東公都の甘い夜 ☆
お久しぶりです!
こちらは昨年、同シリーズ作品『夏霞の姫は、絶対求婚にうなづかない。』に追加したハロウィンエピソードの続きになります。
https://book1.adouzi.eu.org/n0987he/84/
(当時の活動報告に掲載した内容が元になっています)
(あまりにも時期がずれたため、投稿を一年見合わせていました←)
内容は、アイリスに至急ハロウィンドレスが必要になり、ミュゼルのコレクションを借りるため、さくっと転移したサジェスたちが帰ったあとのSSになります。
当主不在時における王太子夫妻の訪問後。エスト邸は、ようやくふだんの落ち着きを取り戻した。
王太子殿下の今回の用向きはミュゼルにあったため、問題はなかったものの。
ミュゼルは中断していた帳簿仕事を再開し、やれやれと首を横に振る。
「それにしたって、サジェス殿下の神出鬼没にも困ったものね。いくらお忍びと仰ったって、そうはいかないのよ。東公家の者たちは比較的くちが固いとはいえ」
「まったくだ」
ルピナスは重々しく首肯した。
“東公息女ミュゼルは王太子妃アイリスの親友である”。
そのことは数年前から周知の事実だが、いざ行幸があったと知れれば色めき立つのが地方民の性。ルピナスはあれから騎士団舎に戻り、関係者各位に懇ろに口止めをして回った。
緊急事態でもないのに転移を行うのは、王位を継ぐ者にあるまじきこと。
そのように、サジェスが現国王オーディン陛下から叱責されても後味が悪い。
ゼローナ直系王族のみが行使しうる転移魔法には、「目視できる場所」と「行ったことのある場所」にしか翔べないという制約がある。
そのため、サジェスは再訪の感覚でエスト家の玄関先に現れたのだろうが……
「まぁ、大事なアイリスのためだもの。お役に立ててよかったわ。――ところで、ルピナスはハロウィンを知っていて?」
仕事が終わった書類を引き出しに戻したミュゼルは、わくわくとルピナスの元へ歩み寄る。
長椅子にもたれていたルピナスは、ふわふわと揺れる砂糖菓子のようなストロベリーブロンドの姫君に目を細めた。
「んん……いちおう。今日、近所の子どもたちがお化けの格好で団舎に来たから」
「そう。じゃあ、話が早いわ。わたしたちもしない? ハロウィンパーティを」
「え? 今日? これから?」
ぱちぱちと瞬く玲瓏な公子様に、ミュゼルはにっこりと手を差し出した。
「大丈夫。女装はやめてあげる」
「〜〜、やっぱりそういう……! ちょ、待ってくれミュゼル。いったい何の仮装を!?」
「うふふっ、きっと似合うわ。さあ来て!」
柔らかな両手で片手を包まれ、きらきらとした琥珀の瞳に覗き込まれては否と言えない。
最終的に、ルピナスは上機嫌のミュゼルに屈した。
ミュゼルは戸惑い顔の婚約者殿を立たせると、控えの侍女たちに託してひらりと衣装部屋へと消えてゆく。彼女自身の仮装のためだった。
ルピナスは「観念なさってくださいませね」と微笑む侍女頭により、別の部屋へと連行された。
* * *
「まあ! まあ! やっぱり似合うわ。さすがルピナス」
貴婦人の身支度としては破格のスピードでミュゼルはやって来た。
場所は、食堂に隣接するサロン。
気合いの入った使用人たちの手で、室内はハロウィン仕様に飾られている。
すでに衣装だけを取り替えられたルピナスは、困り顔で――もっと言うなれば目元を赤らめ、ぎこちなく視線を揺らした。「どうも」
「どうしたの?」
「いや別に……えっと、聞いていい? これは何の格好?」
「うふふふ、吸血鬼よ!」
「吸血……? それってお化け? 魔獣じゃないよね?」
「お化けっていうか。オー・ランタン国の昔話に出てくるの。容姿がとても優れていて、美女の生き血を吸うんですって。仮装の鉄板よ?」
「えええ……信じられない」
「そういうお祭だから」
ころころと笑う社交派のミュゼルと、生粋北方武人のルピナスでは、埋めようのない感覚の溝がここにある。
【吸血鬼】と聞いて浮かぶイメージは、寓話じみたお化けよりも魔獣の人喰い鬼のほうが近い。
ルピナスの生家が治めるゼローナ北方は、凶暴な魔獣が跋扈する魔族領に隣接しているからだ。
――とはいえ、せっかくの祭気分に水を差すのは心苦しい。
気を取り直したルピナスは、ちゃんと心構えをしてから視線をミュゼルに戻した。
「それで、ミュゼルのそれは? アイリスに渡したドレスと色合いが似てるけど、帽子が。それに、杖?」
「ふふん。アイリスにあげたのはカボチャ姫のドレス。これは、カボチャの精霊に化けた魔女のドレスよ。似合う?」
小首を傾げ、黒いとんがり帽子を被ったミュゼルはくるりとターンして見せた。
小柄で丸みのあるフォルムの彼女がそんな仕草をすると、本当におとぎ話に出てくる善い魔女のようで、ルピナスは思わず頰を緩める。
正直、カボチャ姫のドレスと魔女のドレスの違いはわからなかったけれど。
「似合ってる。可愛いよ」
「あら。ありがとう」
知ってるわ、と言わんばかりの彼女に、吸血鬼装束のルピナスは、そっと口元を押さえた。
(でも――――アイリスのドレスもそうだったけど、『あれ』は……いいのか? 普通なのか??)
