366.そこでずっと待っていたもの
デーダス荒野へ出発前の師団長室です。
「自分のことは自分でされますから、とくにめんどうのいらないかたですよ」
出発前にマリス女史からは、そう教えてもらった。素材の保管庫や工房、資料室を確認しているとレオポルドが師団長室にあらわれる。
黒いコートを着た彼は旅装らしい四角い鞄を持っていた。手袋をはめた手で内ポケットを探り、一冊の手記をとりだして渡してくれる。
「これは……?」
「塔に保管されていた母の手記だ。各地を飛び回った覚え書きのようだが、きみにはおもしろいかと」
きれいな書体で書かれたレイメリアの手記は、わたしの手にすっぽりとおさまる小ささだ。
「わたしが読んでもいいの?」
「ああ、〝知らずの湖〟もそこに載っていた」
パラパラとめくれば、各地の名所を写した古いフォトの下に、彼女の書きこみがある。
何がおいしかったとか、その場所で買いたいものリストとか、美しいと思った景色への感想とか、そういった内容だ。
ちょっとした好奇心でわたしは〝知らずの湖〟のページを探した。彼女はあの湖についてなんと書いているのか気になったからだ。
ページはすぐに見つかったけれど、そこに書かれていたのはたったひと言だった。
『思い出の場所』
どんな思い出かは書いていない。きっとそれは彼女だけの思い出なんだ、とても大切な……。
「ふふっ、これはレオポルドが持ってなよ。わたしも同じようなの作ったよ」
サーデを唱えれば居住区に置いてある、手づくりのフォトブックが飛んでくる。師団長室のテーブルに座って、それをひろげた。
「マウナカイアでフォトの使い方をメレッタから教わったの。ときどき王都にでかけては気になった場所を撮ってるんだ。レイメリアも同じようなことしてたんだね」
「ほう」
レオポルドはレイメリアの手記とわたしのフォトブックを見比べた。
「こうしてみると筆跡もちがうな、はっきり別人だとわかる。きみの字はつたない」
「つたないは余計だよ!」
「それとこの魔道具……居住区で見つけたの。壊れていたものを直したんだ」
わたしはようやくレイメリアの姿を映す魔道具を彼に渡した。
「ここをね、こうやって押すと……」
映しだされたレイメリアはこちらをむいてにっこりと笑った。
それをじっとみていたレオポルドは、わたしの顔に視線を移してぽつりといった。
「……似ているようで似てないな」
「あたりまえだよ!」
いたずらっぽい笑みを浮かべているものの、レイメリアの動きは洗練されていて美しい。こんな美女と見比べられても困る。
クッとかすかに笑って立ちあがった彼がわたしに手を差しだす。
「いこうか、マイレディ」
中庭を横切り居住区にやってきた彼は、室内を見回した。
「もうだれもいないのか?」
「ヌーメリアはアレクを連れて、ヴェリガンの実家にいっしょに帰省してる」
「そうか、研究棟も無人になるのか」
「レオポルドこっち、デーダスへの転移魔法陣はこの奥にあるの」
わたしの寝室にはいるとき、彼は一瞬ためらった。彼はベッドのほうは見ようとせずに、その脇をとおり奥につづく小部屋にむかう。
ソラに頼んで片づけてもらったから、ドアを開けると床の中心にある魔法陣がよくみえる。けれどレオポルドは魔法陣よりも部屋に気をとられたようすだった。
「こんな小さな部屋だったのか」
「うん、そう……物置になってて。昔は子ども部屋だったんだよね?」
レブラの秘術でみた魔道具の記憶では、子どもの彼が床に座りこんで、ひろげた白い紙に何かを一心に描いていた。
「ああ」
「レオポルドに渡したレイメリアの姿を写す魔道具はここで拾ったの。壊れてしまっていたのを修理したんだ」
「そうか」
ぼんやりとした記憶をたどるように、レオポルドはゆっくりと部屋の中央に進む。デーダスへの転移陣を踏み、しばらくそれを見つめていたが、急にハッとしたようにわたしをふりかえった。
「〝エヴィ〟がここにいた。呼べばいつもすぐに返事があった」
「〝エヴィ〟?」
そのままレオポルドは足早に小部屋をでて、寝室をつきぬけリビングにむかう。
そこには師団長室の守護精霊、ソラと名乗るまえはエヴェリグレテリエと呼ばれていたオートマタがいて。水色の瞳でまっすぐにレオポルドをみかえした。
「きみなのか、〝エヴィ〟」
ソラは静かな声で返事をした。
「……はい、レオ」
いろいろ過去とつながってきました。









