428.ばびゅーん
ばびゅーんときて、ひゅーんです。
わたしはルルスの町を空から見たくなった。
「ねぇテルジオさん、ちょっとライガで飛んでもいい?」
「えー殿下が夢中なアレですかぁ?」
いっしょに歩くテルジオは、露骨にイヤそうな顔をする。
「ダメなの?」
「だって私はネリアさんから『目を離すな』って魔術師団長にも言われてるんですよ。ネリアさんがライガに乗ったら、私も乗らないといけないじゃないですか」
「ふうん、レオポルドに言われているんだ。テルジオさんはライガに乗りたくないの?」
何だかテルジオの言葉がひっかかる。どうやら彼はわたしの監視も兼ねているようだ。
「ライガにっていうより、空を飛ぶ乗りものなんて信用できないです。ドラゴンも苦手です」
「ほー」
それを聞いたわたしはすぐに、左腕につけた腕輪からライガを展開してそれにまたがる。
「あ、ちょっと。ネリアさん⁉」
ギョッとしたテルジオにわたしはにっこりした。
「わたしは乗りたい気分なんだ。イヤならテルジオさんは、ここにいてくれる?」
「えええ……ライガに乗っても乗らなくても、私が魔術師団長に怒られる未来しか見えないんですけど」
「べつにムリに乗る必要はないけど……」
「乗りますってば。そっと飛ばしてくださいよぉ?」
おそるおそるライガの後部座席に乗りこみ、テルジオはわたしの胴に腕をまわした。
「せっかくだからテルジオさんにも、ライガの魅力をわかってもらわないとね!」
「だからそういうのはいい……きぃやああああああぁっ、いぃやあああぁっ、ひぃいいいいっ!」
ライガはまっすぐばびゅーんと飛びあがり、ルルスの町に王太子筆頭補佐官の甲高い悲鳴が響きわたる。何事かと空を見上げた人もいるけれど、それより先にライガは光る点になった。
「うわっ、気持ちいい。やっぱライガ最高!」
はるか上空からルルスの街を見おろせば、すり鉢状に大地を削った魔石鉱床、そのうえに建てられた採掘場が見える。魔石を運ぶ魔導車は決まったルートを通るらしく、空からだとアリの行列に見える。
まずは砂丘が見たくてエレント砂漠にむかって飛ぶ。街の外にでるときにチリ……と魔素の網にひっかかるような感覚があり、きっとこの町を守る魔法結界だろう。
塔の魔法障壁と違い、魔獣や砂嵐を防ぐためのものらしい。ピアスの魔法陣が働いて、わたしは難なく結界をすり抜ける。
(帰りはこの結界を壊さないように気をつけなきゃ)
季節が冬でなかったら、照りつける日差しに焼けついたかもしれない。地平線までなだらかな砂丘がいくつも続いていて、雄大な景色だけれど生き物が動く気配はない。
「砂漠の魔獣ってコカトリスや黒鉄サソリだっけ。状態異常系が多いんだよね」
「あとはサンドワームですね。日中は日差しがキツいので砂の中に隠れ、夜行性のものが多いです」
わたしがライガを空中で静止させると、バサリと羽音がして、黒い鳥がすぐ近くを横切った……ルルゥだ!
