402.竜騎士団長とオートマタ
『ソラの日常』……お客様がきたらお茶をいれたり。
「ライアス様、どうかされましたか?」
小首をかしげて聞いてくるオートマタは、偶然扉をあけたのではなくライアスの気配を察知したのだろう。
「見回り……というほどではないが、帰るついでに寄った。変わりはないか?」
「とくには何も……ございません」
ネリアにソラと名づけられた、かってはエヴェリグレテリエと呼ばれていた師団長室の守護精霊は、レオポルドそっくりの声で返事をする。
魔術学園で五年間……ライアスが何度も聞いた、レオポルドが少年の姿をしていたときの声だ。
ライアスはソラをじっと観察した。
焼け落ちたグリンデルフィアレンの残骸がバラバラと崩れるなか、無傷の研究棟からネリアを抱えて姿をあらわしたオートマタに、ライアスは自分の目を疑った。
(……レオポルド⁉︎)
その姿は魔術師団長でもあるレオポルドの……学園時代とまったく同じだった。
後日、昼の光でみたときにその髪と瞳の色は水色と知ったが、月明かりのもとたよりになるのが王城の魔導ランプだけでは、少年時代のレオポルドとしか思えなかった。
ウワサには聞いていたが、ライアスが実際にその姿をみるのは初めてだった。
あわててそばに立つレオポルドをみれば、彼はとても険しい表情でオートマタをにらんでいる。
あれが師団長室の守護精霊……グレンが契約し、オートマタの魂としたエヴェリグレテリエ。
逆に考えればグレンは実体のない精霊に、自由に動けて世界に触れられる体を与えたことになる。しかも……。
(自分の息子……レオポルドにそっくりな体を精霊にあたえたというのか⁉︎)
たしかにレオポルドは成長したいまでも「精霊の化身のようだ」と、ささやかれるほどの美麗な姿形をしているが……。
ライアスたちが見守るなか、オートマタに抱えられたネリアとレオポルドが言葉を交わす。
そのままくたりと意識を失った彼女にライアスが駆け寄ろうとした瞬間、オートマタが凛とした澄んだ声で宣言した。
「皆様がたはお引き取りを。ネリア様には休息が必要です」
学園時代に何度もきいた、レオポルドとおなじ声だった。
その声がライアスの動きをとめた。
さきほどまでネリアをにらみつけるようにしていた、レオポルドの顔から表情が消えた。
いつもと同じ無表情にみえたが、彼の顔から血の気がひいたのがわかった。
きつく杖を握りしめた手がかすかに震えている。
「レオポルド」
「……あとをたのむ」
それだけいい残すと、彼は塔に転移して姿を消した。
ライアスは彼の後を追うことも考えたが、結局は拘束したウブルグやヴェリガンの聴取や現場の片づけなど事態の収拾に追われ、ようすをみにいくことはできなかった。
全力をこめたはずだ。レオポルドは本気であの研究棟を焼き払おうとしたのではないか……とライアス思っている。
その炎のなかに彼女は、まるで散歩でもしにいくような気軽さで歩いていった。
さきほどまで一緒にいて親しく言葉を交わしていた、ライアスを振り向くこともなく。
(そうか……)
なぜ気づかなかったのだろう……あのとき、彼女はレオポルドに勝ったのだ。
強大な魔力を持ち、それを操る術にも秀でた魔術師団長が全力で喚びだした白焔を、ただグリンデルフィアレンを除去するために用いて研究棟を無傷で守ってみせた。
それはレオポルドにとって、どれほどの衝撃だったろう。
グレンが差し向けたとしか思えない彼女に、レオポルドがあれほど反発したのも今ならわかる。
「レオポルド……お前にとってはよかったのかもしれないな」
「ライアス様?」
ライアスがぽつりとつぶやいた言葉に、レオポルドと同じ顔をしたオートマタはこてりと首をかしげた。
「おはいりになりますか?」
「ネリアはまだ留守だろう、いいのか?」
「居住区以外であれば問題ございません」
ソラの先導で研究棟に足を踏みいれたライアスは、ぐるりと内部を見渡した。
入り口を入って左に進めば、ヴェリガン・ネグスコの研究室になっている広いアトリウムがある。
右に進めば下に降りる階段があり、そこはヌーメリア・リコリスの地下研究室。
その先に師団長室の扉があり、その横につづくのは工房や素材庫の扉だ。
二階にはカーター副団長とオドゥ・イグネルの研究室、三階にはユーリ・ドラビスの研究室と、ウブルグ・ラビルの研究室だった空き部屋がある。
