379.残された花のスケッチ
とにかく読みにきてくれた方にはこれしかない。
「読んでくれてありがとう」
感謝をこめて。
オートマタを創るには、対象をつぶさに観察しなければならない。動きだけでなく体全体の比率に肌や髪の質感……似せるだけでなく、ソラの造形はレオポルドが持つ硬質な、近寄りがたい雰囲気すらも再現している。
「師団長室に隠されるように置かれたあの人形こそが、グレンがあなたに無関心ではなかったという、何よりの証拠なんだよ」
「いまさら……それを知って……何になる」
レオポルドの表情は動かない。
「子どもの頃ならいざ知らず、私はもう成人した一人前の男だ。親の愛を乞うような年でもない。ここにきたのはグレンとサルジアとのつながりを調べるためだ」
自分に言い聞かせるようにして、彼はグレンの机を調べはじめた。わたしはその背中にむかって話しかける。
「この工房だって寒々しい場所に見えるけど、きちんと稼働させればそんなことないんだよ」
計器類が取りつけられた水槽がならび、素材を加工するための術式が刻まれた重厚な錬金釜が置かれた生命を扱う工房は、水槽に水を注げば淡い光に満ちていた。
ここでグレンは魔道具たちと会話をするように作業をしていた。
錬金釜は素材の錬成が終わればカタカタとフタを鳴らして、次の作業を催促する。魔流計や魔圧計の針が青いゾーンにあれば魔道具たちは機嫌がいい。赤に振りきれれば要注意だ。
『いちど機嫌を損ねると、回復に時間がかかる。お前ら……ちょっと待たんか、油ならいま差してやる!』
彼がいるだけでこの工房にある魔道具たちは、まるで生きものみたいに動いていた。魔導列車の車輪が動く音に心が躍るように、彼の錬金術は鮮やかで、見ていてとても楽しかった。
「…………」
無言でグレンの机に置かれたものをひとつひとつ調べていたレオポルドが、ノートに挟まっていた紙をひっぱりだす。
それは計算式や術式だらけの中では珍しく、グレンの観察眼を伝えるみずみずしい花のスケッチだった。
「リルの花……見覚えがあると思ったら、きみがつけている護符の飾り彫りか。門出を祝う花で、卒業式などはこの花を身につける」
彼はわたしの胸にかかる三枚のプレートがついた護符に目を留めた。
光沢がある金属のプレートの表面に、グレンがスケッチしたものと同じ六枚の花弁を持つ花が彫ってある。リルの花というのは今日はじめて知った。
「あ、そうだね。グレンが王都にでかける前にくれたの。『もしもわしが戻ってこなければ、これをつけて自分で王都へ来い』って」
レオポルドはそれを聞いて眉をひそめた。
「グレンは死期を悟っていたのか?」
「うん、もう長くないって教えられた。だからその前に王都に連れていってやると……竜王神事に合わせてわたしを王都に連れてきてくれるはずだったの。居住区にはわたしのための部屋も用意してあって……わたしはしばらくそこでお世話になって、いずれ独り立ちするつもりだった」
わたしを召喚したことで彼は寿命を縮めたのだ……とオドゥは言った。彼の話が本当なら、グレンは自分に残されたわずかな時間を使って、わたしに尽くしてくれたことになる。
「それでこの護符をもらったの。ひとつはこの工房の、もうひとつは師団長室を開くためのカギなの。そのときに杖作りも頼まれたわ」
「工房と師団長室……ではあとひとつは何だ?」
わたしは三枚目のプレートに手をふれた。他のふたつと変わらないように見えるけれど、これについては何も聞かされていない。
「それは聞いてない……『後で教えてやる』ってそれきりで、魔素を流しても何の反応もないの」
レオポルドがわたしにむかって手を伸ばした。
「それを見せてほしい。その話が本当なら、それがグレンにとっては最後の作品となる」
「わかった」
もう工房も開いてしまったのだ。わたしは首にかけていた護符をはずして彼に渡した。レオポルドは魔法陣を展開して、術式の情報を読みとっていく。
