542.邂逅
まだ作動していない転移陣の上に、意識を失ったヌーメリアを寝かせて、オドゥは成分分析の魔法陣を展開し、小瓶の中身を確かめると水たまりに注いだ。
「ヌーメリアの〝解毒剤〟か。使っちゃうのはもったいないけどなぁ」
残念そうな顔でぼやきながら、オドゥはピクピクと痙攣しているマグナゼの体をひき起こした。ペチペチと顔をひっぱたいても、呪術師は伸びていて何の反応もない。
ほかの捕縛陣に捕らえられたままの呪術師たちも同様だった。
「思った以上に使えねぇなぁ……呪術師ってヤツは。ネリアの術が解けたら少しは使い物になるのかねぇ」
夏にユーリを助けるために、使い魔のルルゥを飛ばしたことは後悔していないが、おかげでヒルシュタッフ邸でネリアが使った術は見られなかった。
「僕が知らない術をネリアは使える。グレンが教えたか自分で編みだしたか……あの子が使う魔術って独特なんだよねぇ。生きていくために必要な術を覚えたって言ってたけど」
それはつまり『あの体を生かすために必要な術』ということ。オドゥはそれを知りたかった。目の前で使って見せてくれたら、眼鏡が魔法陣の陣形をすべて読みとるのに。
「…………」
オドゥの左目だけが暗がりで金色に変わる。今いる場所よりもっと奥、バハムートの深淵と呼ばれる場所から、強い魔術転移の気配がする。
眼鏡のブリッジに指をかければ、魔道具は勝手に魔術の痕跡を読みとった。
「こういう無理矢理な魔力任せの転移は……ネリアか。レオポルドならもっと慎重にやる。さてどうするか」
ネリアはほしい。けれどオドゥの腕は二本しかない。彼はもういちど意識を失ったヌーメリアや、ピクピクと痙攣している呪術師たちを見回す。
全部いっぺんに運ぶのは無理だ。あっさりとオドゥはそう結論を下した。
「ホントはヌーメリアを連れていきたいとこだけど……こいつの口からいろいろバレるのも困るんだよね」
筋肉強化をしたオドゥがヒョイっとマグナゼの体を担ぎ上げたところで、三つの人影があらわれた。
「オドゥ!」
ペリドットの瞳を見開いて、赤茶の髪をした娘が声をあげる。もうひとりは見知らぬ女で、オドゥはふたりの背後にいる背の高い男に目を向けた。
「へぇ……あいつがお守りがわりにつけた男はどんなヤツかと思ったら。まさか本人だったとはね」
「…………」
クスクスと楽しそうに笑うオドゥに、黒髪の竜騎士は無言で眉間にシワを寄せた。小柄な娘は転移陣に横たわる魔女の姿を見つけて悲鳴をあげる。
「ヌーメリア!」
そのまま駆け寄ろうとする娘の手首を、すかさず男がつかんでとめる。それだけで男を振りかえった娘は、気づかわしげな表情のまま動きをとめた。
男の手を振り払わないところが、妙に神経をイラつかせる。歯ぎしりしたくなるのをかみしめて、オドゥは低い声ではっきりと言った。
「今じゃない」
「…………」
「お前と戦うのは今じゃない」
もういちどはっきりと言って、オドゥはマグナゼの体を抱え直す。
「ここには傀儡毒のレシピを取りに来ただけだ。もう僕の用事は済んだから失礼するよ。それより早く逃げないと。岸壁にできた亀裂から入ってきたんだろう?」
もう男は気づいているかもしれないが、オドゥはあらためて教えてやった。
「このバハムートはだいぶ石化が進んでいる。いつ全体が崩壊してもおかしくはない。もうずいぶん前に魔獣としての寿命は尽きて、浮き島として漂流していたんだ」
娘は驚いたようだった。
「それ本当?」
いちいち背後に立つ男に確認するところが腹立たしいがオドゥは黙っていた。まだ死霊使いとしての力が安定しておらず、あまり感情を動かさないようにしないと、魔力が暴走する危険がある。この状況でそれはどうしても避けたかった。
ここで戦えばバハムートは崩壊する。それは男にはきちんと伝わったのだろう。
「リコリス女史を連れて地上へ転移を」
男の発したひと声で事態は動いた。
ネリアたちは一気に転移陣へ向かって駆けだす。その隙にオドゥはマグナゼを抱えてバハムートの最奥へと転移する。
転がる傀儡たちを踏み越え、サルジアへの転移陣を作動させると、背後に気配を感じてオドゥは振り返った。
「なんか僕に用?」
ひとりだけオドゥを追ってきたらしい、黒髪の竜騎士はまっすぐに彼を見つめてたずねてきた。
「サルジアにお前のほしいものはあったのか?」
「まぁね」
「彼女を生かす術も?」
魔法陣に魔素が満たされ、陣形がくっきりと浮かび上がる。
「どちらだろうね。生かす術か殺す術か……サルジアは知識の宝庫だよ。それより早く逃げないと。二回も言わせるなよ」
薄く笑ってオドゥとマグナゼの姿が消えると同時に、壁にも床にもビシビシと亀裂が走る。あっというまに崩落が起こり、工房は土砂に飲みこまれた。
「レオ!」
黒髪の竜騎士が地上に戻れば、涙でグシャグシャになった顔で彼の名を呼び娘が駆けてくる。
「ヌーメリアはだいじょうぶ。気を失っているだけみたい。オドゥは?」
レオが無言で首を横に振ると、娘はきゅっと唇をかみしめた。
「そう……」
「これから呪術師たちを尋問しなければならない。すまないが……」
「うん」
素直に娘はこくりとうなずき、ローラのところへと戻っていく。このような仕事の裏側は彼女も師団長とはいえ、レオは見せたくないし知られたくもなかった。
ヌーメリアの捕縛陣に捕らえられた、数人の呪術師はそのまま捨て置かれた。オドゥがあっさりと切り捨てた者たちを、彼は情報源として使うつもりだ。
(そのために残したのかもしれないが……)
敵かもしれないし味方かもしれない。どこかでまだ期待してしまう気持ちが、娘にも自分にもあるのだろう。レオは今さっきまでいた、バハムートの深淵を思いだしてため息をついた。
『今じゃない』
そうオドゥははっきりと言っていた。
『お前と戦うのは今じゃない』
つまりいずれは戦うことになる。そうはっきりとヤツは言っていたというのに。









