115.アイリ・ヒルシュタッフ(アイリ視点)
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アイリとカディアンは、幼いころからよくいっしょに遊んだ、いわゆるおさななじみだ。
はしばみ色の髪に琥珀色の瞳をした、活発なくせに泣き虫だった男の子は「僕の兄上はすごいんだ!」が口ぐせで。
そういう彼には二歳上の兄がいたが、兄のほうは毎日スケジュールがきっちり組まれ、大人顔負けの勉強をさせられており、アイリとはあまり接点がなかった。
地方長官から宰相に抜擢されたばかりの父では、第一王子に近づくことができず、比較的警戒のゆるい第二王子に狙いをさだめたことを、アイリは知らなかった。
アイリが魔術学園に入学した年、錬金術師団長グレン・ディアレスが、ユーティリス第一王子に術をかけ、その成長をとめるという『グレンの呪い』事件が起きる。
貴族のいくらかは第一王子のそばをはなれ、魔術学園に入学したばかりだったカディアンのまわりをかためた。将来、カディアンが王となる可能性が高くなったとみなされたのだ。
アイリも父にこう言われた。
「アイリ、カディアン殿下をお前がささえてさしあげろ。学園でもつねに寄りそい、お助けするのだぞ」
「わかりました」
(彼にふさわしい人間にならなくては……)
父に言われたからではなく、アイリは彼が大好きだったし、彼の役にたちたかった。
それからすこしずつ、ただのおさななじみだった関係が変わっていった。カディアンが『竜王』と契約し、『王族の赤』に色をかえると、いやでも彼が王族であることを実感させられた。
カディアンの背がのび男らしい体つきになって、一人称が『僕』から『俺』にかわる。アイリの体もすらりとした手足はそのままに、やわらかい曲線をえがくようになった。
まわりからは『婚約者候補』とみなされるようになったが、いっしょにいることが当たり前すぎるのか、カディアンからはなにも言われていない。
アイリはおさななじみで宰相の娘だからという理由だけで、カディアンの相手に選ばれるとは思わなかったし、そのため必死に努力した。学園の成績は首席の座をレナード・パロウと争うほどだ。
カディアンのほうはあまり勉強熱心とはいえず、たまにアイリがみかねて手伝っても、うるさがられるだけで、あまり感謝されることはない。
卒業が近づくにつれ、アイリは胸の中に、だれにも言えないさびしさと焦りを抱えるようになった。
全国から『魔力持ち』があつまる魔術学園では、意外とカップリングが盛んだ。
とくに女子は、『学園にいるあいだに相手をみつけろ』と親からせっつかれる。魔力があって、身元もたしかで将来も有望……学園を卒業してしまっては、そんな相手と出会うのは難しい。
五年間もの学園生活ではいろいろとあるが、それぞれに相性の合う相手をみつければ、卒業パーティーにいっしょに出席するのがならわしで、女の子たちがあこがれるイベントでもある。
五年生は夏の職業体験がおわれば、秋に進路をきめる。女子のあいだでどの店でドレスをつくるか、ことしの流行は何色か……といった話がでるようになった。
そういった華やかな話を聞きながら、アイリはさびしかった。カディアンから卒業パーティの話がでたことはなく、ほんとうにパートナーとして誘ってもらえるかもわからない。
ネリス師団長の素顔をみて「かわいい……」とつぶやいたカディアンをみて、アイリは思いしらされた。
だれよりも近くにいるといっても、それは学園だけのこと。卒業してしまえば、竜騎士になるカディアンとは離れてしまう。社会にでれば自分より美しい相手も、かしこい相手もたくさんいる。
王子の彼なら、異国の姫君をめとることもできる。もしも将来カディアンが、自分以外の女性と恋に落ちたら?
(私は「かわいい」なんて、いわれたこともない……)
そのことがアイリの心に重くのしかかった。けれどそれは父にはいえなかった。
「どうしたアイリ、疲れているのではないか?」
「……だいじょうぶです」
宰相である父はどんなに忙しくとも、毎日かならず娘と話す時間をとってくれる。もっと小さなころは父の膝の上にのり、一日の報告をするのが楽しみでしかたなかった。
もう膝に乗ることはないが、むかい合わせで座る父はときどき、まぶしそうに目をほそめてアイリを見つめる。なんとなくこの習慣は、アイリが結婚して家をでるまで続くのだろうと思っていた。
きょうの父は、研究棟のようすと第一王子のことを知りたがった。
第一王子は学園を卒業後、そのままグレン率いる錬金術師団に入団し、公務に顔をだすこともなく、ひっそりと研究棟ですごし、その存在すら忘れられかけていた。
けれど『竜王神事』に第一王子が姿をあらわし、カディアンを王とみすえて将来の布陣を準備していた第二王子派は、彼はまだ第二王子でしかない、という事実をあらためてつきつけられた。
第一王子は健在だが、『呪い』がいまだとけず少年のような姿のままだ。将来、エクグラシアの王位はどちらに転ぶ?活発な動きをみせる第二王子派とは逆に、第一王子のほうにはとくに動きはない。
魔術師志望のアイリが職業体験で錬金術師団に来たのは、カディアンが参加するからという理由だけでなく、父から第一王子の周囲を探るよう命じられたためもある。
「どうだアイリ、お前の目からみた第一王子は?」
「……エクグラシアの若獅子にふさわしいかただと思います」
アイリは思ったままを父に伝えた。カディアンが王として不足だとはおもわない。けれど、成長していない?それがなんだというのだ。少年のような姿の、ひよわで頼りない第一王子……という先入観はみごとにくつがえされた。
『理解がはやくて助かる。今後はメレッタを中心にすすめてくれ』
そういってみなを睥睨したユーリ・ドラビス……ユーティリス・エクグラシアは、『エクグラシアの若獅子』そのものではなかったか。
学園生たちを、有無をいわさずまとめあげ、カディアンへの対抗心から王族への反発心のつよいレナード・パロウでさえだまらせた。
素材の話をすれば、産地や流通量などにもくわしく、エクグラシア全土の知識はすでに頭にはいっているようだ。
いつも手放しで兄をほめるカディアンを、「もっと自信をもって」とか、「カディアンだってがんばればできるわ」と叱咤激励していたが、いまならわかる。
これは、別格だ。
生まれついての素質もあるだろうが、彼自身どれほどの努力をかさねたのか……アイリも人一倍努力してきただけにわかる。賢さと恵まれた生まれをもつ人間が、それでも油断せず、日々の努力をおこたらなければこうなるのか……。
「そうか……しかし、それは困るな」
「お父様?」
「アイリは王太子妃になるのだからね。そのために毎日必死で努力してるのだろう?」
自分は王太子妃ではなく、カディアンのそばにいるために努力しているのだ……と、このとき父にいえなかったことを、アイリは後悔することになる。もっとも事態はすでに動きだしていて、アイリがなにをいおうと、なにも変わらなかったかもしれないが。
そのとき来客をつげる声がして、つかのまの親子の時間はそこで終了となった。
「旦那様、マグナス・ギブス様がおみえになりました」
「きたか。書斎に通せ。アイリ、なにも心配しなくていい……私にまかせておきなさい。私を信じてこれからもカディアン殿下を支えるのだぞ」
アイリはその言葉になにかひっかかりを感じたが、父はいつもどおり穏やかに笑うだけだった。
マグナス・ギブスって誰?と思った方……70話に出てきます。









