すべてが終わったら
各々がソファや椅子に座ったところで、現況の説明を求められたリュカが、皆に向って口を開いた。
「兄さんは失踪したことになっています。アリアーヌを連れて」
「は!?」
カミーユが声を上げて椅子から立ちあがった。
「ちょっと待て。何て言った?」
「僕たちは、兄さんがアリアーヌを連れて逃げたと聞かさたんだ」
「…………」
一瞬言葉を失って、カミーユは真っ青になる。
「……アリアーヌが行方不明なのか?」
恐る恐る聞いたカミーユに、しかしリュカは首を横に振った。
「そういうことになっているけど、彼女はクィールにいる」
「何だそれ……」
と言いながら、カミーユは脱力したように椅子に腰を落とす。そして大きなため息をつく。
「……子供を誘拐したことになってるなんて」
頭を抱えたカミーユに、ソファに座ったジェニーは同情した。その隣で、エミリアがとどめを刺す。
「変態ね。社会的に抹殺すべき対象ね」
「…………」
顔も上げられないカミーユに、ナタンが微妙な顔をしてエミリアに言う。
「エミリアさん……。カミーユさんは笑えないみたいです」
「あらそう?」
「ともかく」
と、ジェニーは話を戻そうとリュカを見る。
「アリアーヌのこと、説明できる?」
すると心配そうにカミーユを見ていたリュカが、頷いて続けた。
「アリアーヌは、置き手紙を残していなくなりました。ユメル卿が兄さんとの婚約を認めないことを理由に、兄さんと一緒に国を出るという内容です。彼女のその手紙は、我が家にも証拠として突き付けられたので、僕も見ました。手紙の最後に、僕宛てのメッセージがあったんです」
リュカはその内容を諳んじた。
『あなたが私に伝えてくれた友情を忘れてはいません。どうか信じてください』
「……アリアーヌに伝えた友情って?」
顔を上げたカミーユがリュカに聞けば、リュカは僅かに頬を赤らめて、俯きながら答えた。
「友情と書いたのは多分、そうと分からないようにするためだと思う。つまり、その……。僕は少し前にアリアーヌに伝えたんだ。君はつがいだと思うって」
思わず皆、言葉を失った。いっそう顔を赤くするリュカは非常に可愛い。
「……初めて聞いた」
何故かショックを受けたような声色のカミーユに、リュカは恥ずかしそうに言う。
「言ってなかったから。だってアリアーヌだし、ユメル家の。そのうちにこんなことになるし」
「アリアーヌは何て?」
カミーユが聞けば、リュカは少し残念そうに首を横に振った。
「嬉しいけど、まだ分からないって。でも、待ってて欲しいって言われたんだ。その時がくれば、きっと分かるからって」
するとジェニーとエミリアのために、ナタンが説明を加えてくれた。
「つがいは、個人差がありますが、分かるようになるのは一般的に思春期と呼ばれる頃だと言われています。つまり第二次性徴期を迎え、体が生殖能力を備える時期です。リュカさんはつがいが分かるようになり、アリアーヌさんはこれからなのでしょう」
リュカの隣でカミーユが、すっと腕を伸ばした。よしよしとリュカの頭を撫でる。
「良かったな。つがいが分かるようになって、すぐ側で見つけられるなんて、奇跡みたいだ」
くすぐったそうにしながら、リュカは嬉しそうに頷いた。
「でも、彼女はどこに? そもそも捜索はされなかったの?」
心配になってジェニーが聞けば、カミーユの手がリュカから離れる。
再び真剣な顔になって、リュカは話を続けた。
「もちろん捜索されました。でも、手紙があったせいか捜索は広域に渡ってしまい、結局何の手がかりも掴めないままでした。僕は兄さんもアリアーヌも失踪なんてするわけがないって思ったから、はじめからごく近い範囲で二人の魔力や匂いを探しました。そして行きついたのが、王立研究所です」
