185.海の底で思い出した事
PCの一部がエラーを起こしているのを、だましだまし使っています。
突然更新がストップしても気にしないでください。
カイが叫ぶと同時に、人がきたほうとは反対の方角に向かって、オドゥも一緒になって走りはじめる。
「なんなの君、全然役にたたないじゃん!」
「勝手についてきたのはお前だろうが!」
怒鳴りあいながら必死に逃げ、泡から飛びだし、人魚になって海を進む。これもまたカイは狭い岩の隙間をぬうように猛スピードで進んでいく。
それを必死に追えば、こんどは別の窓からまたふたたび泡のなかに逃げこんだ。いつも地上では余裕の表情をみせるオドゥも、息を整えるのにしばらく時間がかかった。
「きっつぅ~!全力疾走のうえに、全力泳ぎとか……想像以上にハードだわ……」
カイはそんなオドゥをみて、ニヤリと笑った。
「いざとなればお前を囮にして逃げようかと思ってたが、しっかりついてきたな。この辺は水圧も高いから、いきなり泳ぐのはキツかっただろう?」
「そりゃ、置いていかれたら死ぬじゃん……これ、いつになったらネリアにたどりつけるんだ?」
「あせんなって。血の臭いもしねぇし、ネリアは無事だ」
無事の基準が何かちがう気がするが、ひとまずカイについていくしかない。空気があるといっても、宮殿内は全体的に湿っぽくひんやりとしている。
「いやもう、はやく帰りたいよねぇ……」
歩きながらぼやくオドゥに、カイがあきれたように眉をあげた。
「……お前、なんできたんだよ」
オドゥはしれっといった。
「グレンが昔ここにきた時に、手にいれた素材に興味があってね」
「……ネリアが心配でやってきたんじゃないのか?」
「ネリアも気になるけれど、僕の目的はそっちだね。けどおたずね者と一緒なんて、僕もついてないよ」
オドゥがなげくと、カイが聞きとがめた。
「俺はおたずね者じゃない……黙ってでてきただけだ。それに、ガキじゃねぇし、親の世話にもならずに働いて暮らしてんだ。どこに住もうと俺の自由だろうが」
「それならさぁ、『ひさしぶり〜』ってふつうに帰れば?」
オドゥの投げやりな提案に、カイは息を吐いた。
「いまは無理だ。海王の機嫌が悪い」
「機嫌が悪いとかそんなんわかるの?」
「聞こえるだろ」
「何が?」
「あぁそっか、人間には無理か……海王が怒ると、王宮全体がビリビリと震えるんだ」
もしかして、時折ビリビリと伝わる振動が、それなのだろうか。カイが近づくのをためらうぐらいなのだから、余程だろう。
「その機嫌が悪い原因って……」
オドゥの予感は当たっていたようだ。カイはうなずいて顔をしかめた。
「ネリアだろうな」
王宮の最下層なだけあって、わたしが閉じこめられた牢獄の壁は、ゴツゴツとした岩肌がむきだしになっていた。
(壁をこわして逃げるのもムリそう……それにこの岩肌、溶岩が海水に冷やされてできる枕状溶岩に似てる……まさか海底火山のすぐそばに、カナイニラウはあるの?)
海に落ちる直前にユーリのエンツが飛んできたから、いまごろ彼はわたしを探しているかもしれない。わたしは牢の中に座って、ぼんやりと上を見上げた。
(結局ユーリに心配かけることになっちゃったなぁ……戻ったら謝り倒さなきゃ……)
そうなにげなく考えて、ふと気づいた。戻ったら……?
あ、わたし……『戻ろう』と思ってる?
地上に……そしてあの場所に……グレンが用意したソラが待つ師団長室……中庭に枝を広げる、大きなコランテトラの木、その下で会話した人……。
わたし、ちゃんと『戻ろう』と思えている。『帰りたい』とはちょっと違うけれど、それでも。
わたしの頭の中に、錬金術師団のみんなの顔が浮かんだ。もうグレンひとりだけじゃない……地上にはわたしのことを知っていて、心配してくれる人たちがいる。
(うん、かならず戻る!)
そう思っただけで、心がほわっと温かくなるような気がした。
(……にしても、いきなり牢に入れるってひどくない?レイクラさん、でてきて正解だよ!)
カナイニラウを恋しがって、泣きながら波止場で歌っていたレイクラの顔がよぎった。
(彼女がカナイニラウに戻れるように……海王と話をしないと……あの様子だと大変そうだけれど)
ここまできたのだ……やりたいことをやってやろうではないか!
