4巻発売記念SS カイとグレン
4巻発売記念SS、カイとグレンのエピソードです。
9章開始は次回からです。
マウナカイアに魔導列車の線路が引かれ、王都から続々と人間が訪れるようになると、静かだった浜辺の光景は一変した。
サンゴ虫の死骸が砕けてできた、どこまでも白い砂浜は人魚のドレスや腰巻をつけた人間であふれかえった。
それを目当てにみやげや食事を売る店も建ち、白い壁と珊瑚でできた美しい駅舎を持つマウナカイア駅前は、そぞろ歩くひとびとでにぎわう通りとなった。
煌々とふたつの月が照らす砂浜で、波の音だけが聞こえるなか、人間と人魚が唄を贈りあった情景はもうどこにもなかった。
海王はついに、カナイニラウとマウナカイアを結ぶ転移魔法陣の破壊を命じた。
人魚たちのなかには反対するものもいたが、海王の決定には逆らえない。
もともと人間の娘である海王妃レイクラは、海王の決定を悲しんで部屋に閉じこもった。
海中にいくつか設置されていた魔法陣は次々と壊され、とうとう最後のひとつになる。
マウナカイアにいちばん近く、レイクラが輿入れにつかったといわれる最大のものだ。
当時は海王にいざなわれたレイクラといっしょに、見送る人間たちもおおぜい波止場に集まった。
祝福の声にわきたつ浜辺から、人間から人魚へ手渡された嫁入り道具が、どんどんと転移陣に運ばれた。
浜辺がとてもにぎやかだったと聞いている。いま陸は同じようににぎわっているだろうに、人魚たちはだれもそれを見にいくことはできなかった。
「海王様のご命令だ。陣を壊せるものはいるか!」
宰相の呼びかけに応えるものはいない。だれも気が進まない。
人間との交流を断てば、いずれ自分たちはヒトガタを保てなくなる。海を回遊する大きな群れにもどるだけだ。
自分たちの存在はいずれ人間から忘れられ、ただのおとぎ話になるだろう。
だれもがためらっていると、明るいエメラルドグリーンの髪をもつ少年が声をあげた。
「俺がやる。壊すのはとくいだ」
「カイ様……」
母レイクラの故郷マウナカイアの海に似た、あざやかなエメラルドグリーンの瞳……海王の一人息子でもあるカイだった。
きょうは母がとても悲しそうにしていて、カイはその顔をみるのがイヤで王宮を飛びだした。
海で生まれたカイには『陸が恋しい』という感覚がわからない。
どうせ壊すのならひと思いにやってしまったほうがいい。壊してしまえば母もあきらめるだろう……そう思った。
海には地上よりも深く豊かで美しい世界がある。カイだってまだこの広い海を半分も探検していない。
レイクラだってもっと泳げれば、もっと人魚の言葉を話せれば……きっとカナイニラウを楽しめるはずだ。
そうしたらもっと笑えるだろう。
転移魔法陣を壊したとしても。
「我ら海の精霊から加護を与えられし者。海の統治者たる海王が命により、海王が一子、カイ・ストローム・カナイニラウがこれを破壊する!」
幾世代にも渡り大切に管理してきた転移陣、それにむかいカイは何のためらいもなく、成長期にはいりぐんと伸びてきた魔力を放った。
精霊たちが使う言語、古代文様で彩られた美しい魔法陣は粉々に砕け散り、それを波がさらって跡形もなくなるだろう。
みながそう思った瞬間、まばゆい光とともに転移陣からひとりの男があらわれ、強力な防御魔法を展開するとカイが放った魔力をすべて受けとめた。
「なっ⁉︎」
だれもが覚悟していた瞬間は訪れず、転移陣はまだそこにある。カイは男を凝視した。
(こいつ、トビウオみたいな色してやがる……それに腰巻も使わず海中に?)
