第六章 名を探す人たちへ
祇園の通りは、今日も賑わっている。
季節を問わず、人の流れは絶えない。言葉は混じり、服装は変わり、目的もそれぞれだ。
写真を撮る者もいれば、地図を見失う者もいる。この場所は、もう「静か」ではない。
それでも、この会社の中に入ると、空気が少しだけ変わる。音が減るわけではない。
人が少なくなるわけでもない。
ただ、動きが揃いはじめる。席に座り、器を待ち、目の前に置かれた一杯を見る。
深い緑色。
光を吸い込むような濃さ。
表面には、細かな泡が均一に並んでいる。
説明はない。産地も、工程も、語られない。
だが、飲めば分かる。苦いのに、尖らない。濃いのに、重くならない。
口の中で終わらず、鼻に抜け、しばらく残る。
添えられた甘味も、同じだ。甘いが、主張しない。
小豆の輪郭が先に立ち、そのあとに茶が来る。
この順番が、崩れていない。
ここに来る人の多くは、最初からこの店を目指していない。通りすがりに立ち止まり、行列を見て、理由も分からないまま並ぶ。
そして、一杯を飲み終えたあと、誰かがこう言う。
「これ、どこのだろう」
声に出す者もいれば、スマートフォンを取り出す者もいる。
器の底や、包み紙の端を、そっと確かめる者もいる。
名前を探しているのだ。
この会社は、その瞬間を知っている。
感動したからではない。衝撃を受けたからでもない。
基準のある味に、出会ってしまったときに、人は名前を知りたくなる。
持ち帰った菓子も、同じだ。
箱のようで箱ではない包み。一枚の紙を折り重ねただけの装い。
開くとき、少しだけ手間がかかる。だが、その間に、気持ちが整う。
誰かに渡す前に、一度、自分の手で確かめたくなる。
それは贈り物というより、手紙に近い。
この会社が包みをそう考えてきたことを、知らなくても構わない。
だが、触れれば、どこかでそれを感じ取る。
だから、人は帰り道に、もう一度名前を探す。
店を出てから。
祇園を離れてから。
あるいは、家に戻ってから。
検索窓に打ち込まれるのは、
派手な言葉ではない。
「抹茶」
「祇園」
「さっきの店」
その先で、ようやく名前に辿り着く。
祇園辻利。
この会社は、名前を覚えてもらうために、商いをしてきたわけではない。
だが、基準を使い続けてきた結果として、名前が残った。
石臼は、今日も同じ速さで回っている。
甘さも、濃さも、香りも、変わらない。
変わったのは、その一杯に出会う人の数だけだ。
この会社は、これからも語らない。
代わりに、挽き、点て、包み、出す。
そしてまた、誰かが名を探す。
それでいいと、この会社は知っている。




