94.初めての観劇
魔王とのデート当日。可愛いイブニングドレスは薄桃色で、スカートがふわりと広がっている。向こうでは長い手袋をしていたけれど、手荒れがなくなった今では必要もない。胸元を飾るのは連れて来られて数日後の式典で付けた大きな青い宝石がついたネックレスで、王宮での舞踏会並みの着飾りだった。
隣に立つ魔王の装いは式典のときほど華美ではないものの、白いシャツも赤茶色のズボンも上質そのものだ。
そして、デートは移動も楽しむものだと劇場までは馬車だった。窓から見えた劇場は大きく、専用の入口で下りれば大勢に出迎えられた。久しぶりに特権階級として扱われ、ボロが出ないかヒヤヒヤする。
歩く廊下は赤い絨毯が敷かれ、足が沈むほど柔らかい。壁に飾られている絵も、花が生けられている花瓶も、ちょっとしたランプでさえも芸術の髄が詰まっていそうだ。格式高い雰囲気にのまれた私は、黙って魔王様の隣を歩くことしかできない。
そうやって圧倒されていたものだから、「こちらがお席です」という言葉と同時にドアを開けられた時、思わず声が漏れた。
「貴賓室……」
テーブルやソファーがある豪華な部屋で、奥のドアが劇場へとつながっているのだろう。控室なのだが、城の応接室と同じぐらい豪奢だ。
思わず魔王を見上げれば、ニコリと微笑まれた。彼の行動と性格で意識が薄れていたのだけれど、何と言ったって彼はこの国の王だ。王族や貴族向けの貴賓室に通されるのは当然。
魔王は私の手を取って椅子までエスコートをしてくれる。席に着けば、案内の人が給仕もしてくれるようで、冷たい果実水を用意してくれた。至れり尽くせりで、淑女の微笑みで対応する。
「まだ早いから、何か食べないか? ここは一通りのものはそろっているからな」
何度か来たことがあるのだろう。メニューを広げて見せてくれる魔王は手慣れていて、豪華すぎる部屋に落ち着かない私とは大違いだ。
「えっと……何がいいのでしょう」
メニューを見せられても、昨日の激辛郷土料理とは別の意味で料理が分からない。王都の料理屋では聞いたことがない名前が並んでいる。こういう時は、相手に丸投げするほうがいい。
「そうだな。このミルヴェーゼは前城で出た時に気に入って食べていたぞ」
「では、そちらにします」
即断即決。他の選択肢が出る前に決めた。
「なら、俺はカジリアンを」
魔王がそう係の人に伝えると、静かに礼をして出て行った。
「あの、ゼファル様はよくいらっしゃるのですか?」
二人だけになったので、少し気を抜いて話しかける。四角いテーブルの向こうに座っている魔王は、私を見つめ微笑みを濃くする。
「年に数回は来るが、全部公務だな。だから、リリアと来たのがプライベートでは初めてになる」
「そ、そうなんですね」
部屋のせいか、着ている服のせいか、いつもより魔王が輝いて見えて顔に熱が帯びる。視線を合わしているのが気恥ずかしくて、果実水に口をつけた。果実水は数種類の果物から作られているようで、酸味と甘さのバランスがちょうどいい。
魔王も同じタイミングで果実水を飲んでいて、穏やかな沈黙が流れる。その静けさを破ったのは魔王だった。
「こうやって見ると、リリアは貴族のご令嬢だったんだなと実感するよ」
「いえ、振る舞いを身につけただけです。感覚は庶民と変わりませんわ。今だって、とても緊張していますもの」
正直にそう答えれば、魔王はくっくっと喉の奥で笑った。優しい甘さをもった蜂蜜色の目が細められる。
「そんなリリアがいいんだ。いつだって自然体のリリアが一番可愛くて美しい」
さらりとそんな台詞が飛び出してきて、視線が泳いでしまう。
「お酒を飲んでいませんよね!?」
「いたって素面だが?」
そっちのほうが問題だ。
まずい、今日のゼファル様なんか違うわ。こう……狙い定めらえた獲物の気持ちになってくる。
小動物の危機感を抱いていると、ドアがノックされ料理が運ばれてきた。ミルヴェーゼはクレープ生地の上にアイスと果物が乗ったデザートだ。お昼が軽めだったのでちょうどいい。
魔王が頼んだものは皿の上に丸ごと焼かれたりんごが乗っていて、ナイフで切れば中からクリームが流れ出していた。付け合わせに小さなパイが置かれていて、一緒に食べるようだ。
「おいしいですね」
「あぁ、こうしてゆったりと過ごせるのは随分久しぶりな気がする」
「最近お忙しそうでしたものね」
明らかに水晶が現れる頻度が減ったし、最近は食事を一緒にすることも稀だった。
「あぁ……旗色の悪い西に追加で遠征部隊を送ることになって……おっとすまない。今日は仕事の話をするつもりはなくてだな」
少し疲れた表情を見せた魔王だが、すぐに引っ込めると朗らかに笑う。こういう顔の切り替えの早さも王たる資格なのだろう。
「いえ、魔王様もせっかくのお休みなので、息抜きをされてくださいな」
「リリアを見ているだけで十分癒されているよ。欲を言えば、毎日執務室にいて俺の秘書をやってほしい」
「調子に乗らないでください」
少し優しい言葉をかければすぐこれだ。
おしゃべりを楽しみながら、クレープ生地を切り分けてアイスと果物を巻いて食べる。アイスも好き、果物も好き、それが合わさってクレープまであればおいしくないわけがない。
そしてデザートを食べ終わったところで開演時間が近づき、私たちはドアから劇場の貴賓席へと案内されたのだった。




