447.オドゥの説得
「あのさ、オドゥもサルジアに行こう。何かわかるかもしれないよ。今レオポルドがイグネラーシェを調べていて……」
ゴトリと音を立ててコーヒーのマグが置かれ、オドゥの目が驚いたように見開かれる。
「レオポルドが……あいつがなぜ……イグネラーシェに……」
(……しまった。レオポルドがわたしに告げずにライアスとイグネラーシェに向かったのは、情報がオドゥに漏れるのを防ぐためかもしれないのに!)
「彼はサルジアに関する情報を集めていて、オドゥが持っている眼鏡のことを思いだしたって……」
「きみたちはデーダスでそんな話をしたのか!」
ビリビリするようなオドゥの怒りと魔力の圧。彼の左目が金色に色を変える。
わたしはグッと歯を食いしばった。今ここで説得できなければ、オドゥに協力してもらうのは難しくなる。
「『きちんとした仕事につき、地位と身分を手にいれろ』……それがあなたのお父さんの教えよね。錬金術師になってそれは叶いつつあるじゃない!」
「きみに何がわかる。今きみがこうして生きていられるのも、僕の研究があったからこそだ。死にぞこないの焦げた肉塊だったくせに!」
死にぞこないの焦げた肉塊……その言葉を聞いて、わたしの体に震えが走った。
「デーダスに工房を造ったばかりのころ、僕とグレンとの関係は良好だった。数ヵ月かけて家を建て、地下空洞に工房を造る作業はすべてふたりでやった。きみの召喚を行ったのは僕だけど、手を貸しただけのグレンがきみの身柄を預かり、僕を工房から締めだした!」
「グレンはわたしの意思を尊重してくれたから……」
オドゥは吐き捨てた。
「ちがう。あいつはきみを独占したかったんだ。そのまま三年間もデーダス荒野に閉じこめた!」
「わたしには必要な時間だったの。この世界で生きていく術を身につけるために!」
デーダスにいたときは、あそこをでることばかり考えていたのに、グレンがこの世を去ってはじめて、どれほど大切にされていたかを知った。
「どこまでもグレンをかばうんだな。その笑顔も吐息も……きみがもたらすものはすべて僕のものなのに」
「ちがう!」
わたしは首を横に振る。
「言霊で人を縛ったことがあるの。そのときは無意識だったけど。高位の魔力持ちは、うっかり約束すると自分の言霊に縛られるんだって。だからあなたはかならず対価を要求するんでしょ」
意識して使うのははじめてだ。精霊ならば願うだけでいい。強い魔力があるならば口約束すらも契約になる。
「誓いなさいオドゥ、杖作りに協力すると。わたしが生きていくために協力すると!」
オドゥの腕をつかんで叫べば、彼は息をのんでわたしの瞳を見つめ、その端正な顔をゆがめた。
「グレンが作った目で僕を見るな。あいつに見張られているような気になる。それに見合う対価も支払えないくせに!」
「対価ならあるわ!」
わたしは自分の護符から、三枚目のプレートを引きちぎった。
「これよ。グレンが描いた杖と〝ネリア・ネリス〟の設計図。それにもしもわたしが死んだら、この体をあなたにあげる。せいぜいわたしより長生きすることね!」
「きみを生かし、杖作りに協力する……それが対価だと?」
彼はフッと笑って、残る二枚のプレートを見つめた。
「ついでにデーダスにある工房のカギもくれる?」
「あげません。これでも譲歩したんだから」
オドゥの要求を突っぱねれば、彼はため息をつく。金色だった左目は、いつのまにか深緑に戻っていた。
「ホントきみって予測不能だよねぇ。おもしろいけど。ところでさっきの『誓いなさい』、あれでレオポルドも縛ったのか?」
「そうなるね……」
あれはどちらかというと、わたしのやらかしなのだけれど。余裕を取りもどしたオドゥは、ニヤリと笑った。
「いいよ……誓う。きみの杖作りに協力するし、生きるための助けになる。これで契約成立だ」
すでに情報は記録石に移してある。わたしは対価となるプレートをオドゥに渡した。
一階に戻れば、みんながワイワイと盛りあがっている。なんとミーナが手をいれた衣装を着て、ユーリが早変わりを実演していた。
白っぽい服を着ていたユーリが、またたきをするあいだにくすんだカーキ色のコートに変わる。
「えっ、えっ?いまの何?」
ユーリが得意そうに胸を張った。
それからミーナやアイリたちとゆっくり話をして、オドゥにくっついて見に行った市場は、ユーリが得意気に案内してくれた。
夜になるとわたしはリリエラと待ち合わせるために、ひとりで港へと向かった。
夜のおでかけなんて、ちょっぴりワルになった気分。オドゥを説得できたばかりで、わたしはホッとして浮かれていた。
「ネリア、こっちこっち! あたし熱いのは苦手なんだけどねぇ、スープがやっぱりうまくてさ」
老婆姿のリリエラが、手を振って待っている。いくつもの屋台が建ちならぶ一角は風除けの覆いがあって、折りたたみ式のテーブルに小さな丸椅子がいくつも置かれ、みな思い思いに座っている。
「うわ、本場のター麺!」
屋台ではター麺だけでなく、魚のすり身や煮卵、輪切りにしたディウフのはいった大鍋が置かれ、注文すれば小皿によそってくれる。なんだかおでんみたいで、わたしはディウフと卵を注文した。
「リリエラはどんな仕事をしてるの?」
すると意外な答えが返ってきた。
「貝の殻むき。ちょっとコツがいるけど、出来高払いでその日食えるぶんぐらいにはなる。ふふ、この生活も悪くはないよ」
「へえぇ」
「へい、お待ち!」
味の染みたディウフを、ふうふうと冷ましながらかじっていると、威勢のいいかけ声とともに、目の前には湯気を立てるター麺が置かれた。
「あっ、忘れるところだった」
わたしは収納鞄からとりだしたフォトをかまえると、リリエラがふしぎそうに首をかしげた。
「何してるんだい?」
「旅の記録……っていうか、彼への贈りものにするの」
「贈りもの?」
「うん、ピアスのお返しをどうしようかっていろいろ考えたんだけどね、まだおたがいに知らないことも多いし、たくさん彼と話したいこともあるけど、ずっといっしょにいられるわけじゃないから」
日常はコマ切れになった時間の連続だ。一日の大半はおたがいそれぞれの仕事場ですごしているし、顔をあわせてもおしゃべりする余裕はない。バタバタしているとろくに話もせずに一日が終わることだってある。
「わたしが感じたことやおもしろいと思ったこと……わたしのすごした〝時〟を贈りたいの。同じ街角でも見る人によって感じかたがまったく違うでしょ。彼にも楽しかったことを伝えて、それでいつかいっしょにこられたらいいな……って」
「ふぅん」
「こういうの口にするだけでも照れちゃうなぁ。へへっ」
湯気のむこうでリリエラが、少しせつなそうに眉をさげた。光のかげんでそう見えただけかもしれないけれど。
言ってて恥ずかしくなったわたしは、そそくさと収納鞄にフォトをしまい、さっそく箸を手にした。