銀色の髪に不思議な輝きをみせるミストグレーの瞳は、熱帯の鮮やかな色を映す人魚たちよりも魚らしい色だ。
しかもなぜか二本の脚が生えていて、男は人間のまま転移陣を通りこちら側にきたらしい。
「網を!捕らえろ!」
まわりにいた人魚たちが放った網で男はすぐに捕らえられ、〝泡の王宮〟の玉座にすわる海王の前にひきだされた。
海王は興味深げに男をみおろし、カイはそのようすを玉座の影からながめた。
「ほぅ……ただの人間が生身でここにこられるわけがないと思ったが……〝風〟の影響もあるものの、お前自身は〝地〟の末裔だな。何をしにきた」
「みつけた魔法陣を作動させただけだ。いまごろ地上では連れが私を探している」
海王の問いにも男は落ち着いてきちんと答えた。レイクラでさえ不自由している水中での会話に、苦労することはないようだ。
「地上へ戻すことはできぬ。このカナイニラウで暮らすがよい。『食事』を用意させろ!」
南国ではあまりみかけない、珍しい銀髪の男に人魚の女たちが色めきたった。
海で船乗りを誘惑することが多い彼女たちには、背が高くて骨ばっているものの、すらりとした体躯の男は新鮮だった。
「彼の髪、ギンイワシみたいじゃない?」
「あら、瞳だってアオサバみたいよ。ちょっとマウナカイアの男とはちがうタイプよね!」
男の前にはすぐに人魚の女たちがそれぞれ、腕によりをかけたご馳走がならべられた。
魚の切り身もあれば、焼き魚に煮魚……コクがあるエビのスープに、凝ったすり身の蒸し物まである。
どこまでも海のものしかないが、海草を使った甘いゼリーみたいなものまであった。
だれの料理に手をつけるか……女たちはいつでも男に腰巻を渡すつもりで、彼のようすを見守った。
いわば集団と見合いをさせられているような状況だが、それに気づいているのかいないのか、男は無言で目の前にならぶ食事には手もつけず、ただ眺めるだけだ。
「…………」
カイが皿のなかに自分の作った塩むすびを置いたのは、ほんの出来心だった。
ひと口サイズに握った米の塊に、塩味が少々ついているだけ。
(人間なら食うかもな……)
母をなぐさめるつもりで作った皿にレイクラは手をつけず、しかたなくカイはそこに置いたのだ。
やがて男が手を伸ばしてとったのは、カイが作った塩むすびだった。
ひと口かじってうなずき、それをガツガツと食べ始めたので女たちがいっせいにがっかりした。
(あいつ……何で俺の作ったもん、食ってんだ?)
当のカイがいちばん驚いた。女たちのジトっとした視線が自分にむけられる。
(や、それ俺のせいじゃねぇし)
カイは面白くなって男に話しかけた。
「俺はカイ、お前は?」
「……グレン」
ミストグレーの瞳がカイをみかえした。
「グレンか、俺は半分人間なんだ……母親がマウナカイア出身だ」
「〝人魚の末裔〟……海の精霊から受ける影響が濃い一族か」
ボソボソと返事をする声は低いがよく通る。
彼が不自由なく自分たちと話せるのは、高度な言語解読の術式が働いているおかげだとは、当時のカイはまだ知らなかった。
「なんだそれ……たしかにカナイニラウは海の精霊に護られてるけどよ。それよりおもしれぇなぁ、あんた。あんだけ女たちが心づくしのご馳走をならべてんのに、俺が作ったモンばっかり食ってよ」
「……塩加減がちょうどいい」
ボソリと返事をしたグレンにカイはうなずく。
「ワジに教わったのがよかったのかな。ま、一緒に暮らすんなら味の好みはだいじだな」
「一緒に……暮らす⁉︎」
目をむいて驚いたグレンに、カイはあっさりと告げる。
「お前が使った魔法陣はさっき俺が壊した。これでカナイニラウはマウナカイアとの交流を断った。もう行き来はできねぇよ」
「それでは魔導列車をひいた意味がない!」
顔をしめたグレンにカイは言いかえす。
「その魔導列車のせいだろうがよ、マウナカイアにおおぜい王都の人間がくるようになったのは。俺たちは人間と関わらないと決めたんだ」
「私のせいか……しかし……」
あごに手をやり考えこんだ銀髪の男にむかい、カイはニカッと笑った。
