愛とは
扉が開く音がして、ジェニーは目を覚ました。
上体を起こせば、室内に入ってきたエミリアが大きな紙袋をジェニーの目の前に差し出した。
「眠れた?」
「……お陰様で」
受取ってがさがさと袋を開ければ、中にはたっぷりと具を挟んだ大きなクロワッサンサンドが入っていた。
「ありがとう。お金、後で返すわ」
「いいわ。貴重なデータを取らせてくれた御礼」
すると隣で眠っていたカミーユも、ゆっくりと起き上がった。
二人の目覚めと同時に、声が聞こえたのか続き部屋からヒューイットが顔を出した。
「やあ、みんなおはよう」
良い香りと共に出てきたヒューイットの手には、マグカップではなくてビーカーに注がれたコーヒーがある。
「食べてて。あなたたちにも用意するわ」
エミリアからそう言われて、ジェニーは紙袋から数種類のハムを挟んだサンドを取って、カミーユに手渡す。自分はレタスとチーズのサンドを頬張っていると、エミリアがコーヒーの入った来客用のマグカップをそれぞれに渡してくれた。
すると二人の前の丸椅子に腰かけたヒューイットが、コーヒーを飲みながら口を開いた。
「それで、昨日の結果だけどね。完全な人狼になった時に採取した血液から、微量だけど面白い成分が出たよ。人型の時には検出されなかったから、人狼由来のものじゃない。魔力で血中濃度が上がったから、検出できたんだろうね」
その言葉に、ジェニーは口にあったサンドを飲み込んでからカミーユを見た。
「完全な人狼になれたのね。見間違いかと思ったけど」
「ジェニーのお陰で。五分くらいかな」
「六分五秒だったわね」
エミリアが正確な結果を教えてくれた。あれだけ大変な思いをしたジェニーとしては、喜んでいいのか分からない数値である。
「それで、何が出たんですか?」
気を取り直してジェニーはヒューイットに向き直った。
「オレニアだね」
「オレニア?」
聞いたこともない言葉に、ジェニーは眉根を寄せた。
そうするとエミリアが、壁の書棚にあった厚い本を取って、あるページを見せてくれた。そこには血の色をした鉱石の写真がある。
「オレニアはね、かつて異界の錬金術師と称されたテオフラト・オレニアが生成したという希少鉱物だよ。賢者の石、なんて言われたりもする」
ヒューイットの説明に、エミリアが続ける。
「オレニアは、魔力を吸収させることができると言われているの。吸収した魔力を利用して、テオフラト・オレニアは生と死を逆転させた、という伝説があるわ」
「現実には、吸収した魔力をもう一度放出させた例は無いみたいだけどね。検証しようにも、オレニアはもう百年以上前に採り尽くされて、この世から消失したっていう話だし」
「……失われたはずの希少鉱物が、カミーユの血中から出たんですか?」
ジェニーの驚きに、ヒューイットとエミリアが揃って頷いた。
「新しく入手したのか、保管していたかは分からないけれど、とにかくパラディーにはオレニアがあったんだろうね。それを使って魔力吸収デバイスを作ったんだろう。カミーユ君に教えてもらってスケッチしたのがこれ」
見せられたのは、長い棒状のもの。針のように尖った棒部分には無数の穴が開いていて、その反対側の先端には立て爪で支えられた鉱石がある。
「それ、大きさはこれくらい」
と、カミーユが人差し指と親指で大きさを示す。ジェニーの手のひらに収まるサイズだ。
「それをさ、ここにグサッと」
カミーユは首筋を指した。想像しただけでぞっとする。
ジェニーは恐る恐るその場所を覗きこむ。カミーユの首筋は綺麗なものだった。
「……傷、残ってないの?」
「人狼は、自然治癒能力が高いから」
けろりとした顔で言うカミーユに、ジェニーはほっとした。
「想像するに、カミーユ君が生きていられるのは、魔力がまだデバイスに保管されている状態だからだと思うんだよね」
ヒューイットに向き直って、ジェニーは眉を寄せる。
「……では、やはりパラディーに行く必要がありますね」
「うん。何とかして持って帰ってきてよ。それからカミーユ君に戻す方法を考えよう」
ジェニーは頷く。パラディーに関する資料を集めておいて良かった。出発前に全て目を通さなければいけない。
そしてジェニーは、必要になる作業を頭の中で整理すると、改めてヒューイットに頼む。
「ヒューイット部長。申し訳ありませんが、研究開発部からの依頼を本部長に上げてもらえませんか?」
「うちからの依頼で、キミを指名するっていう形にするんだね」
「はい。すみません」
「いいよ。本部長と頑張って話してきなよ」
「はい」
「じゃ、それはすぐにやっとくから、カミーユ君を連れて帰っていいよ」
頷いてジェニーは、カミーユに向き直る。
「一度、隊の部屋に戻ってくるわ。帰る準備しといて」
