152.遠征前夜
よろしくお願いします!
「はっはっは、すまん。遠征前夜だというのにカップルにはなしかけるなど、無粋なまねをしてしまったな。われわれも食事にむかうとしよう」
アルバーン公爵は鷹揚に笑い、夫人をエスコートすると軽く会釈をし、店内にむかう。サリナ・アルバーンはレオポルドの腕に手をかけ、彼をみあげて甘えるように微笑んだ。
「遠征に出発してしまったら、またしばらく会えなくなるんですもの……きょうはたっぷり甘えたいわ」
「……いこう」
レオポルドもサリナをエスコートしてわたしの横をとおりすぎる。彼は最初ににらみつけた以外は、こちらには一瞥もくれず、最後までわたしを無視した。
そのときのわたしは、ライアスの上着をはおり彼にエスコートされている自分が、レオポルドの目にどう映っているか……なんてことまでは考えもしなかった。
テーブルについたサリナは、ため息をついた。
「ほんとうに素敵なかたでしたわ、華奢で可憐でかわいらしくて……まるでそこに妖精がたたずんでいるかのよう……もっとおはなしたかったのに」
アルバーン公爵は、それをたしなめる。
「しかたあるまい。竜騎士団長が出征前夜に食事をともにするなど、特別な相手にちがいなかろう……それこそ野暮というものだ」
遠征前はみなそれぞれ家族や恋人とすごす。それを口実に公爵一家も、しぶるレオポルドを食事にひっぱりだしたのだ。
「ネリィさん……とおっしゃったかしら、わたくしにも覚えのないかたですわね」
公爵夫人はその顔のひろさでは定評がある。その彼女もネリィの顔はしらなかった。
「だったらわたくしとおなじくデビュー前のかたかもしれませんわね……夜会でお会いできるかしら?ねぇ、レオ兄様?」
「……」
レオポルドは心ここにあらず……といった風情で、けわしい表情のまま無言だった。
さきほどみかけた娘の姿が、頭から離れない。自分にはみせたこともないような頼りなげな風情で美しく装い、ライアスの上着にくるまれ、大事そうにまもられていた……。
「もぅ、レオ兄様!またお仕事のことを考えてらっしゃるの?」
サリナの文句にレオポルドはようやく、意識を食事の席にもどした。
「すまない……なんの話だ?」
「さきほどライアス様が連れてらしたかわいらしい女性の話よ!レオ兄様だってあのかたにみとれてらしたじゃないの」
レオポルドは眉をひそめた。
「みとれてなど……」
「あら、彼女をみて息をのんでいらしたじゃない……すぐ隣にいたんですもの、わたくし分かっていてよ?」
サリナはかわいらしく口をとがらせる。
「……ライアスにおどろいただけだ」
レオポルドはふいっと顔をそむけた。
「でも竜騎士団長がお相手をみつけたのなら、うちもそろそろ……ねぇレオポルド、サリナのデビューにあわせて婚約の発表をしたいと考えているのだけど」
公爵夫人の提案に、レオポルドはため息をついた。
「……それは、先代の公爵が決めたことです。祖父も亡くなったいま、守る必要もないでしょう」
そのまま、自分のいとこにも顔をむける。
「サリナ、世の中には男など数多くいる。お前はデビューしたらきちんと世界をみて人と触れあい、自分に一番ふさわしいとおもう相手を選べ」
サリナはこまったように首をかしげた。
「デビューは楽しみですけれど……レオ兄様ほどのかたがいるとは思えませんわ」
「まったくだ。エクグラシアの魔術師団長をつとめるお前を、私は誇らしくおもっておる。それに公爵家を継がないというお前のかわりに、サリナが女公爵として領地経営をおこない、お前をささえると言っているのだぞ」
「……」
「サリナ、あなたもそろそろ『レオ兄様』は卒業しないと……それではいつまで経っても、レオポルドにこどもあつかいされてしまってよ?」
公爵夫人にたしなめられ、サリナもこどものことからの呼びかたの癖を、顔をしかめて言いなおそうとする。
「そうですわね、では……レオ……ポルド?……いいにくいわ」
『レオポルド』
ふいに、赤茶の髪に黄緑色の瞳をもつ娘が、自分をよぶ声が脳裏によみがえり、レオポルドは身をこわばらせた。
アルバーン公爵一家がとおりすぎたあと、『結着点』はすぐに使えるようになったので、わたしたちは『研究棟』の前の広場に転移した。
