111.優しい記憶と残酷な記憶(レオポルド視点)
よろしくお願いします。
中庭にあらわれたレオポルドに、オドゥが気がついた。
「あっれぇ?レオポルドじゃん……ネリアとの話おわったの?」
学園生たちもつぎつぎに、あらわれた魔術師団長にあいさつをする。それに返事をしながら、レオポルドの目は中庭のガーデンテーブルの上に枝をひろげるコランテトラの木と、その下におかれた古いベンチに釘づけになった。
よびさまされる古い記憶……そのとたん、すべての音がレオポルドの周囲から遠ざかる。
枝をひろげるコランテトラの木の下、燃えるような赤い髪の女性がベンチにすわっている……。
赤い髪が風になびくと炎が揺らいでいるようで、ふっくらした頬に小ぶりな紅い唇は肉感的で、それなのにいたずらっぽく煌めく赤い瞳が、二十歳はこえているはずのその女性の表情に、どこか少女の面影を残していた。
『……なあに?レオどうしたの?コランテトラの実をとりたいの?』
赤い髪の女性はベンチからゆっくりと立ち上がると、頭上に枝をひろげるコランテトラの木をふりあおいだ。
『こまったわね……母様でも手がとどかないわ。父様じゃないとムリね』
それでも自分は納得せず、彼女になにかを訴えて困らせていたようなきがする。
『どうした?』
背後から声がきこえ、ふりかえると白いローブの裾と大きな靴がみえた。赤い髪の女性はうれしそうな声で、あらわれた背のたかい男に話しかけている。
『ちょうどいいところに!コランテトラの実をレオにとってあげてほしいの……あなたなら届くでしょう?』
女性と一緒にコランテトラを見上げるその人物は、背がたかくて、幼いレオポルドからはその顔がよくみえない。
『たしかに届くが……それより……』
レオポルドの上に男が大きな影をつくり、やがて大きな手が幼いレオポルドの脇に差しこまれると、ぐっと体が持ちあげられ男に肩車をされた。小さな手であわてて男の銀色の髪をつかんだが、自分はすぐに目のまえにあるコランテトラの実に夢中になってしまった。
『ほら、レオ……自分でとりたかったんだろう?』
自分を肩車する男から、どこかたのしげで優しい声がした。
結局、その人物の顔をみた覚えはない。
(あれは、だれだ?)
まさか……でも……嘘だ。あんなやさしい声が、あの冷徹な男からでるはずもない。
母の死後、北にあるアルバーン領で十二の誕生日をむかえるまで、あいつは一度も会いにこなかった。
母の死後……?
では、母が生きているあいだは?
「レオポルド……だいじょうぶ?顔色がわるいよ?」
いつのまにかそばにきたネリアが心配そうに顔をのぞきこんでいて、レオポルドはハッとした。
「いや、なんでもない……」
だいじょうぶではなかった。レオポルドの背中にはひや汗が流れ、心臓がドクドクと音をたてている。レオポルドは歯をくいしばり、声をしぼりだした。
「すまないが……つづきはまたの機会に……いそいで『塔』にもどる」
「えっ?うん……きてくれてありがとう……またね」
レオポルドはネリアの返事もほとんど耳にはいらないようすで、『塔』へ転移していった。オドゥは自分の頭のうしろに手をやって首をひねった。
「アイツいきなり帰っちゃったねぇ……どうしたんだろう?」
「うん……」
レオポルドは『塔』へもどるなり師団長室にいたマリス女史に、「頭痛がする」といい、殺風景な自分の仮眠室にひきこもった。
目をとじるとレオポルドにとってなじみぶかい、残酷なほうの記憶が顔をのぞかせる。
『あの男だ!研究ざんまいの変人錬金術師のくせに!あの男のせいでレイメリアは死んだ!お前なぞ産む必要はなかったのに!』
祖父である先代のアルバーン公爵にも、現アルバーン公の叔父にも、なんど非難されただろうか。
『こやつの銀の髪などみたくもない!まったくもってレイメリアとは似ても似つかない、あいつそっくりでなんと醜い子だ!わしの前に姿をみせるな!部屋に魔力封じをほどこしとじこめておけ!』
母の死後、北のアルバーン領で魔力封じの施された部屋にいれられ、幽閉同然に育てられた。