研究棟の窓はすべて王城側をむいており中庭に面した窓はなく、居住区のようすは師団長室以外からはうかがえないようになっていた。
ソラはライアスを師団長室に招きいれると、お茶の用意をはじめる。
大きなテーブルにすわったライアスは、師団長室に飾ってあるガラス細工のミストレイの花瓶に、ふっと顔をほころばせた。
「ネリアは俺のことを何か話していたか?」
なにげなく聞けば、加熱の魔法陣のうえにポットを置き、茶葉を量っていたソラは淡々と返事をする。
「ネリア様はいつもライアス様のことを、楽しそうに話されております」
「そうか……」
戸棚からとりだしたティーカップを、トレイに載せながらソラは続けた。
「王都にきたばかりの頃、ライアス様とおでかけされるからと、ネリア様はご自分で服を買いにいかれました。ワンピースを着るのは三年ぶりだとおっしゃって、何度も鏡でご自分の姿をたしかめておられました」
「えっ」
王城前広場で待ちあわせた彼女は、王都にやってきたときにみせた気丈さは影をひそめて、すこし心細そうだった。
レース襟のついたミントグリーンのストライプワンピースに、同色のストラップつきのサンダルを履いた彼女を、ライアスはとてもかわいらしい女性だと思えた。
デーダス荒野で彼女がグレンから錬金術を学んだという話は知っているが、彼女の生活が実際どうだったかは想像もしなかった。
ソラの話によれば、ライアスに王都を案内してもらうまえに、ネリアは自分で服を買いにいったということになる。
たぶん彼女はたいして服も持っておらず、ライアスとそのままでかけることを気にしたのだろう。
(気にしたこともなかった……それなのに俺はレイバートに彼女を連れていって、ライザ嬢と鉢合わせを)
デーダスからきた時の格好のまま彼女を連れていけば、おそらく互いに気まずい思いをしただろう。
ネリアは精一杯、ライアスにあわせたのだ。
沸いたお湯をソラは茶葉に注いで蒸らし、そのあいだにカップも温めた。
「王都見物から戻られたネリア様は、ネリモラの花飾りを枕元に置かれて、花の香りを楽しんでおられました」
「それならいいが」
今になって自分の失態に気がつく。
「頼ってほしい」といいながら、彼女に自分を頼らせなかった。
実際に彼女を助けたのはべつの人間……研究棟のユーリやオドゥ、それにおそらくレオポルドだ。
「レイバートの……遠征前にした食事のことは、彼女は何かいっていたか?」
温めたカップにゆっくりと紅茶を注ぎながら、ソラが静かに答える。
「遠征前夜ならライアス様とのお食事から戻られたネリア様は、はしゃいでヌーメリア様にドレスも披露され、そのあとおひとりで泣いておられました」
「泣いていた?」
自分は浮かれていたし、彼女も心から楽しんでいると思えた。それがどうして泣いていたのか。心に浮かんだ疑問にかぶせるように、ソラの声がライアスの耳に流れこむ。
「ライアス様が帰られてすぐ、レオポルド様がみえられました。おふたりは少しだけ言葉を交わされてから、ネリア様は居住区へと戻られました」
「レオポルドが……?」
そんな話は聞いていない。ネリアとレオポルド……どちらからも、その話は聞かされていない。
師団長室のオートマタがなめらかに動き、ライアスのまえにコトリと湯気がたちのぼる紅茶のカップを置く。
「俺はレイバートでの晩に、押しかけてでも彼女の部屋に泊まるべきだったのか?」
「ライアス様はそれだけネリア様を大切に思われた……ということでしょう」
強引にでも彼女の心に自分を刻んで、しっかりと縁をつなげば。けれどそうしたら翌朝の別れがつらい。
何の約束もなく相手にふれるべきではない。不誠実なことはライアスにはできなかった。
「レオポルドは彼女を大切にすると思うか?」
ライアスの問いにソラは首をかしげた。色素の薄い水色の瞳がじっと彼をみかえした。
淡々としてみえるのに、こうと決めたら絶対に譲らない……かつての同級生とおなじ顔のオートマタが唇を動かす。
「私はレオポルド様ではございません。私よりライアス様のほうがよくご存知なのでは」
「……そうだな。俺はあいつをよく知っている」
そういってうなずいたライアスの青い瞳が強い光をはなった。