「やはりサルジアの隠し魔法陣と同じ技術が使われている……みごとなものだ。複雑で精緻な術式ながら、ふだんは所有者の体に負担がかからないよう、魔力消費は最小限に抑えられている。私はこれがきみの三重防壁を展開しているのかと思っていたが」
「三重防壁はちがうよ、あれはわたしの体に直接刻んであるの。この肌の下に」
「肌の下、だと?」
目をみひらいた彼から、わたしはたまらず目をそらした。グレンが欠損した部分を埋めてくれたから、わたしの体はどこまでが自分のものか、自分でもよくわからない。
「目だけじゃなく、皮膚もグレンが作ったものだから……でも爪は自分のものだよ」
わたしの体まで調べたいと言われたらイヤだな……と考えていると、彼は淡々といった。
「……星の魔力は死の淵から生還した人間が帯びる。それを利用して三重防壁の魔法陣を動かしているならば、竜騎士の身体強化とさして変わらん」
「最初に天空舞台で会ったときに、わたしを『化け物』と呼んだあなたがそう言うなんてね」
皮肉をこめてそう言えば、彼は「そうだな」とうなずいた。
「自分でも驚いている。きみがあらわれて私が真実だと思っていたことは、何もかもひっくり返された。今では自分の不明を恥じるばかりだ」
「えっ、そこまで落ちこまなくても」
「別に落ちこんではいない」
レオポルドは慎重に魔法陣を操作して、複雑に陣形を組み合わせていた個々の魔法陣の働きを読み取っていく。
「カギの機構は『封印』とは逆の手順を踏んで入り口が開放されるしくみだ。それだけでなく工房に置かれた魔道具も起動するようになっている。封印されている間は中の状態は保たれるのか…… 師団長室が開けられなかったのも無理はない」
レオポルドはもう一度、花のスケッチに目を落とした。
「グレンが花を彫るとは意外だったな……」
「それは……わたしが『もっと可愛いのがいい』って文句言ったから」
「そうか……三枚目の魔法陣は『封印』ではなさそうだ。魔法陣というより、もっと別の……ただ術式を刻んであるだけだが、グレンがこの護符をつくった作業台はどこだ?」
「作業台はこっち……どうするの?」
レオポルドは護符のプレートをはずすと作業台にセットした。
「隠し魔法陣は直接魔道具に刻むのではなく、あらかじめ描きだした魔法陣を内部に収束させる……刻まれた術式を投影するぞ」
作業台にレオポルドが魔力を注ぐと、グレンが作業していたときそのままに、護符から術式が空中に展開するように浮かびあがった。立体に展開された術式を見て、わたしはようやくこれが何なのか知る。
「グレンが……これをわたしに託していたなんて……」
わたしがここで見つけるつもりだったふたつの設計図が、三枚目のプレートには記されていた。ひとつは膨大な術式で描かれた〝ネリア〟の設計図で、レオポルドが低くうめいた。
「母の魔石は……そこにあるのか」
「ごめんなさい……」
わたしの心臓に使われてしまったから、レイメリアの魔石を彼に渡せない、それだけでなくグレンが設計した彼の杖ももう作れない。
わたしが唇をぎゅっとかむと、設計図を食いいるように見ていた彼の顔色が変わった。
わたしも彼の視線を追って息を呑む。それはグレンが遺した〝魔術師の杖〟の設計図で……。
「これ、杖の設計図が後から変更されている……そんな!」
オドゥも知らなかった、グレンがレイメリアの魔石をわたしに使った後に加えた変更点、そしてこれこそがグレンが最期までレオポルドと距離を置こうとした理由。
『わしが戻ってこなければそのときは』
杖の設計図はグレンの魔石を使うようにと描き換えられていた。
杖を作る場合、必ず近親者の魔石を使う訳ではないです。レイメリアの魔石を使う前提で設計した杖なので、代わりのもの……と考えたときにグレンの頭に浮かんだのが自分の魔石でした。
読者さんの疑問に答えるQ&A
Q.カディアンがメレッタに惹かれたタイミングはいつ?
A.具体的には172話でアナの話を聞いたカディアンが、メレッタの部屋にかかるフリルのついたカーテンを想像した時からです。