「心配すんな、俺が一生めんどうみてやるよ。できたら女がよかったけど、お前はお前で面白そうだ」
「……は⁉」
自分の作ったメシを食ったからには、めんどうをみてやらないといけない気になる。
母レイクラのために働く料理人のワジに習った腕が、こんなところで役に立った。
いわばペット的な扱いだが、銀髪の男はしばらく考えこんで、ポリポリと頭をかいた。
「……人魚の女をあてがわれるよりはいいか」
「なんだよお前、女嫌いか?」
「女が……というより人間が苦手だ。だれかといっしょに暮らすなど考えられん」
「そうか。じゃあ人魚はどうだ?」
「わからん」
「じゃあ試してみろよ、海ん中も悪くないぜ」
そうして泡の王宮の一角、カイが母のレイクラと暮らす離宮でグレンは暮らしはじめた。
レイクラは驚いた顔をしたが何もいわなかった。
ずっと年上にみえた男は、きけばカイと同い年だという。
カイはわりとマメに食事を用意してやった。
グレンはカイが用意したものを黙々と食べる。
ただそれだけだが、カイにとってはなぜかそれが面白かった。
習い覚えたばかりの料理の腕をふるうのが楽しいし、ろくにしゃべらないくせに観察していると男の反応はわかりやすかった。
何の感情も浮かんでいないようにみえるミストグレーの瞳は、うまいものを食べたときだけ驚いたようにみひらかれる。
骨格がしっかりしたグレンは、みていて気持ちがいいほど勢いよく食べ、それなのに突然ピタリと食事をやめる。
料理が失敗したときの反応も正直で、顔をしかめて「これは人間の食いものじゃない」という。
文句をいうときだけは、ちゃんと文章になるのも笑えた。
そんなときはカイも「どれどれ」とひと口食べて、同じように顔をしかめてそれはウミウシのエサにした。
ふたりそろって腹を壊し、あきれたレイクラから居住区を追いだされたこともある。
人魚の腰巻をつけたグレンはすぐに泳ぎも覚えた。
とりあえずカイはレイクラの料理人であるワジの息子ナジも誘い、グレンをあちこちに連れていった。
どこまでも深い海溝にもぐりこむこともあれば、海底火山に海底洞窟……海底の地形は起伏に富んでいる。
川の流れのように海流に乗り、魚たちの群れと競争もするし、嵐の海面にわざと躍りでて波乗りをして遊んだりもした。
グレンも自由で気ままな毎日をそれなりに楽しんでいるようにみえた。
ときおりカイも知らない複雑で精密な魔法陣を描くが、カナイニラウで暮らすほかの人間と変わりなかった。
ある日、海王がレイクラの元を訪れた。転移陣を壊してからというもの、レイクラは笑顔をみせなくなっていた。
「息災にしていたか?」
「はい……」
海王の気づかわしげな問いかけにも、レイクラの表情は昏いままだ。
「カイが連れまわしているという人間の男はどうしている」
「面白がってカイが世話をしてますが、同い年とはいえ成人した男です。このままおとなしく飼われるとは思えません」
「かもしれん……だがマウナカイアと交流を断ったいま、カイが『人間』について学ぶにはあの男をそばに置くのがいいだろう」
海王は腕に生えてきた鱗をさすった。この腕ではいずれレイクラを抱くこともかなわなくなる。
それを海王はレイクラに伝えられないでいた。目を伏せたレイクラのほうも、海王のそんなようすには気づかない。
子までなした仲だというのに相手を思いやりすぎて、たがいに自分の気持ちをいえなくなっていた。
「吾の代では交流を断つが、いずれカイの代になればまた復活させればよい……それまでの辛抱だ。転移陣に落ちてきたのが男ではなく、娘ならよかったが」
それにはレイクラが言いかえした。
「人間の娘は海中の転移陣に落ちたりしません。人魚の男が花嫁衣裳を持って陸まで迎えにいかなければ」
「それもそうだな」
祝福の声にわきたつ浜辺はとてもにぎやかだった。
人間と人魚の歌声が重なりあう……レイクラは目に前にいる海王よりも、心のなかにある思い出に想いをはせた。
ひと月もするとカナイニラウにだいぶ慣れたのか、グレンはひとりで動き回ることが増えた。
