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キスの実験

 無事に誰にも怪しまれずにカミーユを連れて来ると、早速人型になるように言われてカミーユはそれに従った。

 続き部屋で身なりを整えて姿を見せたカミーユを、ヒューイットとエミリアはなめるように観察した。


「僕には分からないんだけど、本当に魔力無いの? エミリア」

「無いですね。全く感じられません。ジェニーが気付かないのも無理はないです」

「不思議だねえ。キミ、何で生きてるの?」

「さあ……」


 困ったように首をかしげるカミーユ。

 ヒューイットはしげしげとカミーユを眺めた後で、ジェニーに手招きをした。

 ジェニーが側に寄ると、ヒューイットは小さな瓶を白衣のポケットから出す。無色透明な液体を受取って、ジェニーはきょとんとした。


「何でしょう?」

「それね、今僕たちが開発している魔力増幅剤」

「……それはすごいですね」

「そうでしょ。それで、僕とエミリアも試したんだけど、もともと魔力がない僕には全然効き目がなかった。ゼロには何を掛けてもゼロ」

「私には多少効果はあったけど、期待したほどじゃなかったわ」

「はあ……」


 それが今何の関係があるのだろうと、ジェニーは不思議そうな顔をする。するとヒューイットは信じられないことをさらりと言った。


「そこで、飛びぬけて魔力の高いジェニーに是非治験を頼みたい」

「えっ、今ですか?」

「そう今ここで。そして彼との魔力の受渡しを僕たちに見せて」

「え、ええ!?」


 それはつまり、二人の目の前でキスをしろということなのか。ジェニーの頬が熱くなる。


「ジェニー、これは検証のために必要なのよ」


 エミリアの言葉に、それが友達の言うことかとジェニーは首を横に振る。何が悲しくて友達にキスシーンを観察されなくてはならないのだ。

 何とか言って欲しいと思ってカミーユを見れば、彼もさすがに困ったような顔をしていた。


「見られて興奮する性癖の人も世の中には沢山いるとは思うんだけど、俺は趣味じゃないかなあ……」


 しかしそれにもエミリアは、可愛らしい顔で冷徹に言い放った。


「あなたの性癖とか趣味とか一切関係ないから。いいからやりなさい二人とも」

「…………」


 黙った二人に、ヒューイットはにこにこと笑うばかりだ。


「悪いね。その代わり、ちゃんと調べるからさ。頑張ってよ」


 頑張ってと言われても。ジェニーは途方に暮れた。

 しかしじっと見つめてくるエミリアの視線に、逃げ場がないことを知って覚悟を決めるしかなかった。二人に相談したのは、他でもない自分だからだ。


「……分かりました」


 それに驚いた様子のカミーユを無視して、ジェニーは小瓶のふたを取ると中の液体を一気に喉の奥に流し込んだ。カミーユが焦った声を出した。


「ジェニー!」

「…………」

「効果が出るまで一分よ」


 エミリアの声に、ジェニーは頷く。心配そうな表情をしているカミーユから、ぱっと顔を逸らした。今からキスしなくてはならない。どういう顔をすればいいのか分からなかった。


 すると、不意に体の奥底から、寒気と熱さが同時にせり上がってくるような感覚に襲われた。

 その衝撃に、立っていられなくなって、ジェニーは膝をつく。


「あ……」


 苦しくて堪らず、ジェニーは頭を床につけるようにして倒れ込んだ。伸ばした手は何かを掴むように握りしめられる。


「ジェニー、しっかり!」


 ジェニーの横に体を屈めたカミーユが、ひどく動揺した声を上げる。


「……これは想像以上だね。魔力が体に収まりきれないのかもしれないな」


 ヒューイットの声が聞こえたが、ジェニーは顔を上げることもできない。苦しくて苦しくて、体が内側から焼け尽くしてしまいそうだった。


「あなたが受取ってあげて。早く!」


 エミリアの声に、カミーユはジェニーの体を支えて座らせた。

 不安そうに揺れる琥珀色の瞳が、ジェニーのかすんだ視界に映った。


「く、るし――」


 は、は、と短い息を繰り返しながらジェニーは頭から後ろに倒れそうになる。カミーユの腕がそれを防ぎ、ジェニーの背中を壁に預けた。


「ジェニー……」


 ごめん、と苦しそうな声で小さく呟いて、カミーユはジェニーに口付けた。


「っ……」


 唇が押し当てられた瞬間、ジェニーは一度大きく目を見開く。それからすぐに瞼を閉じた。

 キスとキスの間に、呻くような声を漏らすジェニーの口内にカミーユの舌が入ってくる。丁寧に優しく舐められるたびに、体が痺れるようだった。


「ん……。は、あ……」


 壁に預けていたジェニーの後頭部を、カミーユが引き寄せる。息も絶え絶えに身を震わせるジェニーの顔が更に上向きになり、口づけは一層深くなった。カミーユのもう一方の手は、ジェニーの腰をしっかり支えている。


