69.アメリア・リコリス(ヌーメリア視点)
よろしくお願いします。
その日の朝、ヌーメリアはひとりで、入院中の母メラニー・リコリスを見舞うために病院を訪れていた。個室の病床に横たわるメラニーは記憶にある母よりもちいさく縮んだようだ。マライアと同じつやのある栗色だった髪は、白髪のほうが増えている、
メラニーはこのところまどろむことが増えた。あれほどかわいがって育てた娘のマライアは、ちっとも顔をみせない。
「お母様……おひさしぶりです」
ぼんやりとヌーメリアに目をむけたメラニーは、「……アメリア……」と小さくつぶやく。
「……お母様?」
夢の中では灰色の髪と瞳を持つ貴婦人が、メラニーをよんでいた。今目の前にいる娘は、なんて『彼女』にそっくりなんだろう。
『彼女』の灰色の瞳がだいすきだったのに、ヌーメリアの『灰色の瞳』は怖くてしかたない。それは自分のやましさからくるもので、メラニーは目をそむけた。
「……なんでもないわ」
ヌーメリアは遮音障壁を展開し、そっとメラニーにはなしかけた。
「……そんなに『アメリア・リコリス』に似ていますか?あなたが『ドブネズミ』とよんだ娘は」
ギョッとしたように視線をもどしたメラニーが見たのは、怒りに満ちた灰色の瞳。この娘はこれほどの強さの視線を今まで向けたことがあったろうか。
「お母様……いいえ、『嘘つき』と呼ぶべきかしら?メラニー……あなたたち夫婦は、私の両親から領主の座をうばったのですって?あなたたちは領主のいとこにしか過ぎなかった」
メラニーは、あえいだ。
「じ、事故よ!彼らが死んだのは……私たちはなにもしてない……」
「事故で亡くなったのはリコリス家の当主ガルロシュ・リコリス、そして妻のアメリア・リコリス……母は灰色の髪と瞳をもち、『灰色の貴婦人』と呼ばれていたそうね?……あなたたちは幼い私を跡継ぎにするという条件で、領主の座についた」
「お前は小さくて面倒をみる者が必要で……それに事故のことを聞かせるのはよくないと思って……」
「お陰で私はあなたが本当の母親だと思いこまされたわ。それだけではなく、あなたたちはマライアにリコリス家を継がせたかった……マライアをたきつけ私を孤立させたのはあなたね?」
どんなに愛されたいと思っても、愛されないわけだ。
私は彼女たちにとって、ほんとうの邪魔者だったのだから。
それなのに、私がダメだからだと思いこまされた。
それでどれだけ人生を狂わされたことか。
母と思っていた人は、かつては美しいと思えたその顔を、みにくくゆがませた。
「だってマライアは!お前よりずっと……美しく利発で、領主家にふさわしい素晴らしい娘よ!いい夫をむかえて領主としてもちゃんとやっているわ!」
「……ご存知?デレク・リコリスは借金だらけで首が回らないそうよ……ギブスという高利貸しにも金を借りているのですって」
メラニーは、おどろいて目を見開いた。
「な、なんですって⁉ギブス氏が?マライアは……ギブス氏の事をとてもほめて……素晴らしい方だって……」
「ええ……マライアはギブス氏と、とても親しいそうですから……デレクと別れて彼とやりなおしたいそうよ」
「なっ、なにをいうの⁉マライアがそんな……」
メラニーは青ざめ、ベッドのシーツをにぎりしめる。母親にとっては、子どもはいつまでも善良で無垢な存在なのだろうか。それともあんな女でも、母親には素直なよい娘の顔をしているのだろうか。胸にひろがるにがい想いをかみしめ、ヌーメリアはもうひとつの疑問を口にする。
「十一年前に帰郷した時、私とマイクの仲を壊すためにマライアをマイクにけしかけたのはあなた?それとも亡くなった義父?」
「な……んですって?」
メラニーは息をのんだ。ヌーメリアはその顔をみて確信した。ああ、彼女は知っている、と。
「私たちが結婚すれば領主の座をうばわれるとでもおもった?どうしても私を結婚させたくなかったのね……アレクはマイクの息子でしょう?」
王城の連絡通路で会ったカイラの腰に抱きつく男の子……その姿がどうしてもアレクと重なる。
「アレクはあなたの孫でもあるのに……どうしてあんな仕打ちを許すのですか!」
「し、知らない……私は何も……」
帰郷を機にマイクは露骨にヌーメリアを避けるようになった。
「僕は……きみの家族とはうまくやっていけそうにない……すまない」
王都で暮らすのだから、実家の家族とはそれほど顔を合わすことはない……そう泣きながら訴えても、マイクとの仲は元にもどることはなかった。
アレクを見つけて、ようやく私は過去になにがあったのかをさとった。
マイクは私にいえなかったのだ。何もいえずに、逃げだしたのだ。
わたしは彼が大切なら、彼をここに連れてきてはいけなかったのに。
幼い私たちは無邪気過ぎたのだろう……無防備に飛び込んで、ここの人間達の意地汚い思惑にふりまわされてしまった。
「私とマイクはあなたたち夫婦に交際を認めてもらったら、卒業後はそのまま王都で就職して、リコリスには帰らないつもりだったのに……」