カイの知らぬ間にふらりといなくなっては、いつのまにか戻ってくる。そして何やら作りはじめる。
魔道具を作るうちはまだよかったが、様々な素材を集めては調合をはじめ……どうしてだか知らないが離宮を半壊させた。
(こいつ……俺の手には負えねえかもしれねぇ)
崩れた離宮の片づけよりも、失敗した原因をブツブツと分析し続けるグレンに、カイはそんなことを考えるようになった。
離宮での爆発が三度目になり、あの男は牢獄に閉じこめたほうがいいと、人魚たちが騒ぎだすとカイも心を決めた。
ある日、カイは王宮からフラクタル模様も美しい巻貝のペンダントを持ちだして、グレンに腰巻をつけさせ王宮の外に連れだした。
「その魔道具ははじめてみるな」
「オヤジんとこからちょろまかしてきた」
ペンダントに魔素を流せば、海中に転移魔法陣が展開した。
その転移陣を使えば、マウナカイアではないが白く美しい砂浜にでられる。地上にでたならばこの男は帰れるだろう。
見渡すかぎり海と空しかない世界に、ぽっかりと浮かぶ白い砂浜。
(ここに連れてくるのは、惚れた女と決めてたんだけどなぁ)
心のなかでちょっとだけぼやき、砂浜であらためてカイはグレンを観察した。
たいして手入れしてない銀髪はボサボサだし、ふつうの顔をしたどうみても骨っぽい男だ。
それでもとっておきの海と空しかみえない白い砂浜では、風にあおられたグレンの銀髪が光り輝く。
(やっぱいいな)
こいつで気にいってるのはそこだけだ。太陽の光を浴びて輝く銀髪をみれたことに、カイはなぜか満足した。
「忘れんなよ、俺のこと。カナイニラウのこともだ」
「……ああ」
身をひるがえし、海に飛びこむ。人魚への変化は一瞬だ。尾びれが力強く海水を後方におしやった。
グレンを砂浜へ置き去りにして、カイはカナイニラウに戻った。
泡に包まれた居住区に戻ったカイが、ナジのところに遊びにいくと、父親のワジが顔をだした。
「おやカイ様、いつもいっしょだった人間のご友人はどうしなすった」
「逃がした」
ワジは驚きもせずうなずくと、魚のすり身を蒸して焼き目をつけたものをだしてきた。
「ほ、まぁあのご友人は陸にもどる気はしてました。海にいつくようなヤツじゃない」
「うめぇな、これ」
腹がいっぱいになると、胸に感じるスキマも埋まる気がする。そのときカイは、自分が寂しがっていることに気がついた。
(そうか、こういう気分なのか……なんだかんだで俺、アイツのことを気にいってたんだな)
『陸が恋しい』という感覚はわからないが、いつでも会えたはずのヤツが手の届かないところに消えたという感覚なら、今のカイにもわかる。
「ま、放し飼いっての悪くねえな。放流したようなもんだ」
長命種である人魚族は気が長い。
にこりともしないヤツだったが、いつか戻ってきたら風に踊る銀の髪がまたみたい。カイはぼんやりとそう思った。
「もう帰ってこないかと思いましたよ、グレン」
グレンが海に落ちる前に滞在していた宿に戻ると、でむかえたウルア・ロビンスがのんびりと言った。
「……バカンスを楽しんでいるようにしか見えないが」
マウナカイアシャツを粋に着こなし、丸眼鏡のウルア・ロビンスはいい具合に日焼けしていた。
「魔法陣の痕跡から行く先はわかっていましたからね。これでも必死に探したんですよ、人魚になって泳ぎ回って。すっかり日焼けして、貴重な夏季休暇が終わってしまいましたよ」
たいして残念そうでもなくそういうと、ウルア・ロビンスは立ちあがった。
「さて、あなたの荷物の番をしてあげたんですから、学園の臨時講師をする件……よろしくお願いしますね」
なろうの読者さんはマラソンでいえば沿道や給水地点にいる人だと思っています。
必ずしもゴールで待っている訳じゃないけれど、その時点では完結するかもわからない小説に、だれにとっても大切な時間をくれる。
『魔術師の杖』が書籍化されて4巻まで続けることができたのは、これを読んで下さっている皆様のおかげです。この場を借りてお礼申しあげます。









