236.ユーリの名づけ(ネリア→オドゥ視点)
よろしくお願いします!
「ええ?イジワルだなぁ〜もぅ。ユーリに会えなくてさびしいって素直にいえばいいのに」
くすくすと笑う彼にあきれると、ずれた眼鏡の位置を指でなおしてオドゥは抗議する。
「んん?ちょっとネリア、聞き捨てならないなぁ。僕はユーリをからかうのが楽しいだけだよ。まぁ、あいつをだんだん気軽に『ユーリ』って呼べなくなるのかな……とは思うけれど」
伏し目がちになったオドゥはいつもより瞳の深緑が濃い。彼の話でわたしも立太子の儀が近いことを思いだした。
「ユーリってどうして『ユーリ・ドラビス』と名乗っていたの?なんだかんだでバレバレなのに」
オドゥは机のうえに残っていたパンフレットを一冊、自分も手にとってそれに目を落とした。
「ユーリ・ドラビスは……グレンがあたえた錬金術師としての彼の名だ。『ユーティリス・エクグラシア』なんて仰々しすぎて、研究棟でもいちいち『殿下』をつけて呼ばないとおかしいだろ?」
「あぁそっか、それはたしかに呼びにくいよね」
仕事しながら「ユーティリス殿下、ちょっとそこ押さえてて!」とか、「じゃあユーティリス殿下、あとやっといてね!」なんて、まるで王子様をこき使っているみたいだ。たしかにこき使……いえ、だいじな戦力として頼りにしてるけどね!
「ユーリがグレンに名をもらって入団をきめたとき、僕も師団長室にいたんだ。あいつ、とっても礼儀正しいのにめっちゃギラギラしててさぁ……ああ、これが〝獅子の子〟か……そう思ったよ」
「ふうん」
わたしはもう一度オドゥの研究室をみまわした。研究棟にいる錬金術師たちの研究室は、それぞれにその運営がまかされている。そのため部屋の主によって雰囲気がまったくちがう。
たとえば地下にあるヌーメリアの研究室は、主に毒物をあつかっていたせいか素材の管理や保管が厳重だ。
温度管理もできる鍵つきの保管庫がいくつもあり、それらに囲まれるようにしてヌーメリアは座っている。彼女自身はひとりで落ちついてそのなかで過ごしているけれど、どの保管庫に何があるかは、ヌーメリア本人にしかわからない。
元温室だったヴェリガンの研究室はまるで森みたいに緑がびっしりで、風の魔石を利用した空気の流れがあり、その一角に家庭菜園やアクアポニックスの研究設備がある。
三階にあったウブルグの部屋は床から天井までカタツムリであふれていた。カタツムリはもちろん、模型にスケッチ、観察日記にカタツムリの動きを分析して計算した術式……さらにはヘリックス試作品やその設計図まであり、それらの隙間に埋もれるように爆撃具や黒蜂の術式や完成品が転がっていた。
よく考えたらあの保管状態って絶対まずいよね。いまは海洋生物研究所でカタツムリの研究に専念しているけれど、いまごろもっとすごいことになっているんじゃ……。
ユーリの研究室は彼が私物を持ちこんでいるから、リメラ王妃に連れていかれた王族の居住区にあったような、落ちついた色調の家具が置かれている。
彼はそこで魔道具いじりやライガの研究をして、わりと気ままにすごしている。気分転換をするため、ときどき自分でお茶を淹れて窓際の椅子で飲むのがすきだと聞いた。
カーター副団長の研究室は、王城から修理をたのまれた壊れた魔道具がたくさん転がっている。王城にはもちろん魔道具師がいるけれど、街の魔道具店にいくヒマがない王城スタッフから私物の魔道具を、もったいぶった顔で預かることもある。
予算獲得だけでなく副団長のこづかい稼ぎにもなっていて、臨時収入があると機嫌がいい。けれどその収入、アナ夫人には内緒なんじゃないかなぁ……。
