囚われの姫
クィールの北西部にある王立研究所に向かう。
数度入所したことがあるというカミーユの話によれば、出入り口は正門と非常時に開放される裏門の二カ所。
ジェニーは警備の少ない裏門を塞ぐことにした。面した道路にも人通りは殆どない。
カミーユには待機しておくよう言ったのだが、結局ついてきた。魔力無しでは危険だと言うジェニーに、内部の構造が分かるし、中に入ればアリアーヌの匂いを感知できると主張してカミーユは引かなかったのだ。最後には、ジェニーが折れた。
研究所の白い建物を目視する。できるだけ魔力を感知されないように、十分に離れた建物の影にジェニーたちは身を隠していた。
「エミリア、気を引いてくれない?」
「避けさせるためね。いいわ」
と、エミリアの周りに沢山の光の粒子が発生する。それが矢のように放たれて、裏門の警備兵たちの足元に勢い良く着弾した。
慌てた彼らが何かを感じ、顔を上げた時には、ジェニーがつくりあげた巨大な光球が建物に襲い掛かるところだった。
轟音とともに、出入り口が崩れ落ちる。続けざまに、ジェニーは無数の粒子を断続的に放って、裏門を含む広範囲を攻撃した。辺りには埃と細かな欠片が舞い上がり、視界が悪くなる。
その直後に、非常時を告げるベルがけたたましく響き渡っていた。
「ジェニー、すごいね……」
ジェニーの隣で息を呑んだカミーユを、ジェニーは見上げる。
「誰も埋まってない? 匂いで分かる?」
「ああ……。うん、ちゃんと逃げてるよ。大丈夫」
「そう。行くわよ」
短く言ってジェニーは場所を移す。正門に来れば、研究所から獣人たちが我先にと退避しているところだった。先ほどの爆破を、研究所への攻撃だと認識させることはできたようだ。
四人は人混みの中へ紛れ込んだ。ジェニーとエミリアは帽子を深く被っている。
流れとは逆方向へと進む。非常事態に慌てふためく人狼たちは、ジェニーとエミリアの匂いにも気を回すことができないようだ。元よりここにいるのは多くが研究者と事務員で、戦闘員は少ない。彼らも今は、爆破現場の確認と避難誘導に人員を割いているだろう。
「どっち?」
ジェニーが小声で聞けば、カミーユが鼻をすん、と動かした。
「こっちだ」
カミーユの誘導に従って、ジェニーたちは建物の奥へと進む。次第に逃げる獣人とすれ違うことも無くなっていった。
何度か角を折れて先へ進めば、廊下の途中から、建物の壁が漆喰の塗られていない剥き出しの石造りに変わった。いかにもという雰囲気になって更に先へ向かうと、最奥には鉄格子で塞がれた個室があった。
「アリアーヌ!」
カミーユの声にびくっと反応したのは、明り取りから入る光の下で、じっと座っていた可憐な少女だった。
こちらを向いたアリアーヌは、カミーユの姿を確かめてそのアメジスト色の瞳を大きく見開いた。ゆるく波打つ長いプラチナブロンドと、同じ色をした狼の耳。そのすぐ下には、着ているクラシカルなワンピースと同じローズピンクの長いリボンが結ばれている。
「カミーユ様!」
声を上げてアリアーヌは鉄格子に走り寄って両手でそこを掴んだ。
「アリアーヌ、大丈夫か?」
「死んでしまわれたと聞かされました。生きていらっしゃったのですね。良かった……」
「ああ、俺は大丈夫。君も無事で良かった。リュカも心配してる」
「リュカが? 本当ですか」
「ああ。君がここにいるはずだって教えてくれたのはリュカなんだ。君の魔力を感じるって」
「リュカ……」
アリアーヌは見る間に目をうるませ、頬を赤くした。
カミーユは鉄格子の鍵を強引に何とかしようとしていたが、頑丈で簡単には壊れそうにない。
「代わって」
ジェニーがカミーユの横に行くと、アリアーヌはびくりと体を震わせて、部屋の奥へ走り逃げる。
「人……?」
怯えるアリアーヌに、ジェニーは魔力を込めて錠前を破壊しながら、内心で少しショックを受けていた。そういえばユメル家は反国王派、つまり反共和国派なのだ。人を嫌うよう、怯えるように教わっていても不思議ではない。
「アリアーヌ、大丈夫だから。ここを出よう。時間がない、急いで」
