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獣人について

 登庁の準備を終えて、ジェニーはダイニングテーブルの下を覗きこんだ。

 そこには顎をぺったりと床につけて伏せているカミーユがいた。


「朝食、置いとくからメイベルが来るまでに食べなさいよ。メイベルが来たら、絶対に人型になったら駄目よ」

「クゥン」


 と、カミーユは頭を持ち上げず瞳だけでジェニーを見て、情けない声で答えた。どうやら反省はしているようだ。


「じゃあね」


 それだけ言って、玄関を出る。雨はすっかり上がっている。

 昨日とはまるで変わってしまった自分の日常に、空を見上げてため息をついてから、ジェニーは家を後にした。


 特別治安部隊ナイツ本部まで、徒歩で向かう。足取りにいつものように力がない。サラダ以外の朝食はカミーユに残していたので、ジェニーは空腹だった。

 メイベルにどう言って食事の量を増やして貰おうかと、ジェニーの頭はそればかりだった。


 本部に到着して隊の部屋へ入ると、一人の男性がジェニーを出迎えた。


「おはようございます、隊長」

「おはよう、ナタン」


 青みがかった黒い短髪と、同じく黒く鋭い目をしたナタンは、一見普通の人間なのだが、振り返ればその背中には美しい翼。その翼も、それから腰のあたりからすっと伸びた尾羽も、髪と同じ青みがかった黒色だ。

