太い木の幹のように巨大なそれは石造りの壁をいとも簡単に貫通し、鋭く尖った枝――まるで鋭利な刃物のようだ――を、ピキピキ、と背筋が寒くなる音を出しながら伸ばしていた。
氷が貫いたのは……つい数秒前まで、私が居た場所だ。
あと少し、移動が遅れていたら……。
「なんだ、向こうは殺る気かよ!」
その一撃で、イワンは認識を改めて抜刀した。
こいつらは――敵だ。
「そっちがその気なら――っておい、なんだエミリア、どうした!?」
正面から飛び出そうとするイワンを、私はしがみついて引き留めた。
激昂するイワンとは対照的に、私は――震えていた。
背中に雪を入れられたように体の芯が冷え、動悸が早まっている。
手先が、膝が、歯の根が――全身が、ガタガタと震える。
心臓がギュウッ、と絞るように痛みを訴えてくる。
たまらず胸を強く抑えながら、枯れた喉でなんとか声を震わせる。
「ダメだイワン……逃げるんだ」
今の攻撃。
氷だった。
冷たくて、熱すると溶ける――氷。
自然界に存在するものと、全く同じもの。
それは、人間種族が使う魔法では作れないものだ。
それができる術を、術を持っている種族を、私は知っていた。
「あいつら――エルフ種族だ」
NG集
『用意してくれた』
私は外行き用の装備を持っていなかったので、イワンが成績上位者の権限を使って用意してくれた。
水色の少し大きめのシャツと、黄土色のハーフパンツ。そして白い帽子。
帽子には、この世界には存在しない言語で「血小板」と書いてあった。
「この服を着て、『あのねあのね』って言ってくれるか?そしたら俺、すっっごい頑張るから」
「姉弟揃って私に何をさせるつもりだ!?」
『用意してくれた2』
私は外行き用の装備を持っていなかったので、イワンが成績上位者の権限を使って用意してくれた。
青と白を基調にしたワンピース風の、いかにもJS(女子小学生)が着そうな服。
帽子はこの地域では見かけない、大きくてフワフワしたものだ。
「この服を着て、『だらぶち』って言ってくれるか?そしたら俺、すっっごい頑張るから」
「着てからと言わずに今言ってやるわ!この――だらぶちがぁ!」




