121.サルジアの赤い糸(アイリ→ユーリ視点)
よろしくお願いします。
「アイリお嬢様⁉おかえりなさいませ……」
「お父様は?帰っていらっしゃる?」
帰宅したアイリ・ヒルシュタッフは、でむかえの言葉をさえぎって父の所在をたずねた。
「旦那様は書斎に……ですが、だれも近づかぬようにと……あっ!お嬢様⁉」
なぜこんなに胸騒ぎがするのだろう……杞憂であってくれればいい……アイリは父の書斎にいそいだ。廊下を真っすぐすすめば、書斎の扉のまえには見慣れない二人の男が立っていた。
「そこをどきなさい!父に話があります!」
アイリがさけんでも男たちは無言で、なかに入るのを拒むかのように動こうとしない。屋敷をいつも警護するものたちとも違うようすで、アイリを見下ろす顔にはなんの感情もうかがえなかった。アイリがいやな予感に背筋を緊張させると、扉のむこうから父のくぐもった声がきこえてくる。
「……アイリか?」
「お父様⁉どうかここをあけてください!」
アイリの懇願に、いつもならすぐに応じるはずの父の、とまどうような声がきこえてくる。
「いま、でなければダメか?いますぐは……その、手が離せない」
「すぐすみます!だいじな話なんです……お父様!ユーティリス殿下に……おねがい、なにもしないで!」
カチリ。ギィ……。
扉の錠がはずされる音がして、扉がゆっくりとひらいていく。
「アイリ、ダメだ!はいるな!」
父のあわてたような声がしたが、アイリは構わずその身をすべりこませた。すぐに扉は閉じられ、アイリは父の書斎に入るなり、中にいた二人の男に押さえつけられた。
「なっ……はなしなさいっ!」
防御魔法を発動させようとしたが、うまく働かない。男たちもなにか魔力封じの魔道具を持っているのか、魔力持ちである自分をがっちりおさえこんでいる。
「館のなかとはいえ、騒がれるのは困りますな。せっかくだ……お嬢様も術の完成をみとどけられるといい」
部屋の中央にはサルジアの貿易商マグナス・ギブス……アイリに赤い刺繍糸をくれた黒髪の男がいた。この館の主は父だというのに、この場を支配しているのは彼のようだ。父はマグナスのすぐそばで、青ざめて立ちつくしている。
「お父様⁉これはいったい……」
父は必死に問いかけるアイリから目をそらした。書斎の中央にたつ黒髪の男は、ゆったりと笑みをうかべる。
「ご協力に感謝しますよ……あなたのまっすぐで純粋な想いが、ふたりの王子に『わが呪い』を届けてくださった」
「『わが呪い』……?いったいなにを……」
「騒がれると……私の手元が狂って『呪い』がもう一方にいってしまう……弟のほうにね。おとなしく術の完成をみまもっていてください」
アイリの目の前で、マグナスは自分を中心に禍々しい赤い魔法陣を展開した。
「お父様っ!これはエクグラシアへの反逆行為です!いますぐやめさせてっ!でないと……」
アイリの必死の叫びにも、ヒルシュタッフはよわよわしくかぶりを振るだけで、相変わらず動こうとしなかった。
「マグナス頼む、娘には……」
「……事が成就したら、お嬢様の記憶を抜かせていただきますよ……純粋なのはいいが、融通がきかないのも困りものだ」
そういいながら、マグナスは自分の懐から真っ赤な糸の塊をとりだす。
糸……あの赤い刺繍糸……あれは……まさか!