「さっきの人たち……」
ライアスが説明してくれた。
「レオポルドの叔父一家だ。あいつが継がなかったから、叔父のニルス・アルバーンがアルバーン公爵家を継ぎ、娘のサリナ・アルバーンは学園を卒業後は、次期女公爵として領地経営をまなんでいると聞いたことがある」
「そうなんだ……サリナさんて、彼の……レオポルドの許婚なんだっけ?」
「あいつとその話をしたことはないが……そのようだな」
ライアスは軽くうなずく。
「そっか……きれいな人だったね。二人ならぶとまるで絵みたい」
レオポルドの横にならんで遜色ない美形なんて、ライアスぐらいだろう……とおもっていたけれど、蜂蜜色の豪奢な金髪をもつ美しい令嬢は、もっと彼の横にふさわしい……そうおもえた。
ライアスが優しくわたしをみおろすので、わたしはそれ以上言葉をつづけることができなくなった。こんなとき、なんて言えばいいんだろう……そうだ、きょうのお礼いわなきゃ……。
「ライアス、きょうはほんとうにありがとう。これ……」
上着をかえすために脱ごうとすると、ライアスは「もっていてくれ」と、わたしをとめた。
「これは竜騎士たちが出征するときの『ゲン担ぎ』なんだ」
「ゲン担ぎ?」
「そう、遠征に出かけているあいだ、自分のかわりに守ってくれるように……と願いをこめて出征前夜に一緒にすごした相手に、自分の上着を着せるんだ」
「わたしを守る……」
「ああ。それに戻ってきたときに上着をかえしてもらうから、きみに会いにいく口実になるだろう?遠征からかならず無事に戻る……という『ゲン担ぎ』なんだ」
ライアスは少し身をかがめ、わたしの耳元で低い声でささやいた。
「それと、俺の留守中……きみの部屋においてもらうことで、少しでもきみの目にとまり、俺のことを思いだしてもらえたら……という願望もこもっている」
「ライアス……」
間近でみる彼の青い瞳は、どこまでも吸いこまれそうで、わたしはつかのま見入ってしまった。肩を包む上着からほのかにライアスの体温と残り香がただよう。これを部屋におくというのは……それってなんだか……。
「遠征先からときどき『エンツ』を送ってもいいかな?きみのことをもっと知りたいし、俺のことも知ってもらいたい」
そういう彼の青い瞳は真剣そのもので、わたしはそれにうなずいた。
ライアスは、そっとわたしの額に口づけを落とすと、優しく安心させるように微笑んだ。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
転移していったライアスを見送っても、しばらくわたしはその場を動けなかった。
ライアスは素敵な人だ。わたしのことも大切にあつかってくれる。かっこよくて優しくてとても強くて、女の子ならだれだって憧れるだろう。
だれかを好きになるぐらいなら、だいじょうぶだと思う。でも……だれかとつきあったり結婚したり……相手の人生にも関わることに、わたしは飛びこんでいける?
わたしがこの世界に存在するためには、『生きたい』と願いつづけなければならない。でもこのさきもずっと、そう思っていられるかなんて自分にもわからない。
『死にたい』という言葉は、つらいときの免罪符のようで。今後、自分がどんな状況におちいっても、わたしは『生きたい』と願っていられる?
わたしはだれかを、好きになってもいい?
わたしはだれかを、愛してもいい?
その問いに答えをくれるかもしれないグレンは、もういない。
グレンに会いたい……そう思いそうになって、アルバーン家の霊廟にひき寄せられたことを思いだす。ダメだ、わたし……無意識にグレンを頼るのは、やめなくちゃ……もう戻ろう。
ようやく研究棟の建物にはいろうとしたとき、わたしはそこにいないはずの人影をみつけて驚いた。どうしてここに?だって彼はさっき……。
レイバートで食事をしているはずの、レオポルドがそこにいた。
ライアス、頑張りました。頑張ったと思います。(キリッ)
これ以上頑張ると『師団長室でモーニングコーヒーを』という事態になりそうなので勘弁して下さい。
オドゥの釘がしっかり効いています。









