41 王都にて
東都から王都へは主街道を南西方向に馬車で五日。エスティアは、ゼローナ三公領のなかではもっとも首都に近い。
よって、王太子殿下のご成婚に合わせた出発はもっと先を予定していたため、急な予定変更に邸内はにわかに慌ただしさを帯びた。
さすがと言うべきか。
その翌朝、王城招致の報を抱えた小型竜が公邸に届き、まずは公爵代理として長子のレナード、それにミュゼルとルピナスが同行する形で王都行きが決まる。午前だった。
日程そのものは穏やかに進んだ。
ゼローナの初夏はそもそも旅に適しており、眩しいほどの日差しに涼気を含む風が心地よい。
三名が同乗する馬車はエスト公爵家の家紋入りの頑丈な六人掛け。広さや乗り心地は申し分なく、往きの車内は足りなかった事前相談の時間を補うべく、格好の会議室となった。
……或いは、兄とルピナスのじゃれ合いの。
* * *
「それで? ワイバーンの急襲時に、きみは何をしてたんだ」
「これと言ったことは別に。妹君と同じ砂トカゲ車に乗っていました」
「『同じ』」
「え? ええ。――それで、彼女を抱えてとっさに飛び降りました。そのままキャラバンの防護円陣までお連れして、あとは、自分も抜剣して構えていただけです。肝心の魔獣は三頭とも、ジハークの戦士たちに屠られてしまいましたから」
「ちょっと待て。『抱えて』?」
「? だめでしたか? 緊急事態でしたが」
「当たり前だ。そのときはもう、ミュゼルはアデラ風の衣装だったろう」
「はい」
「この、破廉恥め!」
「ええぇっ? (そこなの、お兄様???)」
「…………」(本人を前に頷くに頷けない。ただし『非常にわかる』という顔)※傍目には真顔
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進行方向を前にレナードとミュゼルが座り、ちょうどミュゼルの正面にルピナスが座した。その位置関係からして一言、物申したかったレナードは基本的に好き放題に北公子息殿を口撃している。
しかし、ルピナスは概ねノーダメージだった。
理不尽な物言いそのものに慣れているのかもしれない。
(彼が仕えていたサジェス殿下も、たしか、結構ひとを食ったかただものね)
兄なりに気遣い、あえて場を和ませているのかも……と苦笑で判じたミュゼルは、それとなく話を本筋に戻した。
「それより、お父様の言葉ではないけど由々しいわ。街道を進んで今日で四日目。あちこちで王太子殿下とアイリス様へのお祝いの機運が高まっているのは良いとしても」
「――うん。ばらまかれたラベル付き化粧品も問題ではあったけど」
「噂だな」
「ええ」
一転、大真面目な顔つきになったレナードに念押され、ミュゼルは首肯した。隣ではルピナスも無言でしずかな怒気を滲ませている。
噂とは。
「敵も考えたもんだな。わざわざ、北方出身のアイリス嬢の肌の白さになぞらえて白粉を売り出すとは」
「ひどいとこじゃ、さもアイリス様の愛用品みたいに謳われてたわ。あれじゃあ、影で模造品が取引され兼ねない。狡い奴らなんてどこにでもいるもの」
「…………幸い、ミュラー殿が手早く回収処置に乗り出して下さったおかげで事件には至りませんでしたが」
「うっ」
「そ、そうね。ルピナス」
魔法ではないはずなのに、馬車のなかがひんやりしたように感じる。
エスト家の兄妹は慌てて未来の王妃殿下の弟君の怒りを収めにかかった。
結果、ルピナスも険しい顔のまま、視線を遠くして頷く。
ほっと胸を撫で下ろしたミュゼルは、それでも不安を拭いきれなかった。ぼんやりと車窓の外に目を向けてしまったルピナスを、そっと視界の端で窺う。
(途中の街道ですら、品物の流通と噂の浸透率は無視しがたいものがあった。ひょっとして、王都はこれの比じゃないのでは……?)
ガタゴトとリズミカルな馬の歩調で進む馬車。空は青く雲雀がどこかで鳴いている。
長閑な旅路で、一行は行程そのものはこの上なく順調にこなしつつ、予定通り五日目に王都入りを果たした。
* * *
「お戻りなさいませ、若君。それにお嬢様。ようこそいらっしゃいました、ルピナス・ジェイド様。どうぞこちらへ」
「ああ」
門を越えてしばらく。
庭に噴水を備えた瀟洒な三階建ての館の手前はずらりと使用人が左右に並び、訪れた公爵家の面々を迎える。
代表してレナードが鷹揚に応え、ミュゼルとルピナスはそれに従った。
先導を執事の初老の男性がつとめる。
荷物も順に降ろされ、三名はこのまま一階サロンへと通された。
王都にあるエスト邸は城のほど近く。街の中心部にあってそこそこに広い面積を誇る。優美な紋様を描く鉄柵と頑丈な石塀の内側は見目良く整えられた植え込みに区切られた季節の花の庭。
年間を通じて当主が商談に使うことも多いため、館には一定の使用人が常に詰めている。
が、ミュゼルは首をひねった。
ちょっと賑わい過ぎているような……?
薔薇色のソファーに身を沈め、用意される茶器の音にそれとなく耳をそばだてつつ、通りがかった執事に質問する。
「ねえ。準備万端なのね。私たちが来る時刻は、予め知らされてたの? 大門で誰か待ってたとか」
「――おや。いいえ? お嬢様。ご存知ありませんでしたか」
「何を?」
きょとん、と瞬く少女に執事も困ったように微笑む。すると。
にわかに邸内で使用人たちが右往左往する気配が伝わり、つられてレナードも眉をひそめる。
ルピナスは、まさか、と呟いた。
カツ、カツ、と、存在感があるゆったりとした靴音。
開け放したままの扉から現れた人物に、三名はそれぞれ驚愕の表情で起立した。
「「ッ、王太子殿下!!!?」」
「殿下!! なぜこのような……。また、ろくに伴も付けず!」
「まぁまぁ。怒るなルピナス。久しぶりだねレナード。ミュゼル殿」
このたびは、東公家に多大な尽力と協力をしてもらっている――と、しれっと挨拶に移る長身の王太子に続き、ふわりと足取りも優雅に入室した女性の影があった。
三名、とりわけルピナスは再び固まった。
「姉上」
「お疲れ様です、ルピナス。お二人も。……すみません、殿下が皆様をできるだけ早く労いたいと。公爵家の馬車を遠眼鏡で確認したあと、このように“翔んで”来てしまったのですわ」
「翔…………、王家の能力“転移魔法”ですか! こんなことで!?」
「はあ」
なぜか、婚約者の代わりに藍色の長い髪の姫君が申し訳無さそうに縮こまる。
色めきだつレナードに、王太子サジェスは悪びれずに「先回りでな」と、言い添えた。




