558.出発準備
次回でバハムート編完結します。
結局レオポルドはわたしに〝消失の魔法陣〟を拒否した。それだけでなく、わたしにも使わせないという。
翌朝、わたしたちから報告を受けたローラは、金の瞳を光らせて弟子に釘を刺す。
「自分の手で収束させられるなら、魔術師はどんな魔術を使ってもかまわない。だから逆に『使わない』と決めたときも、その責任は自分で取りな」
「はい」
静かにうなずく彼を見つめ、彼女は肩をすくめた。
「あんたは頑固だから、こうと決めたらぜったい意志を曲げないのはわかってた。それからネリア」
「はいっ!」
ローラの視線がこちらに向いて思わず背筋を伸ばすと、彼女はツカツカと歩いてきて、腰に手をかけてわたしの前に立ちはだかる。
「あんたの錬金術がまさかこんな形で、あたしの運命までねじ曲げるとは思わなかったよ。『羊飼いのローラ』……まさかそう呼ばれることになるとはね」
「そ、そうですね……」
わたしも予想してなかったんですけど⁉
「だけどヌーメリアと婿殿がここに残るんなら、退屈はしなさそうだ。それに魔羊たちもよく見るとかわいくてね」
「それはよかったです」
ローラは美意識の塊みたいな女性で、良くも悪くもバハムートには染まらず、現地の生活にもだいぶ影響を与えそうだ。
「あたしはずっと独りを貫いてきたけれど、この年になって孤独を感じるヒマがないというのはね、幸せなことだと思っている。だからエクグラシアには戻らないよ」
「ローラ、べつに永久にバハムートで暮らせというわけじゃ……」
「ここが気に入ったんだよ」
きっぱりと言って、ローラは金の瞳を光らせ、わたしに長い指を突きつける。
「それより……いいかい、こいつらが〝消失の魔法陣〟を使わせないのは、あんたをおとりとして使うつもりだ」
「はい。なるべく死なないようにします」
オドゥ・イグネルの目的は、わたしの体を素材として使うことだ。わたしが〝魔術師の杖〟を作ろうとするように、彼がサルジアに渡ったのも、グレンが持っていた知識を得るためだ。
「あたりまえだろ。いざとなればネリア・ネリス……あんたがいちばんエクグラシアにとって脅威となりうる。その始末をつけるのは、そこにいる竜騎士と王太子だ」
そういって彼女はレオとユーリをギロリとにらんだ。
「ヘマをしたら承知しないよ。彼女を失ったら帰る国はないと思いな」
「もちろんです」
黒髪の竜騎士がひと言返せば、ユーリが眉を下げてわたしに謝る。
「すみません、ネリア。オドゥが何よりもほしいのは、あなただと知っていて……本当は〝消失の魔法陣〟を手に入れたほうが、あなたの身は安全かもしれないのに」
黙って話を聞いていたカイは、腕組みをしてヒュウと口笛を吹いた。
「いつのまにかやっかいなことになってんだな。カナイニラウに来たらどうだ。〝海の精霊〟の加護を受ける俺たちに、サルジアとやらの脅威は届かないぜ」
「そうだけど……目標を失ったら、オドゥが何をするかわからないもの。だからわたしはこのままサルジアに行くよ」
バハムートの最奥で再会したオドゥのことを思えば、ホッとすると同時に言いようのない切なさが胸をよぎる。
(オドゥは間違っている。死者を幸せにすることなんてできない。もし彼らが安心や幸せを感じるとしたら……それは、生きているオドゥ自身が幸せになるしかない)
きっとレオもそれについて考えている。ユーリはさびしそうな顔をした。
「リーエンにとっては〝消失の魔法陣〟が解放の手段でした。子どもだった僕は、何もできなかったけれど……今は違う。かならずあなたの役に立つと誓います」
「うん、よろしくね」
サルジアで何があるかなんて、だれにもわからない。けれど今回の旅はユーリにとっても、決着をつけるための旅だ。
