81.地獄の味
料理の名前は地獄火炎スープ。
あー、これ、よく考えたら字面がすごいわね。
考えたくない。考えたくないが、すごく辛そうな気がしてきた。だけど、ロウの手前引くわけにはいかない。
しばらくあっちがよかったんじゃ、こっちは辛くないんじゃとメニューとにらめっこしていたら、ドアがノックされて料理が運ばれてきた。
「お料理をお持ちいたしました」
ドアが開いた瞬間、とても食欲をそそるスパイスの香りがしてつばを飲み込んだ。カートには大きな器が二つ乗っていて、他の料理が並べられた後にそれぞれの前に置かれた。
「こちらが浮雲でございます」
目で合図をしたロウの前に置かれたのは、深い器の上にこんもりと白い泡のようなものが浮かんでいるスープだ。だけどスープは見えない。洗濯物の泡にしか見えなくて、食べ物なのかと疑ってしまう。得体のしれない料理から目が離せない私の前に、ついに未知の料理がやってくる。
「地獄火炎でございます」
「うわぁ……」
真っ赤だった。湯気とともに刺激が鼻と目を襲い、食べる前から戦意をそがれる。
弱気になっちゃだめよ。情けない姿は見せられないわ!
意地でも食べてやるわと気合を入れていると、給仕係は小さな深皿を二つずつロウと私の前に置いて出て行った。謎の器が増えたが気にしていられない。
大きな器を凝視して覚悟を決めスプーンに手を伸ばした時、ロウが立ち上がった。左手で大きなさじを取って私の真っ赤なスープをすくうと小さな深皿にいれる。そして私の目の前に置かれた深皿には具とスープが少なめによそわれていた。
「……え?」
人の料理に手を出すなんて非常識で、理解しがたい行動に顔が強張る。さらにロウは、自分の深皿にも並々よそったのだ。横取りかと思ったが、それと同時に下町ではシチューを大鍋からよそって売る店もがあったことを思い出す。
ロウは続いて自分の白い泡のスープも同様に分け、気が進まなさそうな声で説明をする。
「私の故郷では大皿文化といって、一つの料理を皆で分けるんだ。このスープは一人用だが、まずはそれだけ食べてみろ」
と顎で指された小さな器には、スプーンですくえば二三口で終わりそうな量が入っていて、侮られているのが丸わかりだ。しかも伯爵家にいた頃に出された、野菜の切れ端が入ったわずかなスープの記憶も引きずり出されて、惨めさすら感じる。
「……言われなくても食べるわよ」
今まで食べ物で苦労してきたから、残すなんてありえない。私は気概を見せつけるためにたっぷり具と赤い野菜をスープと一緒にすくい、一思いに口の中にいれた。
「あ、ばかっ」
焦った声が聞こえたなと思った瞬間、口の中で辛さが炸裂した。咽せるのを我慢しようとして、噛めば舌が焼けたような痛さに襲われ、涙ながらに飲み込んだ。急いでハンカチを取り出し、口に当ててむせ返る。息苦しくて、涙が止まらない。
「この見た目で一気に行くやつがいるかよ。しかも唐辛子丸々」
こいつ、こうなるって分かってたのね! 最低!
口も唇も痛くて、なんならスープが通った喉も、そして胃も熱い。
嵌められた怒りをぶちまけたくても言葉を出せなくて、殺気を込めて睨みつけた。ぼろぼろと涙が零れる。こっちが苦しんでいるのに、ロウは喉の奥で笑い悠々と激辛スープを飲んでいた。
「……あんた、化け物?」
辛さが少し引き、涙を拭いながら恨めしさを込めてそう言えば、二杯目をよそうロウは口端をあげて挑発的な笑みを浮かべた。
「私はお前とは違うんだよ。まだ辛さが足りないほどだ」
「……それ、もう舌が麻痺してるんじゃありません? 味わかってます?」
「辛さの中に旨味があるんだ。お前こそ、お子様の舌では感じ取れないだろう」
嫌味の応酬が続き、私は負けじともう一匙、さっきよりは少ない量を口に入れた。火が走ったように辛くて、痺れもくる。それでも一口目よりは具材を噛んでみた。肉のおいしさを感じられて、スープにも辛さの奥のおいしさがある気がした。
しっかり咀嚼して飲み込む。正直辛さの方が勝るけれど、不思議ともう一口食べたくなってくる。
「おいしくなくは、ないですね」
意地もあるけれど、よそわれた分は全部食べた。
「へぇ、根性あるな。溜飲も下がったことだし、あとは私が食べるからお前はそっちの白いスープにしておけ」
「なんですか、溜飲って……」
嫌われてはいるだろうけど、拷問のようなスープを飲まされるという嫌がらせを受けるようなことはしていないはずだ。憮然とした表情で白い泡が乗ったスープを引き寄せると、ロウの不機嫌な声が返って来た。
「俺が今ここにいるのはお前が原因だぞ?」
「え、なんでです?」




