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魔術師の杖【コミカライズ】【小説9巻&短編集】  作者: 粉雪@『魔術師の杖』11月1日コミカライズ開始!
第八章 ネリアと秋の王都 続き

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302.ネリアの返事と思いつき

(ああ、まただ)


 わたしはオドゥの深緑色をした瞳をまっすぐに見かえした。


 こういうときのオドゥは何もみていない。いままでのわたしは、底知れぬ淵のような彼の瞳がこわかった。


 それは〝死〟を恐れるのに似ている。何か得体のしれない真っ暗闇にすいこまれるような感覚。だけどわたしはそこから還ってきたんだ。


「グレンは、オドゥの研究を手伝ったの?」


 オドゥが眼鏡の奥で目をほそめた。昏いはずの瞳が一瞬光ったような気がした。わたしはもういちど、念をおすようにたずねる。


「オドゥ、あなたがグレンの研究を手伝ったんじゃない……グレンがあなたの研究を手伝ったのね?」


 オドゥの顔から表情が消えた。


「あなたは最初からそれを研究するために、錬金術師になったんでしょう?」


 人のよさそうな仮面ははがれ、彼は指でずれそうになった眼鏡をおさえてから、ようやく口をひらいた。


「……どうしてそれを」


「グレンだったら……それが本当に彼の望みだったなら、命にかえても成しとげていたと思うから。それに……」


 イグネラーシェをみた……とはいえなかった。


「グレンの工房にはいくつもの文献があった。その内容があなたの研究室にある本棚とではちがっているところが一ヵ所だけあるの」


「本棚をみていたのか……」


「〝生命〟をあつかう項目の文献だけが、あなたの研究室に置かれた本棚にはなかった。あれを書いたのはあなただから、きっとそれはあなたには必要なかったのね」


「…………」


「グレンが手伝ったのはどこからどこまで?」


 オドゥの瞳をのぞきこむと彼の目線は横に動き、わたしから視線をそらした。


「必要な素材を割りだし、異界からこの世のものならざる肉体を召喚するまで、かな。きみの体を死者の蘇生につかうはずだったのに……グレンはきみを助けることを選んだ」


「そう……それでわたしはここにいるのね」


 グレンとオドゥ、二人は協力しあっていた。途中までは……。本題はここからだ。


「あなたがわたしに望むことはなに?」


「グレンが……きみだけに教えた知識を僕にわたしてほしい。僕もできるだけきみの望みに協力するから」


 返事をするのに、すこし間が必要だった。


 イグネラーシェ……オドゥの生まれ故郷、そこを見なければわたしは彼の申し出をことわったと思う。けれど……わたしはレオポルドに連れられてそこにいき、彼の故郷を歩いて見てまわった。もう彼をこわがるのをやめよう、そう決意した。


「……わかった、わたしにできることがあれば協力する。だって師団長だしね!」


 わたしの返事がおもいがけなかったのか、オドゥははじかれるようにこちらを見た。


「だからオドゥも自分がここで生きてちゃんと幸せになることを考えて。あなたが生きているのは家族がいる死者の世界じゃない。わたしといっしょに生きていこう?」


「きみといっしょに……?」


「うん。わたしもオドゥが研究をすすめられるように、ここでがんばるから。あなたはグレンが認めた錬金術師だもの。いい?オドゥはわたしの大切な錬金術師のひとりなんだからね!」


「ネリア……」


 彼の意図を知り彼の研究内容を把握する……用心はしなきゃいけないけれど、彼がわたしに興味があるうちは、きっとわたしに協力してくれる。だからわたしはオドゥの手をとった。


「ちゃんとあなたを信頼する。ほら、わたしに触れられるでしょ?あ……でも、わたしが嫌がることはしないでね?わたし、その……我慢ができない体質だから」


 笑顔をみせると、オドゥはとられているのとは別の手で、そっとわたしのほほにふれてきた。感触をたしかめるようにふれてくるその手は、思ったよりもガザガザと荒れていて、〝仕事をする手〟なのだと思わせる。


「それと、異界からもう肉体をよびだそうとしないで。約束してくれる?」


「ネリアみたいな子をもう作るなってこと?」


 オドゥの問いかけにわたしは首を横にふる。


「ちがう。あなたの寿命を縮めちゃうからだよ。グレンをみていたのならわかるでしょ?」


 ぜったい約束してほしい……真剣に彼の瞳をのぞきこむと、しばらくたってから彼はうなずいた。


「……約束するよ」


「よかった!錬金術師団の業務をやりながらになっちゃうけれど、また相談しよう!わたし、カディアンのところにもどるね!」


 パタパタと足取りも軽く階段をおりていったネリアを見送って、ようやくオドゥは遮音障壁をといた。いまいったい何があった?