『ふたりの王子に「わが呪い」を届けてくださった』
さきほど聞いた男の言葉が、アイリの脳裏によみがえる。男から受けとった赤い糸で、アイリは王子たちの名を刺繍しかれらに届けた。アイリは愕然とした。
「お父様!お父様は……私のっ、私の想いさえ……利用したのですか⁉」
「ちがう……アイリ……私は、おまえのために……」
「なぜっ⁉ヒルシュタッフ家がサルジアとの貿易で莫大な利益をあげているのは知っていました……だけどお父様は……エクグラシアの宰相ではありませんか!」
ククク……と、マグナスが嗤った。
「……ただの地方長官だったその男が、宰相にまでのぼりつめたのも、サルジアからの後押しだったとしたら?それだけじゃない……最愛の妻を亡くし、たったひとり遺された愛娘まで病に倒れたとき、その男が頼ったのがサルジアの『呪術師』であったとしたら?」
「なんですって……」
自分の豊かで恵まれた暮らしがなんのおかげで成り立っていたのか、アイリは初めて知った。たしかに母はサルジアの貴族の血をひいていたけれど、ヒルシュタッフ家内部に、こんなに深くサルジアが入りこんでいるとは、思いもしなかったのだ。
「お父様は……サルジアの傀儡だったと……?」
ここは、エクグラシアだというのに。
「われわれはあなた方の望みに協力しているだけです。それに目的は……わがサルジアとエクグラシアの友好だ。あなたはサルジアの血をひく、エクグラシアで初の王妃となる……素晴らしいでしょう?」
ダメだ、この男の言葉に耳をかたむけては。アイリは必死に考えた。
この男がやろうとしていることをなしとげさせてはならない!
いまの私にできること……なんでもいい、なにか……!
マグナスが耳慣れないサルジアの言葉で呪詛を紡ぎはじめる。男の手から赤い糸が生きもののようにうねり、魔法陣の上に落ちると、とぐろを巻き踊るようにうごめきはじめた。
自分の研究室でユーリが異変にきづいたのは、部屋にある机の上で、なにかの気配がうごめくのを感じたときだった。
「これは……」
さきほどアイリに渡されたハンカチ入りの封筒は、机の上にそのまま置かれていたのだが、そこから真っ赤な気配が、血のように染みを作りながら漏れだしていた。
それがなんであるのかユーリは瞬時に悟ることができたが、漏れだした赤い気配はそのまま糸のように壁をはしり、からみあうと外からの干渉を防ぐかのように、瞬く間に研究室の内側に結界を作りあげた。
(……弟を人質にとったか……)
ごていねいに、へたに呪詛返しをすれば、おなじように名を刺繍されたカディアンへ『呪い』がむかう。アイリの想いが強いだけに、カディアンのほうの危険が高くなる。
そうさせないためには、この『呪い』をユーリ自身がひとりで受けなければならない。ユーリは自分の首にはまる鈍い銀色のチョーカーに手をやる。
この『首輪』がはずれてさえいれば。だがいまは、そんなことをいってもしかたない。ユーリは手持ちの魔道具で使えそうなものを取りだした。
「『ルエン』」
つかんだ棒から光が伸び、光の警棒のような武器になった。剣に似ているが魔法攻撃にはこちらの方が強い。
赤い糸の塊が真っすぐにこちらにむかってくるのを、『ルエン』で切り落としながら避ける。
「まっすぐに心臓を狙ってくるとは……悪趣味な呪いだな」
息の根をとめるからこその、呪いなのだろう……ぼんやりと考えながら、ユーリは魔法陣を展開した。魔法陣にふれた赤い糸が、紫の炎をあげながら燃えていく。燃えるそばから、赤い気配は際限なく封筒から染みだし、どんどんとユーリの周囲を包囲していき、きりがない。
(彼女も自分の贈りものがこんな風に使われるとは、思ってもいなかったろうな)
ハンカチの贈り主であるアイリはユーリと話したあと、なにかに気づいたのかあわてて早退していった。彼女にまで危険がおよんでいなければいいが。
命をむしばむこの『呪い』は、エクグラシアの王族である自分にまっすぐむかってくる。それをこの身にうけなければ、行き場をうしなった『呪い』は弟カディアンへむかう。黒幕にとっては、どちらが倒れようとかまわないのだ。
(リーエン……君のかたきをとりたいと思ったんだけど)
魔術学園に入学した年に亡くなった、親友だったサルジアの皇太子の顔を思いだしながら、ユーリはいきもののようにうねる赤い糸にのみこまれた。
やっぱり男の子にはライトセイバーを……(違









