嫌な予感しかしない
ジェニーが買ってきた新しい服を着てカミーユは、メイベルお手製のパンと、挽肉と豆のトマト煮込みを食べている。とても綺麗にカトラリーを使うので、そういえば名家の出身だと言っていたなとジェニーは思い出す。
しかしながら、余程お腹を空かせていたせいなのか、休むことなくもくもくと食べ続けるカミーユに、メイベルは明日使うつもりだったという肉まで焼いて提供した。急いだせいか、味付けはシンプルに黒胡椒と岩塩だけだ。
「昨日のうちに言ってくだされば、昼食もきちんと用意しましたのに」
メイベルは拍子抜けするほどカミーユをあっさりと受け入れた。やはり犬じゃなくて狼だとは、うすうす思っていたらしい。
「ごめん。昨日、裸だったから」
カミーユが答えると、メイベルはジェニーの方をぱっと見た。
「……昨日はお嬢様が、体を洗ってやると言っていましたよね」
「ちょっと、変な想像しないでよ。タオルを掛けてやった後に人型になったのよ」
ジェニーが嫌な顔をすると、メイベルはほっとした表情をした。
「良かった。嫁入り前に何かあったら大変です」
その言葉に、ジェニーは内心で慌てる。朝起きたら隣にいて、おまけにキスをした。なんて絶対に言えない。
そしらぬ顔で食事を取り続けるカミーユが憎らしい。ジェニーは慌てて話題を逸らした。
「とにかく、そういうわけだから。しばらくここで面倒を見ることになったから、お願いね。それと日中は家にいるから、仕事を手伝わせていいわよ」
「あら、助かります。力仕事が楽になりますね」
「何でも言ってよ。よろしく、メイベル」
こうして正式にブラックウッド邸に迎え入れられたカミーユだが、問題はこれからだった。パラディーの件は、ジェニーひとりでどうにかできる問題ではない。
就寝時刻になって、ベッドで一緒に寝るくらいなら自分がソファで寝るとジェニーが言い張れば、カミーユは仕方がないといった様子で狼型になると、ソファに上がって丸くなった。室内は温かいので、寒いからそうしているのではなく、彼はきっと拗ねている。
「最初からそうしてよね」
ジェニーがカミーユを見下ろして言うと、カミーユは視線だけを返してため息をつくように鼻を鳴らした。
それにしても、狼型になったカミーユは、言いたくはないが可愛い。はっきり言って可愛い。大きな体のくせに、こんな風に丸くなるなんて反則だ。足と手がぎゅっと収まっているあのふかふかしたお腹の辺りに手を入れて撫でたい。
ジェニーは思わず胸のあたりまで持ちあがった両手を、拳を作ってぐっと堪える。
「……寝るわ。おやすみ」
「クゥン」
「言っとくけど、鍵かけるから。来ても無駄よ」
「クゥ……」
翌朝になって、すっきりと目覚めたジェニーは、家を出る準備をしてからキッチンに降りた。
メイベルが買っておいてくれたベーコンと卵を焼く。火を消して皿に移し終えたところで、いきなり後ろから抱きしめられた。
「……!!」
「おはよ、ジェニー。寂しかった」
ジェニーは自分の胸の辺りで絡まるカミーユの腕を、ぞんざいに振り払う。後ろを向いて、眉根をぎゅっと寄せてカミーユを睨んだ。
「何で抱きつくのよ」
「え、つがいだから」
「つがいじゃない!」
びしっと言い付けて、ジェニーはカミーユを無視して朝食の支度をする。
ダイニングテーブルにつくと、カミーユは正面に座ってにこにことジェニーを見つめている。
「いいね。新婚みたいで」
「…………」
ジェニーは無言を決め込んだ。その後もいろいろと構ってくるカミーユを最後まで無視して、ジェニーは家を出た。
「はあ……。もう」
玄関の扉を閉めて、ジェニーは自分の眉間を数度押し揉んだ。カミーユのせいで、眉間の皺が深くなっている気がする。やれやれと息をつきながら、ジェニーは仕事に向かった。
登庁すると、ジェニーは研究開発部の部屋を訪ねていた。
「ジェニー、珍しいわね」
