38 美姫よりも(後)
――もちろん酔っていなかったわけじゃない。
むしろ、さんざんすすめられたオアシスの蜂蜜酒は口当たりがよく、あとに残って甘すぎたからこそ、かえってペースを抑えられた。
それで、客室に戻ってからはミュゼルの着替えを待つ間、無心にごくごくと水で喉を潤していたのだが。
「おつかれ、ミュゼル」
「あなたもね、ルピナス」
………………重症だった。
アデラ風の薄絹もそれはそれで良かったし、似合っていた。かつ目のやり場に困ることもあって。
なのに、ジハークの長とはエスト家の娘として積極的に歓談に応じる姿が堂々として、目が離せなくて。
異国の言葉が飛び交うなか、そのぶん耳慣れた彼女の落ち着いた口調と、柔らかく朗らかな声音に意識は傾いた。
本人は、どうやらあれで自分を不美人だと思っているらしいが、大間違いだと声を大にして言いたい。いや、言えない(※どっちだ)
いま、こうしてゼローナ風のゆったりした菫色のワンピースをまとう彼女は可愛い。
テーブルに備えつけられた夜光石の明かりはふんわりと控えめで、赤みがかった金髪に包まれたなめらかな頬と琥珀色の瞳を優しく照らす。
――……だめだ、このまま対面でふつうに彼女を見ていられる自信がない。
それで、苦肉の策だった。
ソファーから立ち上がり、まだ座っていなかった彼女の元まで近づいた。
ほんわかした風情で小首を傾げ、こちらを見返すのがどうにもこそばゆい。
マナーとして、本当の二人っきりになるわけにはいかない。だからこそ少しでも近侍から離れて、並んで腰掛けられる窓辺の長椅子に誘ったわけだが。
「え? ええ。はい」
ちらり、と背後――侍女が控えているだろう隣室へと続く、ひらいた扉――を気にする彼女に、むくむくと良からぬ気持ちが働いたのは否めない。
小柄な彼女に合わせて屈み、やや下から覗き込むように提案した。
なぜ、できるだけきみと近くで、隣り合って座りたいのか。
格好悪いくらい、如何にももっともらしい理由で完全武装して。
「…………だめ?」
「!!」
驚いてみひらいた彼女に心が快哉を叫んだ。
王太子殿下から任された事件も当然大事。
だけど、少しでも、きみに好かれているなら。
(もっと近づきたい。気持ちの上で、きみに求められてみたい)
宴で注がれた蜂蜜酒なんか比較にならないほどの甘やかさが広がる。
反動で、口元には清々しい微笑をたたえて。
エスコートに差し出した手に重ねられた指はほんのりつめたく、そのぶん、自分の掌が熱いんだとわかる。
――この熱が、きみに伝わればいい。
性急にならないようにだけは気をつけて、柔らかな手を下から、やんわりと包み込んだ。
* * *
「ウィリアムさん。だめですよ、貴方。さっき、わざわざ邪魔しに行こうとしたでしょう……!」
「!? ひっ、人聞きの悪い。俺はただ、明日以降の日程変更を」
「ちょっと黙って。猿轡でもしてほしいの?」
「冗談ですよね」
「あら、本気ですよ」
「……」
「……」
「えーと……すみません」
「よろしい。ではお静かに」
「はあ」
――おいおい嘘だろ? と、訝しげな視線で抗議を送るも、目の前の侍女殿は手強い笑顔を浮かべたまま。後ろ手の拘束を解いてくれる気配はない。
(しくじった)
黄昏れて床に座り込んだウィリアムは、今回の任務の真なる要所について、今、ようやく悟った。
護衛は当たり前として、なぜ公爵家の嫡子ともあろうレナードが、わざわざ冒険者ギルドまで赴いて上級依頼を出したのか。
『上級』とは、ギルド階級でいうところの白銀以上の冒険者を雇うためのランク付けだ。
要人警護など、貴族に関わる仕事の多くはそれなりの言葉遣いや礼儀作法を求められる。必須と言っていい。
ウィリアムは一応腕っぷしに覚えがあり、騎士に準じる立ち居振る舞いもできると自負している。
よって、ギルドからの推薦を受けた最終面談でレナードから確認をされたのが、これだった。
“きみは、何が何でも妹を守れるか? どんな輩からも”
――は? と律儀に訊き返したウィリアムに、レナードは淡々と同行者の北公令息についての情報を漏らした。
そこで察したのが、兄としての危惧。真意は嫁入り前の妹君の微妙な身辺警護であり、不必要に二人が接近するのを阻めというもので。
解釈は間違っていなかった、はず……なのに。
(聞いてねえぞ!!! 元・黄金ランクの女冒険者が侍女やってるとか!!?)
「何です? ウィリアムさん」
「なんでも……ないです。あの、コレットさん?」
「はい?」
いそいそと扉から隣室を窺い、そわそわと頬を染めて戻る先達の猛者に、いささかの毒気を抜かれながら問う。
「俺、けっこう頑張ってると思うんです。なので、コレットさんからもギルドに口添えしてもらえませんか。ご子息の依頼達成度。無理っすよ。相手が公爵お抱えの大先輩じゃ、勝ち目なんか無い」
「あら、うふふ。いいわよ?」
レナード様も、その辺は詰めが甘くていらっしゃるのよね――と、悠々とテーブルに向かう。置いてあったペンを取り、さらさらと何かを書き付ける。
ウィリアムは尋ねた。「それは?」
「旦那様への報告書よ。こちらに背を向けてらっしゃるから、あんなに小さなお声で会話されちゃ内容はわからないけど。状況だけはお知らせしないと」
「はあ」
プロっすね……という呟きは、やはり軽やかに笑い飛ばされた。
星の瞬くオアシスの夜空を見上げ、並んで背もたれのない長椅子に腰掛けているという。
おそらく、どう見てもいい雰囲気に違いない彼らの進展は、明日以降の旅程でも阻めないのでは……というのが、堅実な仕事ぶりで数多の依頼をこなしてきた白銀ランク冒険者・ウィリアムの見立てだった。




