連載2周年記念SS グレンとネリア
この世界にきたばかりのネリアとグレン。
オドゥも少しだけ顔をだします。
レイメリア、きみに会いたい……ただそれだけが望みだった。
「王都での用事はこれで済んだな。ではデーダスへ移動する」
「かしこまりました。お戻りはいつになられますか?」
人の気配がしない師団長室で、真っ白な髪に赤い瞳のエヴェリグレテリエが、立ち上がったグレンにたずねた。
「わからん……当分、あれが安定するまでは、デーダスにいるつもりだ」
「あれ……」
主を見送るオートマタは、無表情にそうつぶやくとまばたきをした。
「研究棟のことはカーター副団長に任せる。何か手に負えなければオドゥに」
「はい、いってらっしゃいませ」
デーダス荒野にぽつんと一軒だけ建つあばら家。
その地下にグレンは新しい工房を造っていた。サルカス山地を水源にした水流が地底を流れ、荒野の地下には豊かな魔素が循環していた。
錆びたペンキにきしむ扉……古ぼけた外観はわざとそうしたのではなく、デーダスの風はそれほど強い。
グレンは転移してすぐに工房の鍵をあける。
ひんやりとした冷気がただようのは、そこにある個体を低温槽で保管しているためだ。
低温にしてわざと生体活動を低下させ、ゆっくりと組織を修復していく。
ただの治癒魔法では、急速に再生した組織がいびつになる恐れがある。傷のないきれいな体を再生するのに時間をかけた。
「もともと異界からきた、この世界には存在しない異質な者だ。それを定着させるために〝星の魔力〟とつなげた。世界を渡るのに使いきってしまったようだが、もともと内包する魔力量は多い個体だ。〝星の魔力〟で満たせばこの世界では不自由なく生きられるだろう」
きょうは個体を恒温槽に移すことにしていたが、そうすると生体活動は活発になる。
一瞬でも目を離せない……グレンは工房に長期間こもることを覚悟していた。
そしてそれは予想以上に大変だった。グレンが水槽を管理する魔道具の数値をチェックしていると、脳に直接呼びかける声がする。彼女が目覚めたのだ。
「そこにいるのはだあれ?わたし、どうしてこんなところにいるの……おうちに帰りたい」
ダメだ……彼女に「帰りたい」と望ませては。
グレンはあせりつつも必死に呼びかけた。
「わしはグレン。お前を助けた者だ……名は言えるか?」
「……わかんない」
それだけ言って、また彼女は眠った。
一日のほとんどを彼女は水槽のなかで眠り、ときどき目覚める。
そのたびに「グレン」と名乗る。それを何度かくりかえすうちに、彼女はようやく彼の名を覚えた。
彼女は目覚めるとグレンを呼ぶ。
泣きながらだったり叫びながらだったり、ときには歌うように。
そこにいるのか確かめるように。今もまた、水槽のなかでピクリとまぶたが動き、彼女の意識は浮上したようだ。
「グレン……」
「起きたか」
脳に直接響く声に返事をすれば、初めて娘はグレンに要求してきた。
「グレン、お話して」
「そうさな、きょうは深海に暮らす、人魚たちの王国について話してやろうか」
「人魚⁉聞きたい、聞かせてくれる?」
「かまわんが……いまのお前はまどろみの中にいる」
「まどろみの中?」
「夢を見ているようなものだ。覚醒すればすべて忘れてしまうだろう」
「忘れちゃうの……?」
「ああ」
「それでもいい、聞きたい……わたしにこの世界のことを聞かせて?」
「では……遠く南の海には海王が治める人魚の王国カナイニラウがある。そこは珊瑚に彩られし泡の王宮で……」
娘はグレンの話を何でも聞きたがり、彼も語り続けた。あるときは樹海に棲む植物たちの戦い……魔獣たちの生態について。
グレンとてこれほど人と話したことはない。
魔術学園の臨時講師をつとめたときも、最愛の女性を相手にしていたときでさえ……。
話しが尽きそうになっても、錬金術をやるただの手順さえ、娘はおもしろそうに聞いている。
「レンキンジュツ……やってみたい、おもしろそう!」
娘の声が弾み、グレンはふっと笑った。
「お前が起きてもそれを覚えていれば、教えてやろう」
「うん、楽しみ……わたし、いつ起きられる?」
「最後に瞳を作って視神経とつなげる。そうすれば恒温槽からだして、ベッドに寝かせる。ただし体を自分の思い通りに動かすには、まだ時間がかかるだろう」