侍女たちに「仕上げですわ」と仕込まれた、尖った犬歯のギミックが微妙に唇に当たる。
なんだか本当の吸血鬼になったようで、居たたまれなくなったルピナスは、また目を逸らした。
* * *
当主夫妻と長男のレナード不在の気楽さで、そのままサロンで軽食とワイン、ちょっとしたボードゲームやカードで遊ぶとたちまち宵の口。
知ってか知らずか、それとなく照明を落としたり、いつの間にか給仕の姿も消えていたり。本当にエスト家の使用人たちのレベルは高い。
……主に、お膳立てのスキルが。
かつて立太子前のサジェスや北公領騎士団の先輩に鍛えられたルピナスは、酒量をほどほどに抑えておく術を心得ている。
反してミュゼルは、酔うとふわふわと人懐っこくなるきらいがあった。
もちろん、寛いだ場限定のことなのだろう。非常に可愛くて良い。良いのだが――……
「ずるい! ずるいわ!」
いささか酒が過ぎたのだろうか。カードで大負けしたミュゼルが、ポカポカとルピナスの胸板を殴ってくる。おまけに、そのままぐいっとマントの襟元を引っ張った。
両手をちいさく胸の前で挙げ、とっくに降参態勢のルピナスのマントを、だ。
「ねえルピナス! さっきから全然わたしを見ようとしないけど……! やっぱり女の子は綺麗なほうがいいわよね。吸血鬼の貴方から見て、わたしは駄目かしら。血を吸うに値しない?」
「ええ!? いや、なんで今!?」
「今だからよ! 正直に言って!」
ルピナスは途方に暮れた。
婚約者殿のはちみつ色の瞳も、ピンクゴールドの睫毛も、白桃みたいな頰も、どこもかしこも魅力的に決まってる。
そう言いたいが、おそらく今のミュゼルには届かない。
――――なので。
ルピナスは、するりと腕をミュゼルの腰に回した。どさくさで膝の上に乗せ、すばやく首すじに唇を当てる。
「ひゃっ」と叫び、くすぐったがる彼女の反応にぞくぞくしながら、それでも理性を全乗せして諸々を我慢した。犬歯をあてがったのは悪戯心だ。
「二度は言わないね。私にとっての美女はきみだけだ。きみが居れば、それでいい」
「……っ、ルピ……え!? ちょっと待って、重いでしょ。膝っ」
「重くない。気持ちいい」
「〜〜〜〜△▲♣✧□!? わからない……何がどう気持ちいいの?」
焦ったミュゼルは真っ赤に熟れた果実のよう。
困り果てる姫君――もとい、魔女殿は心底可愛い。可愛すぎるのがいけない。
何もかも。
温もりも、柔らかさも、たしかな質感すべてをこの上なく愛しいと感じる気持ちは今日だけじゃないんだと、内側に潜む獣じみた自分に言い聞かせて。
ほのかに色づく、首すじから胸元にかけてのなめらかな素肌の誘惑を必死に振りほどく。
やがて、ちょっぴり冷静さを取り戻したらしいミュゼルが問いかけた。
「ねえ。菓子をあげなかったからイタズラされてるのよね? これで許してくれる? 吸血鬼の騎士様」
「……」
スッ、と寄せられたまろやかな顎はルピナスの鼻先よりも更に上へ。
ぼうっとしてしまうほど近い。これではどっちがイタズラする側かわからない。
固まったルピナスの額に、はちみつ色の姫君は優しくキスをした。
〜ハロウィン小話〜 fin.