 確か今年二十五歳になったと言っていただろうか。年齢は上だが、彼はあくまでジェニーの部下だ。ナタンは半年前にナイツに入隊した、初めての獣人隊員である。


 普段は人型をしているが、有事の際には完全な鳥人になる。空を飛ぶという技能は、ジェニーの魔力を持ってしても不可能なので、ジェニーにとってナタンは貴重な人材だった。

 反対派からは、いつか裏切られるなどといったいらぬ心配もされたが、ジェニーは気に留めなかった。ナタンの誠実さは、その魔力を感じればすぐに分かった。濁りがないのだ。

 礼儀正しく勤勉なナタンは、ジェニーにとって申し分のない部下だった。


 執務机について早々に、ジェニーは立ったまま書類を整理するナタンを見上げた。


「ナタン、ちょっと聞きたいんだけど」

「はい。何でしょう?」

「私たち人と違って、獣人は全員魔力持ちよね?」

「そうですね。魔力を持たなければただの獣ですから」

「その魔力が、無くなるとどうなるの?」


 ナタンは首をかしげた。


「それは……。死ぬ、のではないでしょうか」

「そうよね。私もそういう認識だったんだけど」


 そう断ってから、ジェニーは続けた。


「でも、それでももし生きていたら、どうやったら魔力が戻ると思う?」

「…………」


 答えられずにナタンは考え深げに眉根を寄せていたが、やがて申し訳なさそうな表情になった。


「すみません、分かりかねます」

「……そうよね。いいのよ、変なこと聞いてごめん」

「いえ……」


 ナタンは不思議そうな顔をしていたが、何故そんなことを聞くのかとは尋ねてこない。そういうところも良い部下なのだ。


「ああ、それと――」


 ジェニーはもう一つ、聞きたいことを思い出して声に出した。


「はい?」

「ナタンには、つがいがいる?」

「…………」


 固まったナタンを見て、ジェニーは内心でしまったと反省する。


「……ごめん、立ち入った質問しちゃった。忘れて」

「いえ、あの……」

「いいの。ごめんね、本当に。その、聞きたかったのはあなたのプライベートじゃなくて、獣人にとってつがいがどういう存在なのかってことなの。魔力で感じるって本当?」


 一般論として質問されたのだと分かって、ナタンは緊張させた表情を僅かに緩めて答えてくれた。


「そうですね。こればかりは説明が難しいですが、雷に打たれたように、というのは良い表現だと思います」

「それって同種に限らない?」

「……そう、ですね。はい、そういうこともあります」


 ジェニーの言葉に、戸惑った様子をみせるナタンだが、ジェニーは彼について詮索するつもりはないので、見ぬふりをする。


「それじゃ、もしも相手を見つけても、つがいになれないってこともある?」

「それはもちろんあります。つがいになれたとしても、不幸にも死別することもありますし」

「そうなると、その後はどうなるの?」

「個体によりますね。新しいパートナーを見つけることもあれば、残りの生涯を一人で過ごすものもいます。それは人も同じなのでは?」

「まあ、それもそうね……」

「昔と違って、異種族間の結婚も認められるようになりましたから。少しずつ増えていますね、獣人と人の夫婦は」

「ええ、良いことだわ」


 ジェニーが微笑むと、ナタンも小さく笑みを見せた。

 それからジェニーは椅子の背もたれに背を預けて小さな息をついた。


「恋愛して結婚して、私たちと同じだと思ってた。人とは少し違うのね。つがい、か……」

「けれど人にも、私たち程はっきりと分からないとしても、そういう能力はあるのではないですか? 運命の人、と言うでしょう?」

「そうねえ。個人的には、そんなものは単なる思い込みだと思っているけど」

「実は我々獣人の間でも、つがいに対する気持ちを単なる思い込みだと考えて、もう随分前から、重要視されなくなっているんです」

「え、そうなの?」

「見つけられるか分からないつがいというシステムに、種の存続を頼るというのはリスクがあります。獣人は、かつてに比べて随分数を減らしましたから。選り好みをしている場合ではなくなった、ということですね」

「…………」


 それはこの二百年で、リネーレ大陸に人という種が根付いたせいだ。ジェニーは言葉も無かった。


「ですので、つがいではなくても、縁があって結婚し、子供を産み育てることも多くなりました。私の父と母もです。見た瞬間にそうと感じたつがい同志ではなかったかもしれませんが、長く共に暮らして愛情は確かにあると思います」

「そうね、愛情の種類は一つじゃないもの」

「ええ」


 ジェニーは執務机から立ちあがる。


「ナタン、教えてくれてありがとう。私はちょっと資料室へ行ってくる。今日は出動はないと思うけど、何かあったらすぐに知らせて」

「はい、分かりました」


 運の良いことにその日は平和な一日で、予定通り出動はなかった。


 資料室で獣人に関するものを読み漁ったが、やはり魔力を失ったり取り戻したりするような記述は見当たらなかった。ここで調べていても埒が明かない。やはり一度、パラディーに行く必要がありそうだ。

 そう思ってパラディーに関する資料を集めたところで、今日は帰宅することにした。いつもより早いが、置いてきた犬が気になった。


 ジェニーは隊の部屋に一度顔を出して、ナタンに声を掛けてから帰宅する。その途中で、男性用の服を買うのを忘れなかった。


 ジェニーが戻ると、いつものように玄関で出迎えてくれたメイベルが不安げな表情で訴えてきた。


「お嬢様、あの犬――」

「カミーユがどうかした?」


 ジェニーが僅かに眉間に皺を寄せると、メイベルはちょっと表情を明るくする。


「カミーユと名付けたんですね」

「あー……。そ、そうよ。それで、どうしたの?」


 人型になった? それともまさかいなくなってしまった? そんなことが思い浮かんで、ジェニーが焦って先を促すと、メイベルは再び眉を下げた。


「それが、用意した餌をちっとも食べないんです」

「…………」


 何だそんなことかと、思わず脱力する。それからジェニーは少し考えて、メイベルに尋ねた。


「メイベル、餌って何をあげたの? 肉?」

「いいえ。最近は、犬用の乾燥フードが売られているんですよ。生肉よりバランスが良いって言われて、一番売れているっていう商品を買ってきましたよ」

「ああ……」


 ジェニーは居間へ向かう。暖炉の前で伏せていたカミーユは、朝と同じように顔を上げずに視線だけをジェニーに向けた。


「キュゥン」


 力の無い声を出したカミーユの顔にははっきりと書いてある。お腹すいた。

 これはメイベルには打ち明けるしかないな、とジェニーは心を決めることになった。

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