375.封印解除
よろしくお願いします。
どうしよう……昨日からずっとレオポルドの距離感がヤバい。
顔のほてりがひかなくて、わたしは両手で自分のほほをはさんだ。
彼の態度が変化したのは工房にはいるためかもしれない……どこかでそう疑ってしまう自分がいる。
だとしても彼があそこまでやるなんて。
『グレンのこともだが……私はお前のことも知りたいと思っている』
昨夜、銀河のしたで彼はそういった。
手首にあてられた彼の唇を思いだし、わたしは唇がふれた場所を手でぎゅっと握りこんだ。
『……信用してはいない。私はデーダスでグレンとネリア・ネリスについて探る』
いまも彼はこの家で、何か見逃していることはないかと探している。
書斎に戻れば彼はきっと、また眼鏡をかけて本の山にむかうだろう。
そして何が明らかになったとしても、わたしが願えば彼の杖を作らせてくれると……。
待って、もしかして昨夜……わたしは彼に、とても重大なことを言われたのでは。
『お前があきらめずに私のそばで杖を作り続けるというのなら、私はそれを受けいれる』
それって……もしかして『ずっとそばにいろ』ということ?だからあの距離感なの?
人を寄せつけないように見えた彼が、あんなふうに自分から距離を詰めてくるなんて……。
こっちの心の準備とかおかまいなしに、不意打ちでくるくせに彼自身もどこかとまどっていて、勇気がいるとか緊張するとか……。
「心臓に悪すぎる……こういうのってどうしたらいいの?」
すくなくともグレンの書斎にはその答えは転がっていない。
まだ王都へむかう前、デーダスでグレンの帰りを待っていたときは……この世界の知識はすべてここにあるような気がしていたのに。
わたしは天井をにらんでため息をついた。
落ちつけ心臓……胸を押さえて深呼吸を何回かやってみて、全然ひかない顔の赤みにわたしは絶望した。
「無理……レオポルドのバカ……!」
どうかこの動悸がおさまるまで、彼が書斎へもどってきませんように!
何が正解かわからない……答えのでない方程式は自分がどうふるまえばいいかすら、わからなくさせる。
彼を知る、彼のすぐそばにいて彼を知っていく……杖づくりには必要なことだ。
彼自身を探っていい……ふれることすらはねのけた人が、まさか自分からそんなことをいいだすなんて。
けれどそのかわりにデーダスの工房を開け、と。
「そういうことだよね……」
わたしは立ちあがり遮音障壁を展開した。彼は工房で何か見つかるのではないかと疑っている。
そしてその答えはまちがいなくイエスだ。
そのうえで「何があろうとそばにいる」と、自分の覚悟を話したのだ。
書斎にしかけられた魔法陣を起動すると、それを感知した家が答える。
―封印の呪文をどうぞ。―
ばっちゃがいってた。
『やらない後悔よりも、やった後悔のほうがマシなんだよ』
おびえてやらずに後悔するぐらいなら、たとえ無謀にみえてもやってからする後悔のほうがマシだ……!
異変を察知したレオポルドが血相を変えて書斎に駆けこんでくる。
書斎の床に出現した魔法陣に黄昏色をした瞳が大きくみひらかれ、彼は凍りついたように動きをとめた。
わたしは遮音障壁が展開してあることに安心して、この世界では誰も知らない自分の名前……生まれたときに両親がくれた本当の名前をつぶやく。
「松瀬奈々」
自分の名前をつぶやくだけで、泣きたいような気持になるなんて知らなかった。
けれどその言葉に反応して魔法陣が金色の光を帯びて輝くと、封印が解かれると同時に工房全体に地脈からの魔素が流れこむ。
ヴィイイ……ン……。
震えるような機械音は空調をつかさどる術式に魔素が満たされたのだろう。
デーダス荒野の地下にあり、魔圧計や魔流計……地脈から得られる豊富な魔素を利用するための、さまざまな計器がならんだグレンの工房が目を覚ます。
わたしは遮音障壁を解除すると、レオポルドをうながした。
「工房の封印は解いたよ。いこうか……レオポルド」
けれど彼は床にあらわれた工房の入り口には目もくれず、わたしが遮音障壁の内側でいった言葉を気にした。
「いま……なんといった?」
「……封印を解除するための呪文だよ。たいした言葉じゃ……」
ない、といおうとしたわたしの手首を、彼が真剣な表情でとらえる。
「だがその言葉をつぶやいたとき、お前は泣きそうな顔をしていた」
……なんでそんなことに気づくの。
やめてよ、聞かないで。どうして泣きたいのかなんてわたしにもわからない。
「工房をみせるのがイヤなのかと思っていたが……封印の呪文にも何か原因があるのか?」
「何でもないよ……グレンが死んだときのことを思いだしただけ」
なおも問いを重ねる彼に顔をゆがめて返事して、わたしは腕をひこうとしたけれど、彼はつかんだ手首をはなさなかった。
ぎゅっと唇をかみしめてにらみつけるようにして彼をみあげれば、彼はその黄昏色をした瞳でわたしを静かにみおろしている。
「泣くなといいたいが……お前を思いっきり泣かせてやりたいような気もする」
「……どっちなのよ!」
かみつくように返したわたしの瞳から涙がひと粒こぼれおちた。
それを指ですくった彼は、ぼやけはじめる視界のむこうで首をかたむけた。
「そうだな……私の好きにしていいか?」
あありがとうございました!









