446.オドゥたちとの再会
目覚めたカラスは『カァ』と、ひと鳴きしてして羽ばたいた。漆黒の翼が港町の空に舞う。
ルルゥは高く飛ぶでもなく、街角の看板や建物の屋根に舞い降りては、わたしたちがついてくるのを待っていた。
中層にある入り組んだ路地、その奥まったところに言われなければ見過ごしてしまいそうな、小さな金属の扉があった。
その前に立つ人物は、差しだした腕にルルゥをとまらせると、口元に優しげなほほえみを浮かべる。
「やぁ、ネリア。婚約おめでとう、って言うべきかな。ニーナもよくきたね」
「ありがとう」
「こんにちは、ミーナとアイリがお世話になってます」
「世話されてるのはこっち、すげぇ助かった」
オドゥに会うと独特の緊張感が背筋にピリリと走る。
彼は絶対婚約に反対するだろうし、祝福もされないだろうと思った。けれど彼のようすはいつもと変わらず、ニーナにも愛想がいい。わたしは思いきって話しかける。
「あのね、オドゥに相談したいこともあって」
「うん、何でも相談に乗るよ。錬金術師としても、きみの友人としても」
振り向いたオドゥは人のよさそうな笑顔で、やわらかい声をだして優しく答えた。
ミーナやアイリとも再会を喜び、ユーリから報告を聞く。ユーリはタクラの生活も楽しんでいて、雰囲気が以前と少しちがう。
「そういえば認識阻害が使える眼鏡なんて、なぜほしかったの?」
「それは僕も聞かされてなかったな。サルジアに行く前にほしいって、せっつかれてさ」
ユーリはこげ茶色に変えた髪をいじり、手にした眼鏡に視線を落とした。
「サルジアで自由に動きたいからです」
「ろくな使い道じゃないな」
「そんなんじゃないですよ。リーエンが『美しい国だ』と言ったサルジアを、この目で見てまわりたいんです」
トントントンと足音がして、話のあいだに工房を見てまわったニーナが、満足したようすで二階からにぎやかに下りてきた。
「理想的ね!」
「そう言うと思ったわ」
得意そうにうなずくミーナに抱きつき、ニーナはオドゥに礼を言う。
「ありがとうイグネルさん、二階の大きな窓がいいわね。最高の物件だわ」
「どういたしまして。二階は素材倉庫にしてたから、ミーナががんばってきれいにしたんだよ」
場所を押さえて工房を維持するのも大変なはずなのに、オドゥは淡々としていた。
ミーナたちが手を入れた工房は、デーダス荒野にある地下工房とはだいぶ違っている。
殺風景な作業場のすみには人数分の食器、畳まれたランチョンマットにテーブルクロス、スパイスラックにコーヒー豆の袋も置かれ生活感がある。
「すごいねオドゥ、ちゃんと立派な自分の工房を造ったんだ」
「まぁね。デーダスにイチから造るよりは楽だったよ」
眼鏡をかけていないオドゥは目つきが鋭くて、それでいて何を考えているのかよくわからない。
「あのねオドゥ、使節団には魔術師団からローラ・ラーラ、竜騎士団からも竜騎士が参加するの。錬金術師団からはわたしとユーリだけど、彼は王太子としての参加だから……オドゥにも加わってもらいたいの」
「……あいつが許すかな」
そういうオドゥの視線はピアスに注がれていて、気になったわたしはそれを、ぎこちなく指でいじる。
「どうだろ。それも相談したくて……ふたりで話せる?」
「なら二階に行こうか」
ユーリが心配そうに、わたしの顔をちらりと見たけれど何も言わなかった。
港が一望できる二階の窓辺で、オドゥは淹れたばかりのコーヒーをわたしに差しだして、自分は木のスツールに腰かける。
「それで相談って?」
……何から話そうかと考えて、わたしはあえてちがう話題からはいった。
「ええと、オドゥも婚約してたんだよね。どんな感じだったの?」
