第十一話「激変」
――さらに一週間が経過した。
早朝五時。
この世界の朝はとにかく早い。
夜間照明が発達していないので、太陽が昇っている間しか満足に仕事が出来ないためだ。
なので、人々は日の出と共に活動を開始する。
もちろん、子供とて例外ではない。
「くぁ……」
あくびを隠さず思いっきり伸びをする。
春とはいえやはり朝は冷える。おかげで布団から一歩出たらすぐに目が冴えた。
「おはよう、母様」
隣ですやすや眠る母に挨拶してから、朝食の準備にとりかかる。
お決まりのパンにコーンスープ、干した果物を付け合わせとして添える。
魔法を覚えてから、家事のスピードが飛躍的に上がった。
以前の私なら、これだけでも三十分はかかっただろう。
「よし、母様を起こそう」
あらかじめ桶に移しておいた水を零さないようにベッド脇の机まで運ぶ。
母はすやすやと眠っている。
胸の中に飛び込んで私も一緒に惰眠を貪りたい衝動をぐっと抑えて、桶の水に手をかざす。
「……」
ものの数秒で、冷たいはずの水は湯気の立つお湯に変化した。
長らく夢に見ていた魔法だ。
お湯にタオルを放り込んでから、母を揺り起こす。
「母様っ、起きて、朝だ!」
「……うん」
「ご飯も作ってある。早く一緒に食べよう」
「……うん」
返事はあるのでただの屍ではないが、この程度で母は起きない。低血圧のため、とにかく朝が弱いのだ。
案の定、「うん」と言っておきながら動く気配は無い。
普通の起こし方では一時間以上かかってしまうので、少々強引な手法に出る。
私は布団を剥ぎ取り、さっきよりも強く揺さぶった。
「母様!ご飯!冷める!」
「……うん」
「ほら、とりあえず体起こす!」
「……うん」
体を引っ張り上げ、お湯で温めたタオルを固く絞って顔を拭く。
いろいろと試した中で、これが最も効果的に母を起こせる。
ぼんやりと目を開いていた母の瞳に、徐々に意志が宿る。
「どうだ母様。目は覚めたか?」
「……おはよう、エミリア」
母は私を抱き上げて額にキスをしてくれた。
朝の苦労が報われる瞬間だ。
◆ ◆ ◆
魔法の授業は順調だ。
魔力収集以降、一度もつまづくことなく、授業にも遅れを来たしていない。
……最も、初めて自分で魔法を使った時はテンションが上がりすぎて机の角に頭をぶつけてしまったが……まあ、特記すべき事でもないだろう。
「よーし、今日はここまで!」
「ありがとうございました!」
「……フン」
クドラクさんの授業は基本的に午前中に終わってしまう。
本来の仕事の合間を縫って私たちに教えてくれているので文句は言えないが――少し物足りなさを感じていた。
一時期はあまりの自分の出来なさに魔法が嫌いになりそうだったが、いまは楽しくて仕方ない。
もっと魔法を知りたい。
もっと魔法を練習したい。
もっともっともっと――魔法を勉強したい。
授業の物足りなさを補うように、午後は自主訓練をするのがここ最近の日課になりつつあった。
いつだったか、ウィリアムと一緒に登山の訓練をした小山の上。
家の中ではあまり大きな魔法は使えないので、いつも人通りの少ないここを練習場所にしていた。
日常生活に魔法を取り入れることで、私の生活習慣は激変した。
家事にほとんど時間が掛からなくなったため、自由な時間が大幅に増えたのだ。
こうして練習できる時間をたっぷり取れるのも、魔法のおかげだ。
「よし。まずは二十一だ」
魔法入門を木の陰に置き、まずは魔力収集から始める。
ランダムで数値を設定し、その通りに集められているかを調べる。
魔力収集が出来るようになってからずっと繰り返している、設定通りの魔力を集められるかの訓練だ。
実はこれ、クドラクさんの授業でも行われている。
『魔力のコントロールが重要』という私の考えは間違っていなかったのだ。
「三十……五十……六十九……八十……」
魔力収集の訓練は単調だが、決して単純ではない。
授業で習ったのだが、魔力収集は体力を消耗する。
何度も剣を振ると疲れるのと同じで、何度も魔力収集をすると息切れを起こして動けなくなるのだ。
RPG風に言うとHP≒MPという感じだ。
つまり体力に気を配らないと走れなくなると同時に魔法も使えなくなってしまう。
今のところ魔力を集めすぎて動けなくなったことは無いが、ある程度のペース配分は必要だろう。
あくまで体感だが、大きな魔力を集めた時と複数個の魔力を集めた時は普段よりも疲れる。
百の魔力よりも千、五十の魔力よりも二十五を二つとした方が負担がかかるようだ。
体力を底上げするようなトレーニングも始めたほうがいいかもしれないな。
早い段階から筋肉を付けすぎると骨の成長が阻害されるので、できれば避けたいが。
今はまだこんなナリだが、将来は最低百六十センチは欲しい。
ちっこいままは――嫌だ!