いちども会いにこなかった仮面の男は、十二の誕生日に突然やってきた。
たがいにしばらく無言でみつめあった。
『貴様をわざわざ呼びだしたのは、こいつにレイメリアを超える魔力をあたえるためだ!なんとかしろ……不可能を可能にする稀代の錬金術師……グレン・ディアレス!貴様ならできるはずだ!』
年老いた祖父が、鬼のような形相でまくしたてる。
『そんなことをせずとも……この子は十分……』
『ダメだ!いいか、レイメリア以上だ!そうでなければならん!』
仮面をつけた男の表情はうかがえなかったが、とまどっているようだった。
『アルバーン公……私をよびだしたということは、それがどんなに危険なものでも……ということか?』
『貴様の魔力がなければ、むざむざレイメリアをわたさなかった!レイメリアの忘れ形見とはいえ、貴様にそっくりな子どもなど、どうなろうとかまわん!錬金術師らしく……ちゃんと仕事をしろ!』
グレン・ディアレスとよばれた仮面の男は、グッと拳をにぎりしめたまま無言で祖父の言葉をきいていたが、やがてこちらをむいて片膝をつくと目線の高さをあわせ声をかけてきた。
『……レオポルド、お前の望みは?なにかほしいものはあるか?』
自分の父親らしきこの男が、どんな顔をしているのかすら知らない。名前をよばれるのも、この男が自分とおなじ銀の髪を持つことさえいとわしかった。いまさら誕生日の祝いとでもいうつもりか。
ほしいものは『自由』……自由になりたい。なにものにも支配されたくない。
『風』のように、ここではないどこかへ……自由に飛んでいきたい。
だれかに思いどおりにされる人生なんてまっぴらだ!そう感じたとたん、はげしい怒りが内側からわいた。
『力がほしい……』
男をにらみつけたままそう答えた自分の顔を、いつまでも仮面の男はみつめていて、やがて小さくため息をつくと立ち上がった。
『お前の望みをかなえよう……それが私にできる唯一のことならば……』
その言葉を最後に、錬金術師団の特徴的な白いローブをはおった男は、自分に背をむけた。
グレンと『契約』がかわされ、魔術学園に通いだしたレオポルドは、奇異なものを見つめるまわりの視線にさらされた。首にはまった鈍い銀のチョーカーは人々の注目をあつめた。
『あの首輪はなんだ?』
『魔力を成長させるために、体の成長をとめる首輪だそうだ』
『グレンは自分の子までそんな実験につかったのか⁉よくアルバーン公が承知したな』
『じゃあ、あの子は何年もあの姿のまま?……なんとおそろしい……』
『成功すればまだいいが……失敗すればどうなる⁉』
まわりの子たちはどんどん成長し、自分の背をこしていく。魔力は増えつづけるが、自分の小さい体では制御すら難しい。大人のしっかりした体になっていくからこそ、ふえた魔力を自在にあつかえるのだ。
いつ暴走するかもわからない魔力をかかえ、ただふつうに暮らすだけでも、薄氷を踏むような緊張を強いられた。
ほうっておいて欲しいのに、魔術学園のまだ大人になりきれない子どもたちは、自分にたいして余計なちょっかいをだしてくる。
身分だけでいえば、自分より上のものなど王族ぐらいだ。けれど奇妙な首輪をした公爵家のちっぽけな子どもは、身分というものに敏感な……それでいてプライドの高い学園生たちの、からかいとさげすみの対象になった。
やつらは狡猾で意地がわるく……それに対抗するために自分は結局、グレンにあたえられた魔力でやつらを黙らせた。魔術学園で成長するまえの自分を、からかいもさげすみもしなかったのは、ライアスとオドゥぐらいだ。
レオポルドは仮眠室の壁にもたれた。手で頭をおさえると、その長い指の間からさらりとした銀髪がこぼれ、肩をすべる。
優しい記憶と残酷な記憶、どちらが本物だろうか。優しい記憶も真実であってほしい……とおもうのは、おのれの弱さのせいだろうか。
レオポルドはひとり身じろぎもせず、その黄昏色の瞳でしばらく空をみつめていた。
ありがとうございました!









