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綿菓子は甘い

 翌日は丸一日、非番だった。

 ジェニーが非番の時にはメイベルも休みで家には来ない。今までならジェニーは昼まで寝て、起きた後もソファでのんびりして、夕方になってようやく食品や日用品を買いに行くといった、だらしない休日を過ごしていたのだが、今朝はきちんと朝から起きて食事を作る。

 ジェニーはダイニングテーブルで向き合ったカミーユをじっと見て、提案した。


「どこか、行く?」


 するとカミーユは動きを止め、それから嬉しそうに微笑む。


「いいね。デート?」

「……一日家にいても退屈でしょ。買い物にでも行く? 何か必要なもの、無いの?」


 デートという言葉をさりげなく無視してジェニーが聞けば、カミーユはうーんと少し考える。


「別に無いかな。服はジェニーが買ってくれたし。それよりのんびり散歩がいいかな。公園デートしよう」

「……リードが要るわね」

「えー。犬の散歩?」


 不満そうな声を上げたカミーユにくすりと笑って、ジェニーは席を立っててきぱきと片づけをする。


「リード、持ってなかったから今日は人型でも良いわ」

「やった」


 嬉しそうに破顔するカミーユと一緒に、そのまま家を出た。空は気持ち良く晴れ渡っていた。


 まだ少し肌寒さは残るが、春の明るくなった日差しに誘われて、公園には人が多くいた。園内の遊歩道には、コーヒーや軽食を売るカートがいくつも出ている。


「何かいる?」


 ジェニーが隣のカミーユを振り仰げば、カミーユは少し眉尻を下げる。


「お金ない」

「出すから。今更何遠慮してるの」

「体でなら返せるのになー」

「そういえばメイベルが、キッチンの床が軋むって言ってたわね。今度張り替えてくれる?」

「うん、それは確かに体を使うけどさ……」


 と、カミーユがひとつのカートに目を止めて指差した。


「あー、あれ。ジェニー、あれが欲しい」


 そちらを見れば、そのカートの周りでは数人の子供たちがはしゃいでいた。そこには鮮やかなピンク色をしたふわふわの綿菓子がいくつも並んでいる。


「……子供の食べ物なんだけど」

「あれ食べたい」

「狼って、肉食じゃないの?」


 首をかしげながらも、ジェニーはカートに近づいて綿菓子をひとつ買う。

 紙のストローに巻き付いているふわふわしたピンク色は、思ったよりずっと大きい。カミーユに渡すと、嬉しそうに笑った。


 ジェニーは綿菓子の隣のカートでコーヒーを一杯買う。そのまま空いているベンチに腰かけると、くつろぐようにほっと息を吐いた。


「ジェニー、あれやろう」


 と、並んで座ったカミーユから言われて、少し離れたところにあるベンチを見る。

 そこには小さな子供が二人。良く似た顔をしている彼らは、きっと双子だろう。可愛らしい男の子と女の子は、一つの綿菓子を両側から攻めるように食べている。


「…………」

「はい、ジェニーはそっちから」

「何で公衆の面前でそんな恥ずかしいことをしなくちゃいけないのよ」

「あの実験で何かもう恥ずかしいとかは吹っ切れた」

「……私は吹っ切れてない。絶対、嫌」

「ええー」


 カミーユはあからさまに不満そうな表情をしながら、しぶしぶと指で綿菓子をちぎって差し出してくる。


「仕方がない。はい」

「……私、いるって言ってないでしょ」

「一人じゃ食べきれない」

「もう、だったら買わなきゃいいのに」

「あれやりたかった……」

「私が同意すると思ったのが信じられないわ」


 ため息をついてジェニーは、綿菓子を手で受取ろうとする。が、カミーユは手渡さず、ちぎった塊をジェニーの唇に押し付けてきた。このまま食べろということなのか。


「……もう」


 最後には諦めて、ジェニーは口を開いて綿菓子を食べる。口の中で瞬時に溶けてなくなる甘さ。味わうのはいったいどれくらいぶりだろうか。

 何度か無理やり口に運ばれて、綿菓子が少し小さくなったところでカミーユはやっと止めてくれた。


「結構ベタベタするね、これ」


 綿菓子をジェニーに渡した指を、カミーユが舐める。今の今まで何度もジェニーの唇が触れたところだ。

 それだけのことなのに、何故かジェニーは実験とはいえ激しくキスをしたことを思い出して、慌てて顔を逸らした。


「どしたの?」

「……別に」