魔力収集の訓練が終われば、いよいよ魔法の実技だ。
とはいえ、魔力収集に比べて魔法自体は簡単だ。
魔力を集めて、起こしたい現象を鮮明にイメージするだけ。
どんな効果で、どれくらいの範囲で、どれほど持続し――そして、結果どうなるか。
これら全てをイメージできなければ、魔法は発動しない。
イメージをより強固なものにするために用いられる最もポピュラーな方法は呪文だ。
呪文を唱えることで、不鮮明なイメージを補い、魔法の発動を補助する。
逆に言えば、頭の中でしっかりとイメージできれば呪文の詠唱は必ずしも必要ではない。
前世にあった物語では詠唱あり<詠唱なしという構図になっていることが多かった。
詠唱なしは特殊技能で、余程のことが無い限り使えない、みたいな。
この世界は誰でも詠唱のありなしを決めることが出来る。ただ、どちらにもメリット・デメリットがある。
・詠唱あり
呪文を唱えることで魔法のイメージを強固にできるため、失敗しにくく、効果も均一になる。
反面、詠唱が必要となるため発動が遅い。
・詠唱なし
呪文を唱える必要が無いため、発動が早い。
反面、イメージがしっかりできないと失敗しやすく、効果もその時の精神状態などに左右される。
この辺りは向き不向きがあるのでどちらの方法を使っても問題は無い。
ただ、大半の魔法使いは安定して発動できる詠唱ありを用いているようだ。
私は詠唱なしでやることにしている。
理由としては魔力収集が早いという長所を生かせることと、詠唱なしの方がメリットが多いと感じたからだ。
「できたっ」
私は『石を十センチ横にずらす』という魔法を詠唱なしで成功させる。
初めてだったが、すんなりといけた。
イメージする際、前世にあった超能力のサイコキネシスを参考にした。
この世界の魔法の便利なところは、前世にしかないものだろうと、脳内で鮮明に描けるなら通用するということだ。
今の場合、『サイコキネシス』=『触れずして物を動かす』とイメージできれば、きちんと魔法は発動する。
これが詠唱なしに魅力を感じたもう一つの理由だ。
前世の知識を有し、常人ではイメージできない事象でもイメージできる分、詠唱なしの方が簡単なのだ。
このメリットは大きい。
……別に「詠唱なしで魔法を使える私かっこいい」などとは思っていない。
本当だぞ?
