556.部屋を訪れた理由
バハムート編まもなく完結!
連休中にテンポよく更新するつもりです。
よろしくお願いします。
師団長用の船室だから、広さはじゅうぶんにある。ドアを開けていきなりベッドがあるということはなく、わたしはレオをソファーに案内した。
「お茶淹れるね」
「私がやる。変わった香りがするな……」
ティーセットに向かうと彼は眉をひそめる。フタを持ち上げると白磁のティーポットには、黒々とした液体が入っていた。
「それ、ローラが持ってきた薬湯だよ」
「ならばこちらが先だな」
「うへぇ……」
レオが差し出すカップには、どす黒い変なにおいのする薬湯がなみなみと注がれていた。師匠も師匠なら、弟子もこういうときは情け容赦ない。
しょっぱい顔になってちびちびと飲んでいると、レオはくすりと笑った。
「そんな顔をするな。香りのいい茶を淹れてやる」
ティーポットに浄化の魔法をかけると、中身の水を新しく替えて加熱の魔法陣を展開する。
茶葉の入った缶をいくつか取り出して眺め、ひとつうなずくと缶を二つ三つ開けて、少量ずつすくった茶葉をブレンドしている。
「お茶を混ぜるの?」
「その薬湯を洗い流して、後味がさわやかになるようにな」
やがてお湯が沸き、レオポルドはポットに茶葉を入れてフタをした。
「湯の中で茶葉が開いてゆったりと舞うとき、自分自身も解放されてゆくような心地がする」
なんとか薬湯を飲み終わると、レオはカップを受け取り、きれいにしてから温めて茶こしをセットすると、淹れたばかりのお茶をコポコポと注ぐ。
「うわ、ごほうびみたい!」
「そのつもりだが」
カップの底が見える澄んだ茶色い液体からは、蒸気とともにかぐわしい香りが立ち昇る。
ひと口ふくむと鼻からノドにかけて清涼感が抜けていく。口の中に残っていた薬湯のくさみが消え、さっきまで感じていた胸のむかつきも治まっていく。
「おいしい……うれしい……」
「ドレスは体を締めつけるからな。慣れない茶会で緊張して気分が悪くなる者も多い。スタッフの手元を見ていて覚えた知識だが、こんなときに役立つとは」
「すごくおいしいよ。ねぇ、ふだんでも淹れてくれる?」
思わずおねだりすると、わたしの横に座った彼は、渋い顔をして首を横に振る。
「うまいと感じるのは体が弱っている証拠だ。ふだんならもう少ししっかりした、味の濃いものをきみは好む」
「そう、だっけ……」
返事をしながら彼が細かくわたしを観察していることに驚く。どのお茶もおいしく飲んでいるつもりだったから、自分の好みなんて考えたこともなかった。
彼がわたしのために淹れたというだけでもうれしいのに、こんなに体のことまで考えてくれているなんて。軽くてさらりとした飲み心地の優しい味をしたお茶は、魔素がたっぷり入った魔力ポーションよりも体に沁みわたっていくような気がした。
「あのさ、さっきカイに何か言われて顔をしかめてたでしょ。何を言われたの?」
「あれか」
レオは黒髪をかきあげて、ふぅと息を吐く。それだけなのになんだか色気がすごい。
わたしは彼の横顔をこうして眺めるのが好きなんだと、ふと気づいた。
いつもだったらそれだけで落ち着かないのに、ふしぎとわたしの鼓動は落ち着いている。これもローラが煎じた薬湯のおかげだろうか。
けれど彼が口にしたのは思いがけない言葉で。
「今夜はきみの部屋に行けと言われた」
「え、それでここに?」
カイのことだから、いつもの軽いノリだろう。わたしが目を丸くすると、勢いよく強い口調で返ってくる。
「ちがう!」
「ちがうんだ……」
それはそれで何だかモヤモヤする。もちろん自分の体調だって思わしくないし、そんなことになっても困るのだけど。彼もさすがに気まずくなったのか、わたしからふいっと顔を背けて、ポケットから四角くたたんだ紙片を取りだした。
「いや、そうではなく……話というのは」
それきり彼は口を閉ざして、折りたたんだ紙片を広げる。
「きれいな魔法陣だね」
描かれていたのは少し時代がかった、きれいな術式の魔法陣だった。バランスのとれた形といい刻まれた文様といい、長く使われて洗練された完成形のものだろう。
けれどわたしははじめて見る魔法陣だ。
「きみが茶を飲み終わってから見せるつもりだった」
「これを?」
ふと彼を見上げて、そこにいる存在の異質さにゾクリとする。さっきまでのやわらいだ雰囲気は消え失せて、ただ硬質の冷たさを感じさせる美貌がそこにたたずみ、ひたとわたしを見すえている。
急にノドが渇く。さっきお茶を飲んだばかりなのに。こんなことになるなら、おかわりぐらいしとくんだった。そんな小さな後悔が押し寄せる。
何もかもさっきまでと違う。甲板でカイといっしょに、歌の練習に興じていた青年はもうどこにもいない。
カサリと音をさせて彼が紙片を持ちあげる。その顔にはまったく何の表情も浮かんでおらず。これまでに何度ももどかしい思いでぶつかった、魔術師団長がまた戻ってきたようだった。
彼はためらいつつも薄い唇を開く。
「これは〝消失の魔法陣〟。サルジアに入る前に、きみの体へこれを刻めと……そうローラに提案された」