と、部屋に入ってきたジェニーを見て手を止めたのは、エミリアだった。
ふんわりした明るい栗色の髪と、緑色の大きな目をした一歳年上の幼馴染は、可憐な顔立ちと華奢で小柄な体をしていて、いかにも可愛らしい。
「最近顔を見せないから、死んだかと思ったわ」
にこりともせずにそう言われる。可愛らしいのは、見た目だけだ。ジェニーは苦笑しながら、エミリアの側に寄る。
「意外と忙しくしてるのよ」
「隊員増やしなさいよ」
「今のところナタンが十分働いてくれるから必要ないわ」
「昨日は一日中資料室に籠っていたんですってね。何を困っているの」
昔から、エミリアには何でもお見通しだった。
魔力は普通程度だが、とにかくエミリアは頭が切れる。人との交流よりも勉学や研究を優先する性格のせいか、エミリアは変人だとレッテルを貼られることも多かった。
二人は九歳と十歳の時、国立養護院で出会った。エミリアは愛想はないが、高すぎる魔力ゆえに孤立しがちだったジェニーにも裏表なく接してくれた良き友人だ。エミリアなら、信頼できる。
「そのことなんだけど、ヒューイット部長はいる?」
「部長!」
部屋の奥を向いてエミリアが声を上げると、続き部屋からヒューイット研究開発部長が顔を出した。
相変わらずの青白い顔、伸びっぱなしの髪、無精ひげ。三十代後半だと聞いているが、痩せすぎているせいもあって、もっと年上に見える。
エミリアはジェニーに隊員を増やせと言ったが、研究開発部こそ人員を増やすべきだとジェニーは思う。部屋の人員は二人だけだ。ヒューイットは魔力を持たない天才だった。彼ら二人と肩を並べることのできる人材はそうそう見つからないようだ。
「やあ、ジェニー」
「お忙しいところ、すみません。折り入って相談が」
「何だろう?」
よれよれの白衣のまま姿を見せたヒューイットは、改まって何事かと首をかしげる。
「実は先日、迷い犬を保護したんですが……」
「え、無理無理。僕にペットは無理。自分の世話もままならないのに」
焦って首を横に振ったヒューイットに、ジェニーは笑う。
「いえ、そういう相談ではなくて。実は、犬だと思ったら、人狼だったんです」
「ええ? ジェニー、分からなかったの?」
「はい。それが、魔力を枯渇させていて……」
ジェニーの言葉に、ヒューイットは途端に表情を変えた。
「……生きてるの? それ」
「生きてます。わりと元気です」
「えー、見たい。ねえエミリア」
「見たいですね」
二人とも目の色を変えている。ジェニーは苦笑した。
それから自分が知るカミーユの事情を二人に説明する。ジェニーの身に起こったことも漏れなく話した。つまり、魔力を渡したキスのことまで。
言いたくはなかったが、これから助けを求める二人に隠すのは得策ではなかったし、隠し通す自信もなかった。
「どこで狙われているか分かりません。正直、本部内でも安心できないので、内密に願います」
「もちろん。とにかく、連れてきてよ」
ヒューイットはそう言ったが、ジェニーは困ったように眉尻を下げた。
「そうしたいんですが。目立たないように連れてくるにはどうしたらいいか……」
「そこのゲージ持って行くといいよ。エミリア、書類用意して」
「はい」
指さされた方を見れば、台車付きのかなり大きく頑丈そうなゲージが部屋の隅に置かれていた。狼が楽に入る大きさだ。
「これを門兵に見せればいいわ」
エミリアは用意した書類に、最後にヒューイットのサインを貰ってからジェニーに渡した。そこには、『研究開発部依頼、実験用動物の納入』とある。
「実験用動物……」
呟いてジェニーが顔を上げると、ヒューイットがやけに優しい声色で言った。
「急いで迎えに行っておいで。戻ってくるまでに、何をするか考えておくから」
ヒューイットは笑顔だった。その隣では、珍しくエミリアもにこりとしている。
背中に寒いものを感じて、ジェニーは顔を引き攣らせた。