開いた鉄格子から中に入って手を差し伸べたカミーユに、アリアーヌは躊躇いながらも従った。
「君を閉じ込めたのは誰? まさかユメル卿じゃないよね」
ジェニーとエミリアの姿を見ながらびくびくしているアリアーヌに、カミーユが尋ねる。
するとアリアーヌは驚いたように首を横に振った。
「いいえ、父ではありません。父は何も知らないと思います」
「じゃあ、誰が?」
眉根を寄せるカミーユに、アリアーヌは少し俯いた。
「私を閉じ込めたのは……。フランセット、です」
「……そうか」
ぎりっとカミーユは奥歯を噛んで、ジェニーたちに向き直った。
「ここの所長だ。俺の魔力を奪ったのも、きっと彼女だ」
「カミーユ様を呼び出す手紙や、国を出るという手紙を、書きなさいと脅されました。ごめんなさい。そうするしか、なくて……」
ぽたぽたと涙を流したアリアーヌの頭を、カミーユは優しく撫でる。
「大丈夫。分かってるから」
「……私も殺されると思いました。でも、フランセットは、私を殺すと父が悲しむから、そうはしないって。フランセットは父を、す、好きだって……。だから父のために研究を完成させるんだって言って。あの人の言ってることは、おかしいです」
言いながら遂に声を上げて泣き出してしまったアリアーヌが、可哀想でならなかった。
「とにかく、彼女を安全なところへ連れて行きましょう。ナタン、頼める?」
ジェニーが言うと、ナタンが頷く。
「ええ。いざという時には、抱えて飛べます」
「では先に逃げて」
「……隊長は大丈夫ですか」
ナタンの目に心配そうな光が宿り、ジェニーは苦笑した。
「誰に言ってるの?」
そうするとナタンも、小さな笑みをつくった。
「そうですね、失礼しました」
「行って」
「はい。アリアーヌさん、私が安全なところへお連れします」
手を差し伸べたナタンにアリアーヌが顔を上げると、カミーユも優しく彼女の背中を押す。
「ナタンだよ。リュカに会わせてくれるから、安心して」
こくんと頷いてナタンの手を取ったアリアーヌを抱き上げて、ナタンはすぐに来た道を戻っていった。
ナタンに任せれば安心だろう。ジェニーは、ひとつ問題が片付いたことにほっと息をつく。
だが問題はここからだ。フランセットという研究者を探さなければ。
「フランセットは、まだここを出てない」
不意にカミーユが言ったので、ジェニーは驚く。
「……何故分かるの」
「所長の研究室はこの下の階にある。分かる。俺の魔力がそこにある」
集中すれば、確かに階下に魔力が数人分あるのが分かる。自分の魔力だから、きっとカミーユは強く感じることができるのだ。
「オレニアと一緒にいるということね」
エミリアの言葉に、カミーユが強く頷いた。
「行こう」
カミーユがその方向へ踵を返し、ジェニーとエミリアが後に続いた。
途中、エミリアが不機嫌そうに言葉を吐き捨てた。
「それにしても、閉じ込めた彼女を置いたまま避難したのね。クズね」
見張りがいないのは助かったが、確かにエミリアの言う通りだった。
「本当に、無事で良かったわ……」
ジェニーはそう呟いてから、彼女の姿をもう一度思い出す。
「……彼女、可愛かったわね。絵に描いたような美少女だったわ」
「囚われのお姫様ってところね。王子様も、本当は自分で助け出したかったでしょうけど」
「連れてくるのはさすがにね。でも助け出せたのは、王子様のお陰」
するとカミーユがジェニーの方を振り返って、いたずらっぽく微笑んだ。
「もしもジェニーが捕まったら、俺が必ず助け出してあげるよ」
「……何なの、急に」
「ジェニーの王子様は俺」
「な、何を言ってるのよ」
困ったように僅かに頬を染めたジェニーに、隣のエミリアがふっと笑った。
「ジェニーが捕まる? ありえないわ。万が一捕まったとしても、大人しく待つわけがないじゃない」
「……うるさい、エミリア」
「ジェニー、お姫様抱っこしてあげようか?」
「狼型なって背中に乗せてあげたらいいんじゃない? 勇ましくて似合うわよ」
「もう、うるさい、二人とも!」




