21.嫌なことには、嫌って言う
「え……」
魔王は好物を取り上げられた子供のような悲壮な顔になって、怒りとは違う反応に怯みそうになるが、勇気を振り絞る。
「正直いつ見られているかと思うと落ち着きませんし、夜も気になって目が覚めてしまいます……。その、気にかけてくださるのはありがたいのですが……」
魔王がどんどん泣きそうな情けない顔になっていくので、後半は勢いがそがれてしまった。なんだか虐めているみたいな気分になってしまう。”やっぱり大丈夫です”という言葉が、喉元まで出かかった。
……どうしよう。このまま言ってもいいの?
今までは相手の怒りや不愉快さを感じると、自分の本音を隠して嘘をついてきた。それが穏便に済ます一番の方法だったから。少し弱気が顔を覗かせ、魔王の反応を伺っているとヒュリス様が魔王へと顔を向けた。
「それに関しては私も同意見です。魔王様、リリア様が嫌がっている以上、これは立派なストーカー、犯罪です」
「え、ヒュリス?」
そこに、ティーポットをテーブルに置いたシェラも加わる。
「リリア様の心身の健康を預かる侍女としても賛同します。リリア様は嫌がっているように思えますし、一人の紳士としてもいかがなものかと」
「シェラまで……」
ヒュリス様とシェラが味方についてくれて、的確に援護をしてくれる。心強くて、不安が晴れていく。だから、一歩が踏み出せた。
「……とても嫌です」
そう言葉に出したとたん、すごくすっきりした。自分の気持ちをそのまま伝えられたことに感動する。逆に魔王は目に見えてへこんでいて、親の顔色を伺う子どものようにちらりと視線を向けると口を開いた。
「じゃあ……見てるって分かればいいのか?」
「そうじゃないでしょう」
「嫌です」
間髪入れずに返した私たちの声が重なった。
「けど、リリアが見られないなんて耐えられない! それに、もしリリアに何かあったらすぐに助けにいけるだろ!?」
「シェラがいます」
ここで引いたらいけないと、私は魔王から視線を外さない。
「全力でお守りします」
シェラも私の隣に立って魔王に立ち向かってくれる。
「シェラより俺の方が強い!」
「魔王様、会いたくなったら直接会えばいいじゃありませんか」
「それはリリアの時間を邪魔するから悪い。俺は見ているだけで十分なんだ」
駄々をこねる魔王、頑張って拒否する私、私の援護をしてくれるシェラ、私寄りの妥協案を探そうとするヒュリス様。食事が終わっても話はまとまらず、脳にエネルギーを補給するためにデザートも食べた。
そして交渉の末……。
「わかった。なら、見る時はこの水晶を浮かべる。寝室は絶対に覗かない。……これでいいな」
魔王を完全に諦めさせることはできなかった。仕事をしないとまで言い出したので、私もヒュリス様も折れざるをえなかったのだ。水晶というのは今魔王が浮かべているもので、もともと作業の監視に使うものらしい。そして、私が見られたくない時は、現れた水晶に✕印を手で送れば止めてくれることになった。その代わり、本人が来る可能性があるとは言われたけれど、背に腹は代えられない。
なんとか最大の問題である盗視に決着がついたが、こちらに来てから一番疲れた。この一時間でヒュリス様との間には固い仲間意識が芽生え、握手で労をねぎらう。
「ヒュリス様、ありがとうございました」
「いえ、力及ばず申し訳ありません」
「私だけだったら、押し負けていたと思います」
こんなに自分の気持ちや意見を話したことはなかった。いつも相手がして欲しいことを、言って欲しいことを考えて生きてきた。決定にだけ従って、自分の気持ちも意見も押し殺していた。そして、我慢できなくなって一人になった部屋で、叫びたいのを我慢して呪いのように呟くしかなかった。
すごい……私、嫌って言えるんだ。嘘、つかなかった。
とても疲れたけど、初めての達成感もある。
「ヒュリス! 何リリアの手を触ってるんだ! 俺も握手したい! リリアと握手できるなら、お金だって払う!」
「いらないですし、やめてください」
「気持ちを素直に言ってくれて嬉しい! でも攻撃力が高い」
傷ついたと、慰めてほしいと、うっとうしい視線を向けてくる魔王を無視して、私は気持ちを落ち着かせるためにお茶に口をつける。シェラが小声で「お疲れ様です」と労ってくれた。
「……あ、いっそ俺とリリアがいる空間をくっつけて、互いが見えるようにすればいいんじゃ」
「無理です!」
「どれだけ魔力がいると思っているんですか、現実的ではありません」
すぐさま反対すれば、魔王はぶーたれる。
そして、ヒュリス様はしぶる魔王を「決済する書類があります」と引っ張って行った。私はやっと休めると自室に戻り、早々に部屋に現れた水晶に向かって大きく✕印を見せつけるのだった。




