ここがあなたの戻る場所
狼型になって自分で走ってきたというカミーユの体を、ジェニーは心配した。
「どうして走ってきたの?」
「だって車ないし。走ることだけに集中するなら狼型の方が身軽だから。でも今回は魔力があったから、普通の馬よりは速かったよ」
「そんなに体を酷使することなかったのに……」
そう言うと、カミーユは輝くように明るく笑って言ったのだ。
「だってジェニーに会えると思ったら、走らずにはいられなかった」
思わずジェニーは言葉に詰まる。なんだか泣きたい気持ちになって、それを抑えるために困った顔で答えた。
「……馬鹿ね」
それから、パラディーでの話を聞いた。
リュカとアリアーヌは無事婚約したらしい。
彼らのために伯父夫婦やユメル家に働きかけ、二人をずっと見守っていたカミーユに、リュカは言ったようだ。もう子供じゃないから大丈夫。行きたい場所へ行って欲しいと。
実はジェニーがカミーユのつがいだったと知って、リュカはひどくショックを受けていたらしい。自分のせいで、ジェニーが言い出せなかったのだろうと悔やんでいたそうだ。いつかまた会ったときには、そんなことはないのだと話したい。
ユメル家が態度を軟化させたことで、パラディーでの貴族の派閥争いもずいぶん落ち着いてきたということを、カミーユは穏やかな様子で話してくれた。これまでは否決されるばかりだった、国王の提案する政策もいくつか承認され、パラディーは変わりつつあるという。
カミーユの体のことは、結局のところ良く分からなかったようだ。オレニアが割れて放出された魔力の上に、ちょうどカミーユがいたことが幸いしたのだろうと言われたという。
ジェニーの家に再び転がり込んで、しかし今回のカミーユは、働く、と言った。
一方的にジェニーの世話になるのは良くないからと、殊勝な心掛けで何をするのかと思っていたら、軍の新兵募集事務所を訪ねていた。
はっきり言って、獣人の彼にとっては簡単な道ではない。ナイツで獣人は唯一ナタンだけだし、軍全体を見渡しても獣人は数えるほどしかいない。
カミーユに頼まれて身元保証のための書類に何枚も署名をしながら、駄目でも落ち込まないといいけれど、とジェニーは心配していた。
ところが、カミーユはあっさりと入軍許可を受けた。
驚くジェニーを置いて、三カ月間訓練施設に向かったと思ったら、戻ってきたカミーユの配属先は、ナイツも所属する国家安全保障部だった。信じられないことに、カミーユの仕事は総統の警護だった。
「ジェニーと一緒が良かった……」
肩を落としたカミーユの横で、ジェニーは何度も彼の身分証を見る。
「は!? 何かの間違いでしょ? ありえないわ、新人が何でいきなり総統の警護なのよ」
「新人だけど素人じゃないよ。パラディーにいるときは国王の警護してたし」
「……そうなの?」
「うん。だからじゃないかな」
「それにしても、でしょ。人事も思い切ったことするわね……」
後からヒューイットに聞かされた話によれば、カミーユの人事には、総統の側近が口を出したのだという。総統がカミーユを連れることで、獣人との共存を国内外にアピールする狙いがあるようだ。カミーユは見栄えも良いので、より注目されるだろう。
それとカミーユの言う通り、パラディーで国王警護の経験があることも大きかったようだ。魔力と戦闘能力については問題なく、訓練時から特出していたらしい。
更にパラディーで解明できなかったオレニアの調査のこともあり、定期的にカミーユの体を検査するという条件をつけられたらしい。それはヒューイットが担当することになったということだ。
あてもないまま待ち続ける日々に比べれば苦ではなかったものの、訓練から戻ってきても、カミーユとはすれ違いが続いている。
カミーユのスケジュールはすべて総統を中心に組まれるから、当然のことだ。ジェニーだって暇な仕事ではない。
その日も帰宅が遅くなって、あまり音を立てないように手早くシャワーだけを済ませて薄暗い部屋に入ると、ベッドで眠っていたカミーユが身じろぎした。