「よし、次の魔法だ」
石を動かす魔法の他にも、除雪の際に便利な『雪を溶かす魔法』や、生鮮食品の強い味方『生ものを日持ちさせる魔法』、洗濯から皿洗いまで広く使える『モノの汚れを取る魔法』などを連続で行う。
将来メイドを目指す者としては、これらの魔法は欠かせない。
ちなみに人間種族が扱える魔法の中に火や水を起こすものは無い。
自然現象の完全再現は不可能だそうだ。
無属性魔法しか使えない、と表現した方が分かりやすいだろうか。
家事魔法を中心に、魔法入門に載っている魔法を次々に繰り出していく。
日が傾くまで魔法の練習に明け暮れ、夜は家で魔力収集を繰り返す。
そんな風に、私は日々を過ごしていた。
◆ ◆ ◆
夢中になって魔法を使い続けて早三ヶ月が過ぎた頃。
気付けば、魔力を集める速度が尋常じゃなく早くなっていた。
「六十七、八十一、百四」
人間なら百以下の魔力を集めるのに平均一分、達人ならば十秒以下とクドラクさんは言っていた。
「百二十二、百四十三、百七十五」
今の私は達人認定される十秒を遥かに下回り、三百以下の魔力ならば一秒とかからず集められるようになっていた。
「二百四、二百三十三、二百五十一」
一秒以内――それは、三大種族の基準値だった。
その事に関して思うところが無かったわけではないが、特に騒ぎはしなかった。
人間だからと言って一秒を切れないとは誰も言っていなかったし、三大種族以外の魔法使いはほぼ家事魔法しか使わないのでスピードを鍛える者がそもそも少ない。
その結果、平均値が三大種族と比べて大幅に遅いのではないだろうか。
まあ、他人を気にせず私は私で頑張ればいい。
◆ ◆ ◆
さらに数ヶ月が過ぎ、七歳になった。
六の倍数では盛大にお祝いをするが、それ以外の誕生日はあっけない。
母から「今日から七歳ね」と言われただけで、他の誰からも誕生日に関しては触れられなかった。
前世の記憶を持つ身としては少し寂しい気もするが、これがこの世界の慣わしなのだから仕方ない。
「エミリア、最近はどう?」
「順調だ。あ、母様、そこのジャムを取って欲しい」
魔法の訓練は順調に進み、魔法入門に書かれたものは全て習得した。
最近は二つの魔法を組み合わせて新しい効果を生んだり、同じ魔法を同時に発動させてみたりしている。
母はジャムの瓶を渡しつつ、嬉しそうに微笑んだ。
「それは良かった。そういえば、イワン様とは仲良くやれてる?」
「仲良く出来ているとは言い難いな」
私は少しだけ苦い顔をした。
日々、同じ机を並べて一緒に勉強しているというのに、何故だか彼の態度は硬化していく一方だ。
挨拶すれば舌打ちをされ、話しかけても無視され、また明日と手を振れば睨まれる。
まだ出会った当初の方がマシな反応をしてくれていた気がする。
普通の子供だったら心が折れているところだ。
それでもめげずに積極的に話しかけているが、芳しくない。
こちらとしては是非とも友達になりたいのだが。
同年代で魔法について話が出来るのは彼だけなのに……。
「イワン様の気難しさは私たちの間でも有名なのよ」
「そうなのか?」
「ええ。イワン様に目を付けられて、お屋敷勤めの使用人が何人か辞めてるわ」
そうだったのか。
まあ、彼が普段からあの態度だったなら嫌になってしまうのも頷ける。
私は平気だが。
「あまりにも酷いから、イワン様専用の使用人を呼んだくらいよ」
特権階級の貴族しか雇わないはずの専用メイドを、あの年齢で従えているとは……物凄いVIP待遇だな。
勝手な偏見だが、専用と聞くとすごく若くて美人なメイドさんが思い浮かんでしまう。
あのぶっきらぼうなイワンでも、美人さんの膝枕だと鼻の下を伸ばしたりしているのだろうか。
……うーん、想像できないな。
しかし良い事を聞いたぞ。
その専用メイドさんと話をすれば、イワンと仲良くなるコツを教えてもらえるかもしれない。
「母様、そのヒトの名前を教えてもらってもいいか」
「聞いてどうするの?」
「会って話をしたい」
「……エミリアは優しいわね」
私の意図を見抜いて、母は優しく頭を撫でてくれた。
しかし完全には理解できていないようだ。
私はただ単に魔法の話をしたいだけで、ぼっちの彼に同情して……とかではない。
どちらかと言うと自分の為であり、優しさとは全く対極――自分自身のエゴで動いているに過ぎない。
「そんなんじゃない」
「ふふっ。照れちゃって」
「いいからっ、早く名前を教えてくれ」
勘違いする母を急かすと、それが照れ隠ししていように見えたらしく「健気で可愛いわね」と抱き付かれた。
たまに母は話を聞いてくれない。
NG集
『目覚め』
「どうだ母様。目は覚めたか?」
「……おはよう、エミリア」
母は私を抱き上げて額にキスをしてくれた。
朝の苦労が報われる瞬間だ。
「……くー」
「って、また寝るんかい!」
『ストーカー』
「エミリアちゃんが魔法の練習をしてるって?」
「あの小山か……心配だし、ちょっと様子を見に行こう」
「いたいた。でも邪魔しちゃ悪いし、ちょっと離れたところで見るだけにしとこう」
そうして柱の木陰でエミリアちゃんを見つめていたら、何故か通報されました。