そのとき、「くっくっく」と笑い声がすぐ近くで聞こえて、わたしは飛びあがった。
「ずいぶんと可愛らしい新入りがきたもんだねぇ。上から海王の怒りの振動が伝わってくるから、よっぽどのことをやらかした極悪人かと思ったのに」
声はわたしの入っている牢の、真向いの牢から聞こえてきた。そこには身の丈よりも長い藍色の髪を床にとぐろを巻かせ、同じ色の瞳を持つ、絶世の美女が捕らえられていた。両手と首は鎖につながれ、拘束のされかたがわたしより半端ない。
(だれ?)
「あたしは『海の魔女』リリエラ。あんたは?」
(ネリア・ネリス)
答えようとしたわたしの声は、やはり言葉にならない。リリエラが美しい眉をひそめた。
「あぁん?返事もできないのか……声がだせないのかい?」
ぱくぱくと口を動かすと、藍色の双眸はしげしげとわたしの顔をながめた。
「ふぅん……あんた、さては人間だね。人間は声帯を震わせて声をだそうとするからねぇ……海のなかじゃ通じないのにさ」
そう言ってくすくす笑う魔女は、どうやってしゃべっているのだろう。
「ふふふ……『声』を与える代償に、あたしと契約するかい?」
そう言ってリリエラは青く光る魔法陣を展開したものの、魔法陣越しにわたしを透かしみて、不満そうな顔をした。
「あらでもあんた、精霊契約をすでにしちまってるんじゃ、上書きはできないねぇ……あたしに隷属させるのも楽しそうだったのに」
それ、わたしは楽しくないと思う……。
「まぁいい、こちらの言うことは聞きとれているんだろう?人間にはそれすらできないのも多いからね。なら、しゃべろうとすればしゃべれるさ」
(どうやって?)
首をかしげると、わたしの聞きたい意志は伝わったらしい。リリエラは長い人差し指で、自分の頭を指し示すようにトントンと叩いた。
「自分の声帯ではなく、相手の頭蓋骨を震わせるんだよ。言葉を伝えたい相手に、直接届けるんだ」
なんですと⁉
それなら、自分の言葉は伝えたい相手にのみ伝わる……まるで短距離の念話みたいだ。
ということは、広間で聞こえた声は、わざと聞かせるようにしゃべっていた?なんだよ、全然居心地悪いじゃん。カイが人魚は争いを好まない……と言っていたけれど、人間と大差はないように感じた。
(あ~……)
声をだそうと試みる。震わせるのは自分の声帯じゃなくて、相手の頭蓋骨……言葉を伝えたい相手に直接とどける……。目の前のリリエラに……。
(あ~……)
なんどか試行錯誤するうちに、突然ピントが合うように、リリエラの頭蓋骨を震わせることに成功したらしい。
「あ~……」
リリエラがビクッと身をすくめて、顔をしかめた。おぅ……ボリュームには気をつけよう。
「ほら、デカい声がでるじゃないか」
同時にわたしも驚いていた……声を相手に直接届けるというこの感覚、はじめてじゃない……。わたし、前にもこんなふうに声をだしたことがある。あの時は無我夢中でというか、無意識にやっていたはずだ。
(わたし、まえにもこうやってグレンと話したことがある……)
『体表面が八割がた失われてる!それはじきに死ぬ!放っておくんだ!』
『……まだ間にあう!カナイニラウの海水をもとに錬成した液に漬け、傷ついた皮膚の修復をうながし、欠損した部位をおぎなえば……』
『やめろ、グレン!それは素材だ!必要なのは体だけだ!魂はいらない!せっかく異界から招喚した肉体なんだぞ!そいつを助けるな!』
激しく言い争っている様子なのに、何を言っているかよくわからない……だけど次の言葉はわたしに聞かせるように発したのだろう、はっきりとわたしの脳に力強く、意味をもつ言葉として響いた。
『生きたい……と、この娘は言った。だからわしはこの娘を助けると決めた』
そうだ、この声だ。
この世界に堕ちてきた瀕死の状態で、この声が『生きたいか?』とたずねてきた。
だからわたしは、『生きたい』と答えた。
彼の問いかけに答えたから、今わたしはここにいる。
けれど、わたしが彼の問いかけに答えたとき、そばにはもう一人、誰かがいた……。
ふと気づくと、むかいの牢からリリエラが、こちらの様子をうかがっていた。
「どうしたのさ……深刻な顔をしてだまりこんで」
「なんでもない……すこし昔のことを思いだしただけ」
わたしは頭をふって、考えごとを追いはらった。
「さてと、話せるようになったことだし、さっそく相談といこうじゃないか」
「相談?何の?」
「女ふたりが顔を寄せあうんだ……恋バナでもいいけどね」
リリエラは艶然とほほえんだ。彼女が髪をかきあげると、ジャラジャラと鎖が動く。
「ここはもちろん、『脱獄』の相談に決まってるだろう?」
ありがとうございました!