「……ジェニー? おかえり」
「ただいま」
ジェニーはベッドに潜り込む。カミーユの隣は随分と温かい。テーブルランプがオレンジ色の淡い光を漏らす室内で、段々と目が慣れたらカミーユの顔が良く見えた。
「起こしてごめんね」
「大丈夫。良かった、会えて。明日から戻れないから」
明日から、総統はパラディーに出発する。当然カミーユも一緒だ。
「リュカに会えたらいいわね」
「どうかな。自由な時間、少しくらいあればいいけど」
横顔を枕に埋めれば、カミーユがジェニーの頭に手を伸ばし、愛おしそうに髪を手で梳いた。
「どれくらいになるの?」
「二週間は戻れないかも」
「そう。二週間後なら、今度は私がここを離れてるわ。任務なの」
「え、どれくらい?」
「分からないわ。行ってみないことには」
「……すれ違ってばかりだ」
カミーユは手をジェニーの髪から離すと、はあと大きなため息をついた。
「ナタンと代わりたい……」
「駄目よ。あなたじゃナタンの代わりにならないわ」
即答すれば、カミーユは嫌な顔をする。
「何で」
「飛べないじゃない」
「飛べないけど……」
不満そうな声で答えたカミーユが子供みたいで、ジェニーは少し笑ってしまう。甘えるような目を向けてくるカミーユを、ついいじめたくなってしまう。
「カミーユ、寂しい?」
「すごく。ジェニーは?」
「平気」
「……泣こうかな」
「ねえ、狼型になって。しばらく会えなくなるなら触っておきたいわ」
「やだ。触るならこのまま触ってよ」
「もう」
と言いながら、ジェニーは手を出してカミーユの耳をよしよしと撫でる。カミーユは嬉しそうに目を細める。
「ジェニー、戻ってきたらデートしよう。今度こそ一緒に食べてよ、綿菓子」
「それは嫌」
「ええー……」
せっかく笑顔になったのに、カミーユはまた表情を曇らせる。だからどうしてそれをジェニーがやると思うのか、不思議でならない。
「ひどい。さっきからひどい」
どうやら本気で拗ねてしまったようだ。
ジェニーは考える。綿菓子は嫌だけど、本当の気持ちなら言ってもいいかも。
慣なれないから、恥ずかしくて困った顔になる。カミーユの瞳を覗きこむジェニーの頬はきっと赤くなっている。薄暗くて良かった。
「……本当は平気じゃないわ。すごく寂しい。できれば一秒だって離れたくない」
すると一瞬動きをとめたカミーユが、あっという間にジェニーを抱き寄せていた。
「可愛すぎて死ぬ……」
「……何それ」
「離れたくない。明日行きたくない」
ジェニーの肩に顔を埋めながら、また子供のようなことを言うから、ジェニーは苦笑する。だけど今度はいじわるは言わない。
「私だって、いつもカミーユが家にいたらいいのにって思う。前みたいに」
「分かった。ジェニーの犬の戻る」
ジェニーから顔を離してわりと真面目な顔でそう答えたカミーユに、ジェニーは少し慌てる。
「駄目。私、総統に怒られたくない」
そうするとまた深いため息をついて、カミーユはジェニーの肩に戻った。
仕方がないから後頭部を撫でてあげながら、ジェニーはこのところずっと考えていたことを口にする。
「……ねえ。つがいって、きっと、戻ってくる場所なのね」
すれ違う日々があっても、戻ってくる場所があるから頑張れる。そんな風に、これからも続いていけばいい。
するとカミーユが体を離し、そよ風のような微笑みを浮かべた。
「そうだね。この先何があっても、必ずジェニーの元へ戻ってくるよ」
たとえようもない幸福感に包まれて、ジェニーはカミーユの頬にそっと唇を寄せる。
「好きよ」
そうすると彼はとろけるような笑顔になった。狼型のカミーユは可愛いけれど、こんな笑顔はそれ以上に可愛くて仕方がない。そんな風に思ってしまうくらいには、ジェニーは彼に夢中なのだ。
カミーユがゆっくりと顔を寄せてくる。
目を閉じながらジェニーは、溢れるくらい愛のこもった言葉を受け取った。
「大好きだよ、ジェニー。俺の大切な宝物」
(THE END)