「オドゥの研究室ってカーター副団長の部屋みたいに、魔道具がいっぱいなのかと思っていたらそんなに物はないね」
「錬金術の仕事はほとんどカーター副団長の手伝いか工房でやるものばかりだから。ここでやるのは文献を読んで術式を考えたり……書く作業が主かな」
そういってオドゥは、コキコキと首を鳴らした。
ひとりで師団長室にやってきた第一王子に、仮面の錬金術師は椅子を勧めることもしなかった。
「本気で錬金術師になるつもりか、ユーティリス・エクグラシア……その名は研究棟では必要ない」
「王太后の旧姓であるドラビスを名乗るつもりです。名のほうは……ユーティとかティルとか……いえディアレス師団長、あなたの好きにお呼びください。それが〝錬金術師〟として生きる、と決めた僕の意思表示です」
僕はそのとき師団長室にいて、資料庫へとつづく扉のまえでふたりのようすを観察していた。名づけはひとつの契約だ。人間の場合はとくに効力があるわけではないが、名をあたえられることでその人物は〝名づけ親〟に紐づけされる。
(ふうん……このガキ、僕があれほど頼んでも得られなかった〝契約〟を、グレンからもぎとっただけのことはある)
従順にみせかけて、グレン・ディアレスの影響がおよぶのはただの〝錬金術師のドラビス〟で、〝ユーティリス・エクグラシア〟に対してではない……と、宣言しているようなものだ。
〝王族の赤〟が錬金術師になるなどはじめてのことだ。首につけられたチョーカーもあるからには、すぐに研究棟からはでていかないだろう。だがここを王族にウロウロされるのは邪魔だな……。
(さて、どう遊んでやろうか……)
そんなことを考えていると、無意識のうちに僕の耳がグレンのつぶやきを拾った。
「ふむ……ユーティ……ティル……ユーリ……」
ユーリ……。
仮面におおわれた男の表情は僕にもうかがえない。けれど仮面の男と一瞬目が合ったような気がして背筋がゾクリとする。
(きづかれた……)
「ユーリにしろ、お前は錬金術師のユーリ・ドラビスだ」
やめろ!
そう叫びたいのに、仮面の男の視線が僕に動くことを許さない。ダメだ!それはそいつの名前じゃない……!
ーーオドゥ兄ちゃん!ーー
「わかりました。僕はユーリ・ドラビス……錬金術師団への入団を認めていただき感謝します……グレン・ディアレス錬金術師団長」
頭をさげる赤い髪のむこうにたつグレンは、仮面の奥から僕を冷静に観察していた。それだけじゃない……グレンが彼を「ユーリ」とよんだとき、僕が顔色をかえたのをヤツはみのがさなかった。
「オドゥ・イグネル……お前にとってはじめての後輩だ。ウブルグ・ラビルにつけるがお前もめんどうをみてやれ」
「よろしくおねがいします、イグネルさん……」
赤い髪のできたばかりの後輩がふりむいて、じっとこちらをみてきた。年が離れているから学園生活はかぶっていない、レオポルドやライアスのことは知ってても……僕のことまではどうかな。
「よろしくね、ユーリ」
僕はめまいを感じながら、眼鏡のブリッジを指で押さえていつもどおりほほえんだ。
それからすぐに、赤い髪の〝ユーリ〟が研究棟にやってくるようになった。すました顔をしていた後輩はわりとすぐに本性をあらわして、僕に挑むような視線をむけてくる。
あの子はこんな綺麗な顔じゃない。
あんなにお上品でもない。
目の色や髪の色に表情だって何もかもちがう。
僕が知る〝ユーリ〟とは全然ちがうのに。
けれど生きていれば同じぐらい……。
「ユーリ」
自分の唇がその名をよぶたびに、うれしさと悲しさと喜びがごちゃ混ぜになって僕を襲ってきた。
ありがとうございました!









