560.きみに贈り物を
エクグラシアを出発する少し前、タクラのあわただしい日々で、わたしはユーリに頼みこむ。
「ユーリ、石に魔法陣を刻むやりかたを教えてほしいの!」
「急にどうしたんですか、ネリア」
きょとんとしているユーリに、わたしはビロードの四角い小箱を見せる。パカッと開けると中にはうずらの卵ぐらいの大きさをした、深みのある黄緑の石が入っていた。
『ネリィがそれに魔法陣を刻みなさいよ。そしたら私がブローチに仕立ててあげる。それを彼にプレゼントすればいいわ。だれからも注目されるところに留めてもらうの』
ミーナに勧められてその気になったけれど、魔術師団長への贈り物は思ったよりもハードルが高い。たぶん魔術に関係ないほうが、受け取ってくれる確率は高いだろう。わたしはちらりと手元の箱を見た。
透明度の高いペリドットは、わたしの瞳に使われているものと品質は変わらない。
(きれいだし、わたしも紫陽石のピアスをもらってから、彼のことをだいぶ意識するようになったんだもの……やっぱりちゃんとしたものを作りたい)
「レオポルドほど上手じゃないけど、わたしもこれに魔法陣を刻んで彼に渡したくて」
しばらくじーっと小箱の中にある石を眺めてから、ユーリは不思議そうにわたしに聞いてくる。
「ペリドットは夫婦愛や幸せ、希望の象徴ですし贈り物としてもよさそうです。それよりなんで今まで思いつかなかったんですか?」
「男の人に宝石を送るという発想がなくて。レオポルドの護符は実用品だと思ってたし……」
わたしが護符を作るとしても、つけられる効果なんてたかが知れている。魔術師団長が身に着ける品物にはふさわしくない。ユーリは肝心なところで抜けているわたしに苦笑いした。
「気持ちですからね。それでどんな効果を刻むつもりですか?」
「えと……何がいいかな。わたしとしては彼が元気でキラキラしててくれれば、それでいいんだけど」
「それ、ふだんから彼はそうですよね……」
相手に望むこと。それを考えると待って詰まってしまう。もっと好きになってほしいとか、こちらを見つめてほしいとか、そんなふうには考えられなくて。わたしとしては彼が健康で生きていてくれれば、息をしているだけでじゅうぶんだと思ってしまう。
「複雑な魔導回路を構築しても、ネリアに刻むのは難しそうだし……」
「う……でも自分でやりたいの」
うーんと考えて、ユーリはパッと思いつくと教えてくれる。
「じゃあ古代文様を組み合わせたらどうですか。それなら形自体は単純にできますよ」
「やってみる!」
とりあえず使えそうな文様を紙に書きだしていると、ユーリが手元をのぞきこんできた。
「ネリア……贈り物はみんなにも見える位置につけるんです。〇▽◇とか刻んでも美しくありません。それにどうして倉庫に貼る文様書くんですか」
「虫よけと抗菌だから……虫刺され防止と感染症予防?」
レオポルドがあちこちでかけるときに役立つと思う。わたし的にも虫はイヤだ、ぜったい。けれどユーリは頭をガリガリとかいて首をひねる。
「そういうのはふつうに『幸運』とかにするんですよ。こっちの文様は?」
「あ、それは肌荒れ防止と髪のツヤ。だいじじゃん」
「はぁ……」
これは個人的な趣味なんだけど、レオポルドの顔にニキビができたら、きっとそっちが気になってしかたがない。それとレオポルドの髪に枝毛ができたら……以下同文。
思いつかないといいつつ、書きはじめたらモリモリでてきて、逆に候補を絞るのが大変そう。
「えっとそれは?」
「眼精疲労防止。術式書きすぎたら目が疲れそうだしね!」
ロビンス先生仕込みの極小魔法陣は、刻む術式の線が異常に細い。レオポルドはめっちゃ細かい作業をしてピアスを作ってくれたのだ。うれしいけれどまだ他にも作ると聞いて、彼の目が心配になった。だってよく眼鏡をはずすと眉間を指でもんでるし!