 体の奥底からぞくぞくと何かがこみ上げる。もう何も考えることができなかった。この苦しさから早く楽になりたくて、与えられる甘さに耐えられなくて、ジェニーはすがりつくように両腕をカミーユの首に巻き付ける。いつのまにか自らも、カミーユの舌に舌を絡ませていた。


 角度を変えて何度も繰り返していると、焼けるような痛みから体が次第に解放されていくようだった。少しずつ楽になっていくと同時に、頭がとろけてしまいそうな甘い痺れが残った。


 体の奥底から湧き上がる魔力の激流と、カミーユから与えられる甘い刺激に翻弄されて、ジェニーはもう気を失う寸前だった。

 抵抗できず、ジェニーの意識は遠くなる。カミーユの首に絡めていた手から力が抜け落ちると、カミーユが唇を離した。


 ジェニーの体を背後の壁に預けた後、カミーユの腕がジェニーから離れていく。

 瞼を閉じるジェニーの瞳に最後に映ったもの。

 それは金色に輝く、完全なる人狼の姿だった。

 ジェニーは遠のく意識の中で、ただその美しさに感じ入っていた。


 それから、どれくらいの時間がたったのかは分からない。

 ジェニーが目を覚ましたら、あたりは暗かった。


 視線だけを動かせば、ここは研究開発部だと分かる。続き部屋からは明りが漏れている。多分ヒューイットがまだ作業をしているのだろう。


「ジェニー?」


 僅かに身じろいだジェニーの気配に気付いたのか、顔のすぐ近くからカミーユの声がした。

 ジェニーはカミーユと一緒に、ソファベッドの上にいた。多分ヒューイットが、寝泊まりできるように設置されたものだ。


「大丈夫?」

「……うん。もう、夜?」

「夜だよ。今日はここで泊まれって。メイベルにはエミリアが伝えてくれるって」

「そう……」


 いつものジェニーなら、どうして一緒に寝ているのだと怒っていただろう。でも、そうはしなかった。

 意識が混濁していた中でも、うっすらと記憶と、感触が残っている。倒れたジェニーは今までずっと、カミーユにそっと抱きしめられていた。大切な宝物でも守るかのように。


「ジェニー」

「……何?」

「ごめん」

「どうしてあなたが謝るのよ」

「突き詰めれば、俺のせいだから」


 カミーユの顔を見て、ジェニーは少し笑った。


「あなたのことがなくても、あの二人はいつか私で試したと思う」


 時々やりすぎることもあるが、これが彼らの仕事で、それはジェニーたち隊員のためなのだ。自分にできることは協力するのがジェニーの務めでもある。


「だからあなたが気にすることなんて、ないのよ」


 ジェニーはゆっくりと手を伸ばし、彼の耳を触った。柔らかいアッシュブロンドと、根本はそれよりもっと細くて柔らかい狼の毛が、程よくまじりあっているのが分かる。

 そのまま無言でやわやわと撫でていると、カミーユがジェニーに額をくっつけてきた。


「ジェニー、誘ってる?」

「……何かしたら、蜂の巣にするわよ」

「えー……。じゃあ何してるの」


 ジェニーは撫でる手を止めない。カミーユの耳はふわふわと柔らかい毛で覆われていて気持ちが良かった。本当はずっとこうしたかったのだ。


「飼い犬を撫でて何が悪いのよ」

「……でも御主人様、ほどほどにしといてくれないと。そこ結構感じるとこだから我慢できなくなるかも――っ痛!」


 ぎゅうっと引っ張って手を離すと、ジェニーはもう一度目を閉じた。朝まではまだ時間がありそうだ。眠くて仕方がない。


 ほどなくして、再び優しく抱きしめられる。ジェニーは何も抵抗しなかった。

 心地良い温かさに再び眠りに落ちていく途中、心の底から安心したような声がジェニーを包み込んだ。


「良かった。君が無事で」

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