認めてもらえなくても、まさかこのような仕打ちをされるとまでは思わなかった。
「ほ、保険だといったのよ……あの人が、もしあなた達が結婚したとしても、マライアの子ならば、大人しいあなたは自分の息子として受けいれるだろうって!そうしたらマライアの子が領主の座を継ぐのは変わらないからって!」
「……ではお義父様が?……道具として使うためにアレクを?」
それだけのために。
こんなちっぽけな町の領主の地位のために。
そんな祝福されない生まれをアレクに与えたのか。
デレクはアレクが自分の子でないと知っていて、あの子を殴るのだ。
領主の座についた今、マライアにとってもアレクは再婚のじゃまでしかない。
「腐っているわ!」
ヌーメリアが叫ぶのと、メラニーが胸を押さえてくずれ落ちたのは同時だった。
ヌーメリアは遮音障壁を消すと、すべるように部屋をでて看護師に声をかける。看護師たちがバタバタと医師を呼びにいくにまかせて、ふりかえりもせず病院をでていった。
(メラニー……)
灰色の髪と瞳を持つ貴婦人が、メラニーをよんでいた。
(メラニー……私達に何かあったら……この子を……ヌーメリアをお願いね、ガルロシュのいとこのあなたたちなら安心してまかせられるわ)
幼いマライアが足元にまとわりつき、それをあやしながらメラニーは答えた。
『まかせてアメリア、でもあなたたちが無事にもどってくるのがいちばんよ!リコリスの領主なんですもの』
なにもかも輝いてみえたあのころ……裏切りの代償は、かけがえのない『友人』。
領主の座が転がりこんできたとき、親友の娘をたいせつに守り育てていこうと夫と誓った。
そんな誓いは『領主夫妻』とよばれる日々に、あやふやになっていく。
いくら厳しくしつけても、『灰色の娘』は期待外れのまま、おどおどして服もよく汚す。
姉のマライアは美しく才気にあふれ、行く先々で『領主のご令嬢』とほめそやされるのに。
『領主を継ぐのは妹のヌーメリア』などと、いえなくなった。
そんなことになったら、マライアがかわいそう。
『ヌーメリアが結婚したら、領主家を継ぐですって⁉嫌よ!そんなことさせないわ!ヌーメリアに結婚なんてさせない!』
マライアは自分が婚約したとき、その話を教えられ怒り狂ったのだ。
ヌーメリアがマイクという名の青年をつれて帰郷したとき、マライアの様子はあきらかにおかしかった。
マライアの妊娠が分かったのは、ヌーメリアたちが王都に戻りしばらくしてからだ。
ヌーメリアたちの仲を壊せればそれで良かったので、マライアは子どもを産みたがらなかったが、領主はそれを許さなかった。
婚約者のデレクは怒りくるったが、領主夫妻の必死のとりなしに渋々マライアと籍をいれ、アレクを自分の息子とした。
だが真面目な青年だったデレクは、人が変わったようになり、マライアとの仲は戻ることはなく冷えきったままだ。
どこをどうかけちがえてしまったのか。今感じる痛みは胸の痛みか、それとも心の痛みか……。老婦人は胸を押さえてつぶやきつづけた。
「許して……許して……アメリア……」
父親と目が合ったとき、アレクは背中がぞくりとした。あわてて目をふせたが遅かった。
「アレクか……お前、父親に向かってなんだ?その目は!」
「……なんでも、ありません……ごめんなさい、お父様……」
デレクはぎょろりとアレクの全身に目を走らせ、その左手首にはめている魔石のついた腕輪に目をとめると、アレクの腕をつかみ上げた。
「あっ!」
「これが魔力をおさえる魔道具か……見せてみろ」
魔石のなかでゆらぐ魔力の光を認めると、デレクの目が残忍に光る。
「うれしいか?アレク、自分に魔力があると……『魔力持ち』と分かってうれしいか?」
「僕……僕は……これで、魔道具を壊さなくてすむ……って……」
「嘘をつけ!お前もあいつらみたいに俺を馬鹿にしてるんだろう!」
「い……痛いっ!はなしてっ!」
デレクは悲鳴をあげるアレクを、恐ろしい力で自分の書斎にひきずりこんだ。
「やめてっ!やめてよっ、お父様!」
アレクの懇願を無視して、デレクは書斎のおもい金庫の扉を開ける。領主館の金庫は大人が身をかがめれば、かろうじて中に入れるほどのひろさがあった。
「ここなら、いくらさわいでも外に音は聞こえん。大人しくしてろ!」
デレクはアレクをそこに放りこみ、金庫の扉を閉めてしまった。真っ暗な中に閉じこめられたアレクは、あわてて扉に取りつく。
「嫌だぁ!開けて!開けてよ!ここからだして!」
叩いても叫んでも扉はびくともしない。アレクはぼうぜんと座り込む。息苦しさに気がくるいそうだ。
「はぁっ……はっ……なんで……どうして……」
暗闇のなか、ヌーメリアがくれた腕輪の魔石だけがほのかな光を発していた。それだけが、アレクが今生きている証明のようで、アレクはそれを守るようにかきいだく。
「……助けて……ヌーメリア……」
たぶん、ヌーメリアは自分の事だけであればここまで怒らなかったと思います。
誤字修正しました。ご報告ありがとうございました。