ルルゥはゆっくりと円を描いて、ライガのまわりを旋回している。
「オドゥに連絡がとれるかしら。ルルゥのために魔力クッキー持ってくればよかった」
「ていうかネリアさん、もうそろそろ戻りましょうよぉ」
後部座席のテルジオが情けない声をだす。わりと本気でしがみついてくるから息が苦しい。
「そうね、もう少しレオポルドについて聞かせてくれる?」
「えっ、何の話ですか?」
テルジオはそう言ってとぼけたけれど、わたしはお腹にぐっと力をいれて彼をふりむいた。
「もいっかい、垂直落下いってみる?」
その言葉にテルジオは真っ青になる。
「いやああああぁ、待ってくださいネリアさん!」
「テルジオさんて何かまだ、わたしに教えてないことが、あるんじゃないかなぁ?」
ひゅーん。ほんの十メートルぐらい降下しただけでテルジオは絶叫した。
「いぃやああああぁっ、やめてっ、ホントネリアさんっ、それなしっ、なしですうぅっ!」
肋骨が折れるぐらいの力でしがみつかれ、わたしは息ができなくなってあえぐ。
「ぐえっ……あ、朝ごはん吐きそう」
「吐くのもなしでええぇ!」
パニックになりながらも、テルジオが力を緩めてくれて、わたしはホッとして緩やかに水平飛行を維持した。
「じゃあ教えてくれる?」
すいーっ。宙を滑るライガのうえで、半泣きになりながらテルジオは白状した。
「ネリアさんがタクラに向かうあいだに、魔術師団長はイグネラーシェと研究棟の調査を終えると……竜騎士団長もそれに同行してます」
「今じゃん。レオポルドは前からそれを計画してたの?」
「デーダス荒野から戻られてからです。あの、タクラに着くまではネリアさんには内密にってだけです。あとで聞けばちゃんと教えてくれると思いますよ。あとは師団長たちに直接うかがってください」
テルジオの話は、ソラやカーター副団長の話とも一致している。そしてたぶんわたしに知られても、かまわない内容だけ教えてくれたのだろう。わたしは深呼吸して、ライガのハンドルを握りしめた。
「テルジオさん、ほかには?」
「ほかって……もう何もないですよぅ。あとは魔術師団長に聞いてくださいっ」
テルジオの顔が青ざめているのは、ライガへの恐怖か、レオポルドへの遠慮だろうか。ユーリたちとはタクラで合流する予定だ。レオポルドが今動いたのは、それまでにオドゥの調査を終えたいのだろう。
「ひょっとしてユーリが所在不明ってのもウソ?」
「ウソではありませんが、あえて探さないでおります」
「テルジオさんは心配じゃないの?」
「港湾都市タクラは、アンガス公爵の直轄地でもある貿易港です。当然艦隊も所有しており、差しあたっての危険はないかと。それにオドゥは私からみても賢い男です」
テルジオはユーリのことになると、平静さをとりもどすようだ。視界の端にまたルルゥの黒い姿が入る。
「ふしぎですがオドゥが殿下を、あれほど懐にいれるとは思いませんでした。なぜか知りませんが彼といれば、殿下はおそらく安全でしょう」
「……グレンはわかってたのかもね」
「はい?」
グレンは人が心で感じる感情には疎かった。それを補っていたのが、彼の観察力だ。
目の動きやまばたきの回数、声の変化や体の緊張具合……それらをつぶさに観察することで、相手がどういう状態か把握していた。
グレンはきっと何か意図があったから、ユーリをオドゥに引き合わせたのだと思う。
(逆に彼は、わたしからはオドゥを遠ざけた……それにも何か理由があったのかも)
錬金術は変容をつかさどる、不可能を可能にする奇跡の技。
『〝魔術師の杖〟を作ってくれないだろうか』
グレンが手がけたもののなかで、〝魔術師の杖〟だけが未完成だ。魔導列車も転移門もわたしも、ほかはすべて完成しているのに。時間さえあればきっと彼は、わたしなんかに頼まず、自分で〝魔術師の杖〟を作ったろう。
「ネリアさん、魔石鉱床を見学する時間がなくなっちゃいますよ」
「えっ、ごめん。急いで戻ろう!」
ルルスの駅に停車した魔導列車は、大きくて迫力があり、その力強さに圧倒される。あっちの世界で人々を飲みこんで走る満員電車に、こんな力を感じたことはない。
「あ……」
「どうかしましたか、ネリアさん」
水やエネルギーのように循環していく魔素は、魔石にしないかぎり留めておくことが難しい。魔導列車は大地を駆け巡る魔素の塊だ。魔導列車の線路網はいわば、大陸に建造された巨大な人工物ともいえた。
「線路を走る魔導列車って……魔法陣に刻んだ術式を魔素が走るのに似てない?」
「え、似てますかねぇ」
ただひとびとの生活を便利にするだけでなく、大地にまっすぐ刻まれた術式に何かの意味があるとしたら……わたしの頭にふと、そんな突拍子もない考えが浮かんだ。
テルジオの災難。