「僕の婚約?」
意外だったのかオドゥも聞き返してきて、わたしはあわてて両手を振った。
「あっ、でも話したくないことだったらごめん」
「……べつに。楽しかったよ。カップルじゃないと体験できないイベントもあるしね。ラナは……婚約してた子だけど、僕がする錬金術の話もイヤがらずに聞いてくれたし、『応援する』って言ってくれたんだ」
話しだしたオドゥの表情がやわらかくなって、こんどはわたしがビックリする番だった。
「ちゃんと好きだったんだね」
「あたりまえだろ。さすがに嫌いなヤツとは婚約しないよ」
オドゥがクスッと笑って、自分のことを言われたわけでもないのに、わたしの顔が赤くなる。
「ラナは金回りのいい子爵の令嬢で、錬金術にも理解があったんだ。彼女の実家も気前よく援助してくれたし、グレンのもとで功績をあげたら、すぐにでも結婚するつもりだった」
それなのにどうして破局したんだろう。わたしの疑問を口にする前に、オドゥが答えを教えてくれる。
「けれどグレンが第一王子の首にチョーカーをはめたとき、僕はラナの実家に呼びだされ、彼女と距離を置くように言われた」
体面を気にする貴族たちにとっては、グレンが起こした事件はマイナスに働いたらしい。
「僕はいつでも金で片づけられる、便利な男だったんだよ。手切れ金ははずんでくれたよ」
「そんな……ラナさんの気持ちはどうだったの?」
「彼女が願う幸せの中に、僕はいなくてもよかったのさ。カフェで話して大劇場の催しに参加して、華やかな夜会に着飾ってでかける。エスコートする男は、べつに僕じゃなくてもかまわない」
オドゥの洗練された装いも、優しい気づかいも、すべて彼女のために覚えたことなのだろう。
「そんなわけないよ。オドゥじゃなくてもいいなんて……そんなことあるわけないよ!」
わたしが否定しても、オドゥは苦笑いするだけだった。
「きみも僕を選ばなかったじゃないか」
「それは……だって……」
オドゥは遠くを見つめた。
「彼女と距離を置いてから、王都にいづらくなったグレンについて、全国を回ったよ。そうしたらデーダスに工房を造ることになった。あのまま彼女と結婚していたら〝死者の蘇生〟を研究しても、命がけできみを召喚しようとは思わなかったかもな」
「わたしを召喚したときの状況を教えて。それとこの体のこと。わたし……この世界で生きられるかな?」
オドゥは困ったように笑みを浮かべて首をかしげる。
「きみがそう願うのはレオポルドのため?」
「それもあるけど。今は前よりずっと、この世界で生きることを受けいれている。やりたいことがいくつもできたの。魔術師の杖だけじゃない、グリドルや収納鞄、ポケットの事業だって形になってきた。でもまだまだなの」
「……だから生きたいと?」
「うん。ヌーメリアたちの研究も、ニーナたちの新しい挑戦も、ユーリが手がけるライガの量産化だって見届けたい。わたしが学園で勧誘した、メレッタやカディアンの入団だって楽しみなの」
錬金術師団にはいくつもの可能性と、たくさんの未来がある。コーヒーをひと口飲み、わたしは彼に持ちかけた。
「オドゥにはカーター副団長と協力して、結晶錬成やゴーレムの研究に取り組んでもらいたいの」
「魅力的な提案だね。でも僕がきみからほしいものは、もうすでに伝えたと思うけど」
冷めた口調でそう言って、オドゥは自分のコーヒーをすする。あいかわらず彼の視線はピアスに向けられていて、わたしは微妙な居心地の悪さを感じた。
「そんなピアスを贈れるのはあいつぐらいだな。杖がほしいから、ようやくきみに優しくなったか」
「そんなんじゃないよ」
そんなんじゃない。けれどうまく説明できる言葉は見つからなかった。









