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祇園で挽かれ続ける時間 ― 京都、ある茶舗の記録  作者: 百花繚乱


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第一章 一杯を信じるということ

この会社が最初に持っていたのは、未来の計画ではなかった。

資本でも、人脈でも、拡大の構想でもない。

あったのは、ひとつの基準だけだった。

――良い茶とは、何か。

幕末。世の中は大きく揺れていた。身分が崩れ、商いの形が変わり、人の価値観が入れ替わっていく時代だった。

何を信じればいいのか、誰もが分からなくなっていた。

そんな時代に、この会社は茶を扱い始めた。

茶は、主役ではなかった。

腹を満たすものでも、命をつなぐものでもない。

それでも、湯を沸かし、葉を選び、挽いて、点てる。

その一連の行為には、不思議な静けさがあった。

混乱の中にあっても、茶の良し悪しだけは、嘘をつかなかった。

香りは正直で、色は隠せず、味は必ず口の中で答えを出した。

だから、この会社は考えた。

時代が変わっても、人が変わっても、

変わらない判断基準が一つあれば、商いは続けられるのではないかと。

良いか、そうでないか。

売れるかどうかよりも、その方が先だった。


その基準は、やがて外の世界へも連れて行かれる。

海を渡り、文化の違う土地で茶を出すことになったときも、この会社は迷わなかった。

好みに合わせることは簡単だった。甘くすることも、香りを強くすることもできた。

だが、それをすれば、基準が揺らぐ。

この会社が恐れていたのは、売れないことではない。

自分たちが、何を良いと判断しているのか分からなくなることだった。

だから、挽き方は変えなかった。

合組の考え方も変えなかった。

売れ行きより、臼の中の感触を信じた。


戦争が終わり、すべてが失われたときも、同じだった。

場所も、道具も、人もない。

それでも残っていたのは、その基準だけだった。

人が集まる場所で、茶を出す。

祇園という街を選んだ理由も、単純だった。

賑わいの中でこそ、静かな一杯の意味がはっきりする。

客が来なくても、続けた。理解されなくても、続けた。

それは我慢ではなかった。

信じていることを、毎日確かめていただけだった。

時代が進み、効率が求められるようになっても、この会社は速くしなかった。

速さは結果を早く出すが、判断を浅くする。

この会社が欲しかったのは、早い答えではなく、確かな答えだった。

だから今日も、同じ速さで挽いている。

昨日と同じように。

明日も迷わないために。

この会社の歴史は、挑戦の物語ではない。

信じた基準を、手放さなかった記録だ。

そして今も、京都・祇園の奥で、石臼は回っている。

その音は、創業の日と、ほとんど変わらない。

**祇園辻利**は、

一杯を信じるという、最も地味で、最も難しい仕事を、今日も続けている。

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