「戦争ですべてのカタをつけるなんてやり方はしない。それは何の解決にもならないから。錬金術を使うときはだれを幸せにするかを考える。それを忘れないようにね」
あらためて宣言すると、王太子は赤い髪をクシャっとして、困ったように笑う。
「とはいえネリアって剛腕ですよね。なんだかんだいってバハムートをサルジアから奪取して拠点にするんですから」
「それはたまたまだよ」
最初は寄港地として利用するのだって、平和的に話し合いで決めるつもりだった。
(どうすればよかったかなんて……きっと最後まで悩むんだろうな)
けれど先頭に立つ者は迷いを見せてはダメだ。ひたすら未来を見つめて前に進む。そうすることでまわりに勇気を与え、解決の糸口はみんなでつかむ。
きっと魔術師団長であるレオポルドだって、今までそうしてきたのだろう。
悩むときもひとりじゃない。そう考えると心がほわりと温かく、そして少し軽くなった。
ハルモニア号の甲板にでてみれば、湿った風が潮の香りを運んでくる。わたしは風に吹かれて水平線を見つめる彼の横顔をそっと眺めた。
新生バハムートでウブルグが造船所を手掛けた港と、ヴェリガンが任された農場、それにローラが受け持つ魔羊牧場の整備はどんどん進んでいる。
食糧問題を解決して、バハムートの人たちに健康な食生活を送ってもらうためにも、農場の整備は欠かせない。
わたしはヌーメリアに三人のサポートをお願いした。
「年代別に健康状態の調査も、しないといけないと思うの。食生活の改善は……いきなりエクグラシアの食文化を採りいれるのではなく、バハムートの人たちに合ったやりかたでやろう」
「人魚たちの調理法を学ぶのもよさそうですね」
「そうだね。魚のすり身を蒸してパンみたいに焼くやつ、屋台でも好評だったもんね」
「ああ、あれか。魔羊の乳で作ったチーズと意外に合うんだよね」
ローラが話に加われば、グストーがぶるりと身を震わせた。
「魔羊の乳を搾るなんて命知らずなこと……考えたこともなかったぜ」
「あたしだからできるんだよ」
ワイワイと相談しながら、全体的な進捗はテルジオに把握してもらっている。彼の仕上げた報告書をみながら、わたしは感心して声を上げた。
「めっちゃいいじゃん、これならうまくいきそう」
「都市計画をイチから作るんですからね。どうすれば物資を効率よく配分できるかとか、私こういうの考えるのは大好きです」
「テルジオさん、すごいよ!」
適材適所とはよく言うけど、ホントばっちりな感じ。
それからレオとふたりで、バハムートの魔石を見に行った。淡い青色に輝く氷の檻に囲まれた、大きなルビーのような血赤の魔石は、創世の時代に生きた古竜の力をまざまざと感じさせる。
「すごいね、この魔石がこれからのバハムートを支えていくんだ」
「ああ。だが無尽蔵ではない。数百年たてば魔素をすべて失い崩れ去るだろう」
「それまでにバハムートの人たちが、魔石に頼らず生きていける術を見つければいい。だいじょうぶだよ」
にっこりと笑って保証すれば、レオもふっと口元をほころばせる。
「きみが言えば何でもうまくいきそうな気がするな」
わたしが氷で滑らないように、手を伸ばして支える彼につかまって、それよりも気になっていたことをたずねる。
「ねぇ、今夜だよ。緊張してない?」
そう。カイに人魚の歌を教わって、今夜はいよいよ本番なのだ。楽譜まで書き取って熱心に練習していたから、だいじょうぶだとは思うけれど、わたしのほうが落ち着かなくてソワソワしてしまう。
「していない……と言えば、ウソになるな。だがカイが言うには歌の出来よりも、きみに心が伝わるかが重要だそうだ」
「じゅ、じゅうぶん伝わってます!」
真っ赤になって言えば、彼はわたしに手を貸しながら楽しそうに笑った。
……あのね、その笑顔は反則なんだよ!









