468.奈々VS.ネリア
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「ナナ……」
彼の声が低く優しく、わたしへ言い聞かせるように紡がれる。
「私は彼女のサルジア行きには反対していた。だから今いるのがもどきだったとしてもかまわない。それで安全な場所にいてくれるのであれば」
「それ、は……」
まるでわたしが〝ネリア〟だとわかっているようで、けれど彼はそれについては何もふれなかった。
「今日のきみはずっと眉を下げていたな。花のように美しいその笑顔は、花を贈りたい男に向けるといい」
それだけ言うと彼はすっと席を立つ。
「送ってやりたいがこれで失礼する。帰りたいときは従業員に声をかければ、魔導車を呼んでくれるだろう」
「待っ……」
一瞬で展開した転移魔法陣が白く輝き、わたしがまばたきをしたときにはもう彼の姿は消えていた。たぶん彼はわたしが帰りやすいように、わざわざタクラ上層のカフェまで連れだした。
(わたし……こんなところで何やってるんだろう……)
彼が婚約者を連れてくるつもりだった場所は、海鳥イールがにぎやかに鳴きながら飛ぶ淡い色の空が目の前で、足元には紺碧の海が広がる。
銀の波がざわめく海では貨物船が行き交い、岸壁には白い大きな客船が停泊する。その景色は海に浮かぶ小さな船の家から見るものとは、まったく違っている。
わたしを〝ネリア〟だと証明するもの、グレンが刻んだ三重防壁……その魔法陣を可視化すればいい。
「わぁお、さすがはテルジオのオススメね」
ふと店の入り口がザワつく気配を感じて振りかえれば、テルジオが白い仮面をつけた錬金術師団長を連れてやってきていた。
(ネリアってあんな感じなんだ……)
まず思ったのはそれだった。グレンの威を借りたくて被っていた仮面は、それほど役にたってない。
小柄な彼女はどちらかというと小動物、赤茶色の髪を束ねずに下ろしていると、白い仮面がより異様な感じがする。
レオポルドといっしょにいたのを見つけたのか、テルジオが目を丸くしてわたしを眺め、慌てたようにネリアへ話しかける。
「もっといい店を思いだしました。そちらに行きませんか?」
「もっといい店?」
首をかしげる〝ネリア〟に、テルジオはにこにことうなずく。
「ここは混んでて落ち着きませんし、もっとこじんまりした店がいいかと……」
「あら、開放的で見晴らしがよくて、オススメなんでしょ?」
「そそそんなことも言いましたねぇ!」
彼女はまっすぐにこっちへとやってきて、椅子から立ちあがったわたしの前で立ち止まる。空気の色さえも変えるほどの魔力の圧に、周囲の席に座るひとびとの顔が青ざめる。テルジオが必死に呼びかけた。
「あああのネリアさん⁉」
「さっきあの男と話をしてたろ。うまくいったかい?」
「うまくって?」
聞き返せば肩におろした赤茶の髪を払って、仮面の師団長はあきれたようにため息をつく。
「せっかく願いをかなえてやったのに。あんなつまんない男、あたしはオススメしないけど」
「レオポルドは、つっ、つまんなくなんかないもん!」
紡ぐ魔術は芸術的だし、ちゃんと人のことよく見てるし、何でもやりたがりだし、それから不愛想だけど面倒見がよくて、困ったときはかならず手を貸してくれる。
顔を真っ赤にして抗議すれば、リリエラは肩にかかった髪をばさりと払って吐き捨てた。
「あたしに言わせればね、あたしになびかない男なんて、みーんなつまんないヤツさ。あの男……ひっついても眉間にシワ寄せるだけなんだもの」
「ひっつかないでよ!」
『ボタンをはめたり靴下を脱ぐのにも私の手を借りようとする』
わたしの頭に彼の言葉がよみがえり、ムカムカがおさまらない。
(イヤだ、吐きそう……)
顔をゆがめたわたしを見て、リリエラは小首をかしげた。
「あんたがそんな顔するなんてねぇ。やっぱあの男に惚れてるわけだ。けどさ……あんたの魔力は精霊に匹敵するけどね。魔女としては未熟だ」
ふいに空間がゆがみ、テルジオの驚愕した顔がぐにゃりと曲がる。
「ネリアさん⁉」
次の瞬間、わたしの体は泡と刺すような冷たさに包まれていた。