「……俺が呼び出されたところだ。あそこは王立とはいえ、ほぼユメル家の息が掛かった研究者で占められてる」
カミーユがため息をついた。
「兄さんの手がかりはそこで途絶えてしまったけれど、アリアーヌはまだあそこにいます。そうと分からないように匂いはごまかされていますが、僕には魔力で分かります。つがいですから」
はっきりと言い切ったリュカだが、しかしすぐに肩を落として悔しそうに唇を噛む。
「だけどあそこに入る手段がどうしても見つからなくて。毎日何度も行って確かめているけど、下手に騒いで彼女がまたどこかへ連れて行かれるのも怖くて……」
「大丈夫」
ジェニーは励ますように力強い口調で言った。顔を上げたリュカに微笑みかける。
「ありがとう。あとは私たちが何とかするわ。彼女のことは必ず助けるから安心して」
「一人で良く調べたわ。有能ね。将来が楽しみだわ」
エミリアもそう言って彼を労った。もう一度カミーユに頭を撫でられていたリュカは、安堵したような笑みを見せた。
ジェニーはひとつ息をつくと、立ちあがった。
「そろそろ戻った方がいいわ。学校、抜け出してきたんでしょう? 送っていくわ。ナタン、悪いけどもう一度上からお願い」
「はい」
カミーユにもう一度抱きついてしばしの別れを言った後、リュカはジェニーについて階下まで降りる。そのままジェニーが外に出ようとすると、リュカの声がそれを止めた。
「ここで結構です」
「大通りまで送るわ」
「いえ、大丈夫です。ナタンさんが見てくれていますし」
「……そう。じゃあ気をつけて。カミーユのことはくれぐれも内密にね」
「分かっています。どうかアリアーヌのことを、お願いします」
もう一度丁寧に頭を下げてから、顔を上げたリュカは、くん、と鼻で匂うしぐさをした。
「あの……。ジェニーさんは兄さんのつがい、ではない、ですよね?」
不思議そうな顔をするリュカに、ジェニーはどきりとする。そういえば人狼は鼻が利くと言っていた。
「匂い、よね? この国で目立ちすぎないように、カミーユから血を分けて貰ったの」
「ああ、それで……。すみません。兄さんの匂いがするけれど、つがいの匂いではなさそうでしたし、不思議で」
つがいではないけれど、つがいになって欲しいとは言われていると、話した方がいいのだろうか。ジェニーは内心でうろたえていた。
「あの、ジェニーさん」
「……何?」
「つがいではないんですよね?」
「そう、ね」
とりあえずそう答えてしまい、でも、と口を開きかけたところで、ジェニーは言葉を飲み込んだ。
「安心しました」
ほっとしたような顔で、リュカがそう言ったからだ。
「あなたがつがいなら、兄さんはもしかしてまたパラディーを出て、僕の側からいなくなるかもしれないって心配になりました」
「…………」
「もう、離れたくないんです」
リュカの心情は、とても良く理解できた。従兄弟同士とはいえ、カミーユもリュカを実の弟のように思っていると言っていたし、リュカがカミーユを慕っていることは、さっきの姿で十分すぎるほど伝わった。
「あっ……。すみません、突然こんなことを言って」
はっとしてそう言ったリュカに、ジェニーは微笑みをつくる。
「……いいえ。カミーユのこと、好きなのね」
「はい」
はにかんだ笑みは、やはりまだ幼い。
「気をつけて帰ってね」
「はい。何かあったら知らせてください」
ジェニーは走りだしたリュカの姿を手を振って見送りながら、ぼんやりと考える。
カミーユは言ってくれた。ジェニーのためなら、全てを捨てられると。その言葉が持つ意味を、良く分かっていなかったのだと思い知る。
あの子に辛い思いはさせたくない。彼はまだ子供だ。
ならば離れることになるのは、ジェニーの方だ。
そう考えたら、胸の奥底に針が突き刺さったかのような、ずきんとした痛みを感じた。




