180.レイクラを訪ねました
180話目です。よろしくお願いします!
わたしが自分の部屋でレオポルドに借りた〝古代文様集〟を眺めていたら、ヴェシカパイシスのような単純な文様を見つけ、見覚えのある幾何学模様が使われていることに親しみを感じた。
地球では〝命のはじまり〟というような意味だったはずだけれど……こちらでも赤ちゃんの誕生や成長を祝う魔法陣によく使われるらしい。
ふとレイクラの店に置いてあったドレスの文様が気になりだす。彼女は古代文様を精霊に願いごとをするための言葉だといった。
きょうはカイも海洋生物研究所にいっているはずだし、せっかくだから〝カナイニラウ〟を訪ねてみようか。
部屋をでて中庭にある別荘の結着点にむかうと話し声がする。
「だからって私と一緒にいかなくても……!」
「私が一緒に行ってやると言っているんだ。遠慮するな!」
「あれ?カーター副団長とテルジオさん……でかけるの?」
のぞいてみると、でかける用意をしたテルジオと、カーター副団長がいて、カーター副団長が重々しくうなずいた。
「ビーチの店に用事がありましてな」
「私も一緒に行っていい?ビーチの外れにある〝カナイニラウ〟っていうお店にいきたいんだ」
「はぁ⁉ネリアさんまで一緒に⁉」
テルジオが叫んだ。なぜか青ざめている。
「我々も買い物があるので、長居はできませんぞ」
「だいじょうぶ、わたしはそのお店にずっといて、レイクラと話しているから。買い物が終わったら迎えにきてくれる?」
「それならよかろう」
「ダメですよ!殿……ユーリに何もいわずに……」
慌てふためいてテルジオがユーリの名をだしたので、わたしは首をかしげた。
「なにそれ、でかけるのにいちいちユーリに断るの?ひとりじゃないんだし、だいじょうぶだよ」
「だいじょうぶじゃないです!主に私が!」
わたしはちょうどやってきたヌーメリアに声をかける。
「あっ、ヌーメリア!わたしカーター副団長やテルジオさんと一緒にマウナカイアビーチにいってくるね!」
「わかりました……いってらっしゃい」
手を振るヌーメリアに見送られて、「終わった……俺の人生終わった……」と力なくつぶやくテルジオとカーター副団長と一緒にビーチに跳んだ。
店の前で副団長たちとわかれ〝カナイニラウ〟をのぞくと、レイクラがひとり椅子に座って眼鏡をかけドレスを縫っていた。
「レイクラさん、こんにちは!」
レイクラは眼鏡をはずして顔を上げた。
「おやお嬢さん……カイは今日は研究所だよ」
「いいんです、今日はレイクラさんに文様の話を聞きにきたの」
「文様の話?ああ、模様のことだったね」
手にしていたドレスを片づけ、レイクラはわたしに椅子を勧めた。
「男物の腰巻もあるのに、なぜ〝人魚のドレス〟って呼ぶんですか?」
座りながらたずねると、レイクラはころころと笑った。
「男は美しい人魚の娘に誘われたら、すぐについていくから、腰巻きひとつでいいけどね。人間の娘をくどいてドレスを着せるのは大変だから、人魚の男たちはいろいろと工夫してドレスに凝るんで、ドレスのほうが有名なんだろうさ」
男はすぐについていっちゃうのか……。
「ドレスの作り方は秘密なんですか?」
「秘密ってほどでもないけど……あたしたちは〝人魚の末裔〟だから、作りかたは家に伝わっているのさ。この辺で採れる海藻から作るんだよ。染料も昔は作っていたけれど、いまは発色がいい染粉を買うことが多いかねぇ」
人魚のドレスは生地のほうに秘密があるため、染料はなんでもいいらしい。南国の日差しの中では色鮮やかなドレスのほうが映えるので、いまはそちらのほうが好まれるという。
使われている文様はどんな意味?……とレイクラに聞いてみたら、リザラ『護り』のほかに、『予約済』とか『俺以外さわるな』とかそんな感じで。
うわぁ……ばっちりマーキングされてる。こんなの「デザインが可愛い!」とかって、うっかり着れないね。
「ポーリンに人魚の鱗を使うと聞いたんですけど……」
「本物は男が自分の鱗を縫いつけるからね。匂いをつけるためなんだよ……自分のものだという主張なのさ」
「ああ、だからカイは『本気でくどくなら、ドレスに俺の鱗を縫いつけて、カナイニラウに連れていく』と言っていたんですね」
「カイがそんな話までしたのかい?カナイニラウに連れていくと?」
レイクラは驚いたように目をみひらいた。
「はい、昔はもっと人間と人魚の交流が盛んだったって……人魚がドレスを手に娘を迎えにきて、人魚への嫁入りも普通におこなわれていたんですってね」
「そう。あの子はそんな話までしたんだね……あの子だってもう花嫁を探してもいいころだろうに」