「まいったな……ネリアってほんと僕の予想を超えてくるよ……時がたてばたつほど、あの子を生かしたグレンの判断は正しいと思えてしまう」


『いいか、オドゥ……無防備ほど最大の防御なのだと知れ』


 いつもほがらかな父は、狩りをしていると無口になる。その父が罠をしかけながらぼそりといった。


『えぇ?わかんないよ父さん、無防備だったらすぐやられちゃうじゃないか。動物だって無防備な赤子ほど狩りやすい』


『いまにわかる。我らは相手が警戒する隙をつき、その裏をかく。警戒されることに慣れきっていると逆に、無防備なものを前にするとためらいが生じる。そのためらいが我らには命取りとなる』


『ためらい……?』


『それに赤子が簡単だと思うな。その無防備なものを守ろうと、近くに強大な敵が潜んでいるかもしれない』


 あのときの自分は、ためらわずに何でもやれると思っていた。


 何も考えずにまっすぐにとびこんでくるあの無防備さ……それを前にして動けなくなったのははじめてだった。


「無防備ほど最大の防御……ようやくわかったよ、父さん……」


 オドゥは自分の右手を見つめる。その手がさっきまでふれていたあの子の肌は、温かくてやわらかく生きている人間の気配がした。


 自分の顔を真剣にのぞきこんでくる瞳は、濃い黄緑色がきらきらと輝いて。あの瞬間、こっちの心臓がとまりそうになったなんて、あの子は思いもしないんだろう。


「あの子はどうしてウレグ駅でライアスに恋をしなかったんだろう……僕にも望みはあると期待しそうになる」


 オドゥはそうつぶやいてふたたび窓のそとに目をやったけれど、日が落ちて暗くなってきた窓には、自分のぼんやりとした顔が映るだけだった。





「カディアンいる?」


「うぐっ!」


 いきおいよく師団長室の扉をあけると、マドレーヌをぱくついていたカディアンがおどろいてのどに詰まり、あわててカップに手を伸ばしいきおいよくお茶を飲みほしている。お皿の減り具合からみても育ち盛りって感じだ。うん、たのもしいね!


「よかった、まだいた!」


「な、なんだ?」


 わたしはカディアンのところにかけよった。


「いい考えがあるの!カーター副団長にたのんだらどうかな?」


 べつに弟子は一人しかとれないわけじゃない。カーター副団長の弟子、ということになっているオドゥはほぼ独り立ちしているし、王子様の師匠となれば彼は喜ぶかもしれない。


 そうすればオドゥが兄弟子になるから、彼ともそれなりに接点はできる。


「そうか、カーター副団長に!」


 カディアンの顔はパアッと明るくなった。メレッタの父親であるカーター副団長なら、メレッタにたのめばなんとかなるかもしれない。


「うん、それと副団長の家ではアナがメレッタの入団に反対しているらしいの。カディアンはメレッタに協力して、彼女を説得してくれないかな」


 うまくいけば、来年には錬金術師が二人増えることになる。そうなれば師団長としてもヒャッホーだよ!


「夫人を説得か……」


 カディアンにとってもカーター夫人のアナだったら、マウナカイアでも意気投合しておしゃべりをした記憶がある。


 家をたずねても歓迎してくれそうだが、彼女を説得するとなると……カディアンは考えこんだ。


「まずはメレッタに相談してみたら?」


「そうだな……俺、メレッタと話してみる!」


「うん、がんばって!」


 元気がでたカディアンを見送ったわたしは、これが後日とんでもない大騒動をひきおこすことになるとは思いもしなかった。

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