「リハビリかぁ……そうだよね」
しょんぼりとした娘のようすに軽く笑い、グレンが工房からでると外には客がきていた。
吹きすさぶ風に鼻も口も覆った男を見て、グレンはつぶやいた。
「オドゥか……」
「素材を持ってきましたよ、グレン……僕には転移陣を動かせませんからね。わざわざ陸路を使ってきたんです。中に入れてくれませんか?」
エルリカから魔導車を借り、荒野を何日か駆けてきたのだという。オドゥは疲れた様子で眼鏡をはずし、こげ茶の髪をかきあげた。
「僕だって二人で招喚したあれがどうなったか気になるんです。見せてもらせませんか?」
自分に何かあれば工房の管理はオドゥが引き継ぐことになる……そう思ったグレンは彼を工房に案内した。
気配に気づいたのか、水槽で眠る娘はふっと笑みを浮かべ、また深い眠りに落ちていく。
オドゥは恒温槽を食いいるように見つめた。
「あの子……僕を見て笑った!」
「夢を見ているようなものだ。はっきりとした意識はない……赤子が笑うようなものだ」
娘から視線を外さず、オドゥはグレンにたずねる。
「どうやってこの世界に定着させたんです」
「毎日、話しかけ続けた。請われるがままにいろんな話をしてやった」
「どうやって?」
「…………」
その不穏なようすにグレンが口を閉ざすと、オドゥは重ねて問いかけてくる。
「恒温槽に浸かったままの彼女と、話すにはどうしたら?」
「それを知って何とする」
「もちろん彼女と話をするんですよ。僕の魔力だって使った……あの子は僕のものだ!」
「ちがう!娘自身が決めることだ。それに今の彼女は『生きる』だけで精一杯だ」
深緑の瞳が殺気を帯びた。成長したオドゥと本気でやり合えば、おそらくグレンが負ける。
「それを見ていろと?黙って待っていろというのですか?」
「そうだオドゥ、お前の望みは異界の娘を手にいれることではない」
グレンの返事に、息子と同い年の弟子はぐっと拳をにぎりしめた。そして低い声で問いかけてくる。
「僕の望みは……家族を取り戻すことだ。ではグレン、この娘をいつ使うつもりなんです?」
「ネリア?」
目を開いたばかりの娘には、ぶっきらぼうすぎたかと、ゆっくりと確かめるように聞き直す。
「わしは〝グレン〟だ。お前さん、名前は?」
「―――」
何か答えようとして、娘はすぐに答えられなかった。
さまざまな表情がその小さな顔に浮かび……そして消え去った。
どこか陽気でいつも楽しそうにグレンの話を聞いていた娘は、不安そうな顔をしてベッドに横たわっている。
「"ネリア"……でいい」
しばらく経ってから、娘がつぶやく。
「ネリア?ネリアか……ふむ、そしたらネリア・ネリスとでも名乗るか?」
提案すると娘はうなずき、困ったように眉をよせた。
「ねぇ、グレン……」
「なんだ?」
「世界が緑色なんだけど……」
「ふむ……色調補正の術式を忘れておった。追加してやろう……これでどうだ?」
娘がパチパチとまばたきをすると、瞳の中央で瞳孔がすぼまり、グレンの顔に焦点があう。
じっと彼の顔を見てから娘はいった。
「わたし、動けるようになる?」
「……ああ。だから今は眠れ」
「目が覚めたら……グレン、わたしにこの世界のことを聞かせて?」
『それでもいい、聞きたい……わたしにこの世界のことを聞かせて?』
水槽にいたときと同じようなことを言うと、娘のまぶたは閉じられて、すぐに健やかな寝息が聞こえた。
手を貸してやろう、この娘に。
世界を見たいといったこの娘に、世界を見せてやろう。
老いた錬金術師のさびついた心に、ひさしく感じることのなかった興奮が湧きあがる。
それと同時にズン、と胸に重たい気配を感じた。心臓の魔石化は徐々にだが確実に進行していた。
「お帰りなさいませ、グレン様。あれのようすはいかがでございますか?」
師団長室に戻るとすぐに姿をあらわしたオートマタに、グレンは返事をした。
「〝ネリア・ネリス〟だ。そう呼んでいる」
「ネリア……ネリス……」
主を出迎えたオートマタは、無表情にそうつぶやくとまばたきをした。
もうじきグレンパートも書けるなぁ……と思いつつ。
次回はレオポルドとネリアの閑話です。