「分かった。あそこで大人しくしとく」
仕方がなさそうにちらりとゲージを見たカミーユに笑うと、ジェニーは部屋を出た。
そのまま急いで隊の部屋に戻ろうと思ったのだが、少し遅れてエミリアが後を追ってきたのに気付いてジェニーは足を止めた。
「どうしたの?」
首をかしげれば、エミリアはじっとジェニーの目を見つめて言った。
「大丈夫そうね、体」
「ああ……」
くすりとジェニーは笑う。エミリアはジェニーを心配してくれているのだ。
「ありがとう。大丈夫よ。何ともない」
そうするとエミリアは小さく頷いて、それから再び口を開いた。
「カミーユとつがいになるつもりはないの?」
「――な、何よ、いきなり」
突然の言葉に、ジェニーは慌てる。エミリアは至って真面目な顔で言った。
「実験の途中、あなた、気持ち良さそうだったけど」
「ちょ、ちょっと何なの!? やめて!」
ジェニーは焦ってきょろきょろと辺りを見回す。少し暗い廊下には、誰の気配も無かった。
ほっとしてジェニーは続ける。
「私は仕方がないからキスしただけよ。やれっていったのはエミリアじゃない」
「そうね。でも絶対に嫌な相手でも、同じことができた?」
「……それは」
「つまり、ジェニーはカミーユに惹かれてるのよ」
確信を持っているかのようなエミリアに、ジェニーは信じられない思いで首を横に振った。
「待ってよ、出会って四日よ。考えられない」
「惹かれるかどうかなんて、一瞬で十分でしょ?」
「だってまだ、殆ど何も知らないのに……」
するとエミリアは、はあ、と大きなため息をついた。
「何も知らなくてもいいじゃない。好きになるのに理由が必要?」
「…………」
「顔が好き、声が好き、雰囲気が好き。人を好きになるのってささいなきっかけじゃないの? 大切なのはそれからでしょ。中身がクズなら論外だけど、カミーユはそうじゃないと思ったわ」
エミリアは一度言葉を切って、思い出すように言った。
「昨日、ジェニーが倒れた後ずっと、カミーユがあなたを守ろうとする姿にはこの私でもちょっと感動を覚えたわ。水の一滴も飲まずに、ただじっとあなたの側にいた」
「…………」
昨夜のカミーユを思い出して、ジェニーは胸がぎゅっと苦しくなった。
何も言い返すことができなくて、情けない顔をしてジェニーは呟いた。
「まさかエミリアにそんなことを言われる日がくるなんて……」
「私はね、今人生を掛けた研究に取り組んでいるところなの」
「何それ、何の話」
「私も、つがいだから」
「…………」
一瞬呆けて、ジェニーは思わず大きな声を上げた。
「は!? 今何て言ったの?」
「……いつ気付くかと思って黙っていたけど、本当に鈍いわね」
「ちょっと待って、それどういう意味」
「異種間のつがいについて質問してきたっていうから、気付いたのかとも思ったけど、全然ね」
「…………」
ジェニーは自分の記憶を必死で探る。やがて答えに辿り着いて、信じられないように目を見開いた。
「ナタンなの!?」
驚くジェニーとは対照的に、エミリアは冷静だ。
「そうね」
驚きすぎて、ジェニーの口は半開きになる。多分とても間抜けな顔をしながら、ジェニーは弱々しく聞いた。
「……いつから?」
「彼が入ってきてすぐね」
「それって半年も前じゃない。言ってよ……」
「あなたがあまりにも何も気付かないから、途中から面白くなって」
「全然面白くないんだけど……」
ジェニーは情けない声で言ってから、エミリアに尋ねる。
「……あなたも好きだったの?」
「好きという気持ちはその時は良く分からなった。ジェニーの言うように、殆ど何も知らなかったもの。でも彼を好ましく思ったから受け入れた。理由はそれだけよ。ジェニーは私を否定する?」
じっとジェニーを見つめてきたエミリアに、ジェニーはすぐに首を横に振った。
「するわけないじゃない」
「良かった」
エミリアは嬉しそうににこりと笑う。普段はあまり見せないこの笑顔を、ナタンも知っているのだろう。きっと、とても愛おしいだろうと、そんなことをぼんやりと思う。
「……ところで、人生を掛けた研究って何?」
思い出したようにジェニーが聞けば、エミリアは真面目に答えた。
「愛とは何か」
一瞬きょとんとして、それからジェニーの口元が自然に綻ぶ。
エミリアがそんなことを言うなんて、余程のことだ。ナタンへの思いの深さが分かる。その気持ちを、否定することなんてできるわけがないと思った。
「それは確かに、永遠の命題ね」
「そうでしょう。だからデータは多い方がいいわ。カミーユとつがいになって、私にデータを提供して」
冗談とも本気ともとれるエミリアの言葉に、ジェニーは苦笑するしかなかった。
「……検討しとく」




