もう一度
長く待ち遠しい日々は続き、それでも季節は移り変ってゆく。
薄暗かった街が次第に明るくなり、日中は凍てつくような寒さも緩む時節になった。
カミーユと別れてから、二度目の春がやってこようとしている。
首都テスタリオにある、獣人が多く集う街路の一角で、いざこざが起きた。
人と獣人が揉めていると報告を受けて、近くを巡回していたジェニーとナタンが急行する。
睨み合う双方に、ジェニーが最大出力でつくりあげた無数の光球を辺り一帯に浮かべれば、彼らは逃げることも諦めて投降した。
応援に集まったナイツの隊員たちに大方は素直に従っていたが、中には最後まで悪態をつくものもいた。
「くそ! 許せねえ! あいつらが俺たちを馬鹿にしたんだ!」
取り押さえられながら唸っているのは、人狼の男だ。
暴れるので仕方がなく、ナタンが対獣人用の特別な枷を填めている。
「大人しくしなさい。話なら後で聞くわ」
真上から見下ろしてため息をついたジェニーに、人狼はぴくりと鼻を動かした。
「……何だ? あんた、何で匂いがするんだ?」
ジェニーは何を言われているのか分からず、怪訝に眉を寄せる。
すると枷を填め終えて立ちあがったナタンが、ジェニーにだけ聞こえるように囁いた。
「カミーユさんの、でしょう」
「…………」
カミーユと離れて、もう二年が経とうとしている。今になってそんな風に言われるなんて、正直思いもしなかった。獣人にだけわかるというつがい。こんなところで意識させられるなんて。
地に伏していた人狼は上体を起こすと、理解できないようにジェニーを見つめていた。
ジェニーは膝をつき、視線の高さを合わせて彼を見つめると、澱みのない声で答えた。
「何でって、もちろん愛しているからよ」
人狼は大きく目を見開く。信じられない様子でぽかんと口を開けていたが、やがて小さく掠れた声を漏らした。
「……本当に、つがいなのか?」
「そうよ」
「そんな、信じられない」
彼の当惑した顔つきを見て、ジェニーは小さく笑った。ジェニー自身だって、まだそれほど実感がないのだ。何しろカミーユとはつがいになってすぐ、遠く離れることになってしまったから。
「信じられないかもしれないけど、本当なの」
「……でも俺は。俺たちの仲間は、ひどい扱いを受けてばっかりだ」
訴えるような眼差しの中に、くやしさと悲しさの両方が滲んでいた。
ジェニーはいつかのカミーユの言葉を思い出していた。
憎しみや恨みといった感情は、精神を疲弊させる。できることならばどうか、そうせずに暮らしていって欲しい。そういうことをカミーユは言っていた。
今ジェニーの目の前にいる彼にとっても、同じことだ。
「信頼できる人にまだ出会っていないのは、とても残念なことだわ。でも、覚えておいて。人と獣人は、愛し合うことができるのよ。私が証拠。信じてもらえる?」
「…………」
急に大人しくなった人狼は、ジェニーの顔を見て請うように言った。
「話をしたい……」
「もちろん聞くわ」
そうして連行される人狼を見送りながら、ジェニーは安堵して息をついた。
が、隣に立つナタンの視線に気が付いて、ちょっと顔をしかめる。
「何よ」
「いえ。カミーユさんが聞けば、喜ぶだろうなと思いまして」
「…………」
愛している。はっきりとそう答えてしまった。
「……絶対に言わないでよ。調子に乗るから」
ジェニーが大真面目にそう言ったので、ナタンは彼らしく穏やかに笑った。
仕事を終えて家に戻る頃には、煙のように細かい雨が降り出していた。
雨の日にはいつも、外壁から張り出したバルコニーの下を確認してしまう。そこに誰もいないのを確かめてから、ジェニーはため息をついて家に入った。
食事を終え、しばらくお喋りを楽しんだメイベルを見送って、ジェニーはバスルームに向かう。
中に入って服を脱ぎかけたところで、ドアを蹴破るかのような勢いで、出ていったはずのメイベルが駆けこんできた。
心臓を上下させてジェニーは、焦って服をもう一度着る。
「――な、何!? どうしたの、帰ったんじゃなかったの?」
「お嬢様! そ、外に。外に!」
ジェニーは動きを止める。
玄関の方を指さしてあわあわと慌てるメイベルの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
目を見開いてジェニーはバスルームから飛び出した。
「お嬢様、良かった……」
メイベルの声を背中で聞いて、ジェニーは玄関まで急ぐ。
破裂しそうな心臓のまま外に出ると、そこには一匹の狼が行儀よく座っていた。
「カ――」
呼ぼうとしたが、言葉が詰まって音にならなかった。
すっかり薄汚れている狼は、犬のように、大きな尻尾をぱたぱたと左右に動かしている。狼って、尻尾振るんだ。そんなことが思い浮かんで、ジェニーは苦笑する。きっと泣き笑いのような表情になっていることだろう。
ジェニーは知っている。汚れてしまった毛並みは、洗ってやると灰色がかった美しい金色になることを。
傘も差さずに、ジェニーは狼の前まで歩み寄り、地面に膝をついた。
「……またそんなに濡れて。風邪引くわよ」
「ワァウ」
雨のお陰で、泣いているのは悟られずにすんだだろうか。そう思ったのだが、ぺろりと頬を舐められたので、きっと彼は気付いている。
ジェニーは腕を伸ばしてその体をそっと抱きしめる。愛おしそうに狼は、ジェニーの耳元に鼻を摺り寄せた。
「クゥン」
それは雨の冷たさを忘れるくらいの、優しいぬくもりだった。
「……おかえりなさい、カミーユ」
まもなく長かった冬が終わる。