「あの、カイはカナイニラウにもいたことがあるって……もしかしてレイクラさんも?」
レイクラは机のそばにあった珊瑚の置物をとりあげると、そっといつくしむように手でふれた。
「カナイニラウは素晴らしいところさ……珊瑚で彩られた王宮は泡で包まれていて空気もあるんだよ……人魚たちは優しくてね、心がひろくておおらかでそして歌をよくうたう」
「人魚たちの王国……ここから近いんですか?」
カイとおなじ色をしたエメラルドグリーンの瞳で、レイクラはどこか遠くをみつめた。
「近いようで遠い……かねぇ、あたしはここから人魚に嫁入りしたんだ。麗しき海の王国カナイニラウ……〝泡の宮殿〟とも呼ばれる王宮には海王様がいてね……そこで産まれたカイをつれてあたしもたくさん泳いだよ」
カイがいってた「俺はカナイニラウにいたことがある」……あれって本当だったんだ。それにしわくちゃのおばあさんに見えるレイクラが、カイの母親だということにおどろいた。
「それなのにどうしていまここに?」
「……はじめはちょっと両親にあいにきただけのつもりだったんだよ。マウナカイアとの行き来が途絶えてから、何年もあってなくて恋しくて……顔だけ見てすぐに戻るつもりだったんだ」
ある日ささいなことでカイの父親とケンカしたレイクラは、寂しくなって衝動的にカナイニラウを飛びだしたらしい。
「無我夢中で泳いでマウナカイアにたどり着いてから、カイも置いてだまってでてきて大変なことをしてしまった……と我にかえったけれど。同時にほんのちょっとならいい、と思った。両親の顔をみたらすぐに戻るつもりでね。けれどふたりの顔をみたら涙がとまらなくなって……」
「カナイニラウでつらい思いをしたの?」
「そんなことない、みんな優しくて親切だったよ。けれどいえなかったんだ……マウナカイアに魔導列車がきて、海の奥に身をひそめて人間と距離を置こうと決めたのは海王様だから。あたしはマウナカイアが恋しいなんて……どうしてもいえなくて」
レイクラは思いだしたのかすこし涙ぐんだ。
「けれどあたしの両親たちはあたしが泣いたせいで誤解してね。迎えにきた人魚たちをどなって追い払い、人魚たちも『人間の女が心がわりした!』と怒って帰ってしまい……それきりさ」
「それきりって……カイや彼のお父さんに連絡をとったりは……」
レイクラは首を横にふった。
「そのあとすぐに父が死んでね、あたしは年老いた母をどうしても置いていけなくて。カナイニラウに連れていこうにも、母は父との思い出があるこの家を離れたくないというしね。……そうこうしているうちにあっというまに年月が経ってしまった」
レイクラは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「あたしはだまってでてきてしまったからね。それからずいぶん経ってカイがあたしにあいにきて……あの子がこの店にあらわれたときは本当にうれしかったよ」
「だったらいまからでもカナイニラウに戻って、きちんと話して誤解を解けば……」
レイクラは心がわりをしたわけじゃない、ただ故郷の両親にあいたかっただけだ……そう思ったけれどレイクラは首を横にふり、うつむいて手のシワをみつめた。
「いまさら戻れないよ、見てごらんこのシワだらけの手を。人魚たちは長命だしこんなしわくちゃのばあさんがいまさら……それにあのときでてきたおかげで父親の死に目にあえた。カイの顔も見れたしあたしにはそれでじゅうぶんだよ」
レイクラの気持ちは痛いほどよくわかった。
「わたしも……もしも両親にあえるとしたら、いまここでどんなに楽しく暮らしていても、かわりにもうここに戻ることはできないといわれたとしても……帰るかも」
わたしがぽつりとこぼすとレイクラが顔をあげ、そのままじっとわたしの顔をみた。
「お嬢さん、もう身よりはないのかい? 兄弟とかは?」
「兄はいたけど……いまはもうだれも……」
みんな元気で幸せでいるといい、そう思うしかできない自分にすこし悲しくなった。
「そう……お嬢さんにひとつみせてあげようか。人魚が花嫁のために用意した、本物の〝人魚のドレス〟をね。ほんとうにきれいなものなんだよ」
優しい声でそういうとレイクラは立ちあがった。
ヴェシカパイシスは同じ大きさの円が2つ重なるという単純な形なので取り上げました。『パイシス』の語源が『パイシーズ(魚)』って所も気に入った。神聖幾何学は、好きな人は好きだと思う。
ただそれだけで、スピリチュアル方面に走る気はないです。