「ずいぶんピンポイントですね」
「そうだね。腹痛予防もいれとく?」
胃袋の形をした文様を書き加えると、ユーリはお腹をさすって微妙な顔をした。
「そこは『健康』でいいんじゃないかな。デザイン的にどうも……」
「うーん。そこなんだよねぇ」
わたしがうなっていると、興味をひかれたのかヌーメリアものぞきこんでくる。
「文様もいいですけど……〝おまじない集〟の文言を刻んだらどうかしら」
「おおっ、それいいかも!」
そうだ、魔法陣にこだわる必要もない。わたしは〝おまじない集〟を持ってきてパラパラとめくる。
「どれどれ、恋の呪文は……『私だけを見つめて』……こわっ!」
「なんで怖いんですか」
ユーリの突っ込みに、わたしは正直に答えた。
「レオポルドにガン見されるって、ガクブルした記憶しかないもん」
「ほほぅ」
低い声がすぐ後ろから聞こえて、わたしはぴょんっと飛びあがる。ビクつきながらギクシャクと振り向けば、腕組みをしたレオポルドがわたしを見下ろしている。
婚約したんだよね、わたしたち。彼がわたしを見つめる視線に、甘さも何もないのはどうして⁉
「レオポルド……あっ⁉」
長い腕が伸びてきて、ひょいっとわたしの手元にあった紙を取り上げる。そのまま目の前にかざし、レオポルドは術式を眺めると顔をしかめた。
「この落書きを最高級のペリドットに刻むと?」
「ら、落書きじゃないし!」
これでもまじめに考えている。けれどレオポルドはこめかみに指をあて、悩ましげにため息をついた。
「毎日のようにさせていた魔法陣の修練は、あまり役に立っていないようだな」
レオポルドの眉間にグッとシワが寄った。せっかく最近は減っていたのに。わたしが覚えているのがそれぐらいだから。というか……。
「もしかしてあの書き取り練習、お返しに刻む魔法陣の練習だったの⁉」
ようやく気がついたわたしに、レオポルドはふいっと顔をそらしてブツブツという。
「きみが困らないように気を回したつもりだが、そもそも困ってもいなかったようだ」
ごめん、今気づいた!
「レオポルドが渡した魔法陣、僕に見せてもらえますか?」
「ううう……」
情けなくなりながら、ユーリにたまった魔法陣の小テストを見せれば、彼はヒュウと口笛を吹いた。
「『手伝ってほしい』って、ネリアが泣いてたやつはこれかぁ。あ、でもちょっとロマンチックですね……ふうん」
「…………」
照れたのかレオポルドはふいっと顔をそむけるけれど、どこがロマンチックなのかわたしにはぜんぜんわからない。けれど塔のマリス女史やバルマ副団長も、『情熱的だ』って盛り上がってたなぁ。
「わたし、それを刻めばいいのかな」
「ネリアだとこんな小さな石に刻むのは、まだ無理ですよ。岩ぐらいの大きさならともかく」
「岩」
魔術師団長に岩を贈ったら、それはそれで話題になりそう。
「それでよく私の杖を作るなどと言えるな」
「えええ……」
そもそもそれがプロポーズみたいになって、婚約することになったんだっけ。
「じゃあ婚約破棄……」
とたんに部屋の気温がぐんと下がった。彼が真顔でずいっとつめよる。
「つぎにその言葉を口にするとしたら、私に非があるときだけにしてくれ」
「は、はいっ!」
わかったから早く部屋をあっためてください。今冬なんだから!
「てかさ……わかんないんだけど」
「何が」
「レオポルドってもともと結婚願望なかったじゃん。だれかといっしょに暮らす気もなかったくせに。そんなにわたしと結婚したいの?」
あまりにもストレートに聞いたもんだから、ヌーメリアとユーリが顔色を変えたけれど、レオポルドは軽く小首をかしげただけだった。
「きみと暮らすのは楽しいからな。早く帰りたいと思えるほどには」
「ひゅおっ!」
返事もこれまたストレートで、聞いたわたしが動揺していると、ヌーメリアがくすくす笑う。
「それはわかりますね。居住区での暮らしはとても楽しかったです。アレクと今もその話をしますよ」
「そうなの?」
わたしにとっては最初から居心地がいい場所だったけど、ヌーメリアたちもそんなふうに考えていてくれたのならとてもうれしい。
ヘヘッと笑っていると、レオポルドがわたしを現実に引き戻す。
「それでその石はいつ完成するのだ」
「うっ!」
わたしは彼の顔を見て、手元の石を見て、それから術式の小テストを眺めた。正直、小テストは眺めたくもない。うーんと考えて、わたしはハッと思いつく。
「そうだよ。意味なんて後からつけたっていいんじゃん!」
言うが早いかわたしはペリドットのまわりに、魔法陣を展開する。術式を紡いで魔素を流し、形を思い浮かべて光とともにそれを刻む。
「できた!」
「え、早くないです?」
驚いたユーリがわたしの手から石を取り上げる。それを光にかざして、彼は首をひねった。
「何だろこれ」
「見せてみろ」
ユーリから石を受け取ったレオポルドは、しばらく無言でそれを眺めてから、ふっと笑みをもらす。
「……そういうことか」
「え、レオポルドには意味がわかるんですか?」
「まぁな。確かに受け取った」
満足そうな彼にホッとしたわたしは、それをミーナに預けてブローチにしてもらう。
石を光にかざすと浮かび上がるハートマーク。それを見た人はみんな首をひねるけれど、ちゃんと彼には意味が伝わっているからおもしろい。
『わたしの心をきみにあげる』
だれにもわからない秘密の合言葉みたいに、ペリドットのブローチにはハートが今日も輝いている。
次回はコミカライズスタートとともに更新!
マグカン様からの続報をお待ちください。
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イラストに合わせたSS⑦『レオポルドと乾杯』を用意しました。
560話の閑話の続きです。ふたりの瞳がキッラキラ(語彙力
SS⑧『緑の魔女フラウとアレク』
王都に残るアレクとやってきたヴェリガンの祖母フラウのお話。
SS⑨『身体強化と夏の休日』(2巻裏話)
ネリアが竜舎に行くとユーリとライアス、レコポルドがいて……。
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