 ジェニーはコーヒーを口に含む。酸味のある苦さが、甘さを緩和してくれた。

 それからカミーユは、自分も綿菓子を口に含みながら公園を見渡す。穏やかな声で、ぽつりと言った。


「こういうの、いいよね」

「……何が?」

「ここでは、獣人が受け入れられてる」


 カミーユの視線を追えば、公園内に幾人かの獣人の姿があった。あくまで自然に。カミーユだってそうだ。彼の周囲の人は誰も、彼に驚きはしていない。


「そうね。少しずつ変わったわね」


 言いながらジェニーは、カミーユの言い方が気になった。ここでは、ということはつまり、そうではない場所を良く知っているということだ。


「……パラディーでは違うの?」

「うん。人との共存を選んだ筈なのに、それに反対する声が大きすぎるんだ。こういう光景が普通になるまでには、まだ先が長いかもしれない。今パラディーで見かける人は、ある程度の危険を承知で入国している軍人や研究者くらいかな」

「そう……」


 すると、ふいにカミーユがジェニーの方を見て言った。


「リビングに飾ってある写真、ジェニーの両親?」


 両親が並んで微笑む写真を思い出して、ジェニーは頷いた。


「そうよ。二人とも、私が小さな頃に亡くなったの」

「ジェニーはお母さん似だね。二人とも美人だ」

「……それは、ありがとう」


 美人だと言われたことより、母に似ていると言われたことがとても嬉しかった。


「ジェニーと良く似た隊服を着てた」

「そうね。二人とも、ナイツだったから。でも戦時中のナイツだから、今とは違うわ。獣人と戦っていたの」


 ジェニーは再び目の前の公園を眺めた。少しずつでも、人と獣人が共存している今の光景を、父と母もきっと見たかったに違いない。


「ジェニーはどうしてナイツに?」

「……父と母が、平和を願って戦ったから。かつては対獣人組織だったナイツも、今では一緒に獣人が働くまでになった。その変化を、きっと父と母は喜んでいると思う。父と母が願った世界のために、私も何かしたいの。まだ道は途中だから」

「そっか」


 それからジェニーは、カミーユの方をもう一度向いた。


「あなたはどうなの? 両親は? パラディーでは何をしていたの?」

「んー」


 綿菓子を頬張りながら、カミーユは前を向いて答えた。


「両親はいない。戦争で。伯父の世話になって暮らしてた」


 その言葉に、今更ながらジェニーは驚く。自分が身内がいないせいか、カミーユの家族のことにまで気が回っていなかった。


「……それって、今すごく心配かけてるんじゃないの?」

「死んだと思われてるか、失踪したと思われてるか、どっちかかな」

「どちらにしても早く戻らなくちゃいけないじゃない」

「うん、それはまあそうなんだけど」


 相変わらず、悲壮感が無くのんびり言うカミーユに、ジェニーの方が気持ちが焦ってしまう。


「ここと違って、パラディーは生まれがものをいう階級社会でさ。けっこう窮屈なんだよね」

「……立派な家の出身だって言ってたわね」

「一応ね。貴族の仕事は国王を補佐し、戦うこと。だから普段は城に務めたり、訓練したりそんな感じだったんだけど」


 言いながらカミーユは、僅かに眉間に皺を寄せた。


「国王派と反国王派の派閥争いはひどいものだよ。そういうの、肌に合わなくて」


 それにはジェニーも、嘆息するしかない。


「それはこの国だって同じよ。問題は、共存をどうしても受け入れられない人もいるってことなのよ」


 するとカミーユは、いつになく真面目な面持ちで言った。


「……憎んだり、恨んだりするのには信じられないくらいエネルギーがいる。できればそんな苦しい思いをせずに、楽しく生きられる国であって欲しいと思う」

「そうね。それはとても大変なことだけれど、きっと目指す価値のあるものだわ」


 その言葉に、カミーユはジェニーの方を見ると、そうだね、と緩やかに笑った。

 それからカミーユは、残っていた綿菓子を最後まで食べ終える。


「食べた。ごちそうさま。あー、手も口もベッタベタ」

「子供みたい」


 思わず笑ったジェニーを見て、カミーユは嬉しそうに目を細めた。


「ジェニー、今キスすると、甘いよ?」

「……ほんと、馬鹿ね」


 やれやれと息をついて、ジェニーはコーヒーを飲み干した。

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