苛々している
日付が変わって、早朝。ジェニーはカミーユと一緒にナイツ本部へ向かう。
正門前には、既にナタンとエミリアの姿があった。
「おはようございます、隊長」
「おはよう、ナタン。エミリアも」
「おはよう。……それで、そこの人狼は何を固まっているのかしら?」
出発に備えて、ナタンが軍用車を待機させていた。エミリアに言われてジェニーが振り返ると、カミーユは目を見開いて立ちつくしていた。
「何? カミーユ」
「……もしかして、これで行く?」
「これ? ああ、車? そうよ。予定では九時間から十時間ね。乗り心地は良くないから覚悟して」
「九時間って……。俺、ここに来るまで五日も掛かった」
「自動車は、パラディーではまだ普及していませんね」
唖然とするカミーユにナタンが声を掛けると、カミーユは何とも言えない顔をして頷く。
「話には聞いたことあったけど、こんなに普通に乗れるとは思ってなかった」
それにエミリアが冷静に付け加える。
「普通ではないわね。軍のものだから。この国でも普及率は高くないわよ。個人で所有しているのはここでは本部長くらいかしら」
それでも、とカミーユは嘆息する。
「こういうのを見ると、改めて人の文明の力を思い知るな……」
「同感です。学ぶべきところが多いですね」
ナタンが答えながら、後部座席の扉を開けた。ジェニーは乗り込み、中からカミーユを手招きした。
運転はナタンだ。助手席にはエミリアを乗せて出発した。
「でも、これでパラディーに入るのは流石に目立ちすぎる」
「そうね。だから街道の最後で、車を置いて馬車に乗り変えるわ」
発車直後、やや心配そうな面持ちで言ったカミーユに、ジェニーはそう答えた。
北へ続く街道の終点には、リネーレ共和国最北の街、フォンテがある。国境まであと僅かという位置にあることから、軍の基地も設置されている。
フォンテは緑豊かな丘陵地帯にあり、アヴェリア山脈を眼前に望む美しい街だ。
街道の途中で休憩と燃料補給を挟みながら、車はフォンテへ向かう。
その道中で、エミリアの質問にカミーユが答えるという形で、ジェニーはまだ知らなかったカミーユの事情を知ることになった。魔力を奪われた際に、騙されて捕らわれたという、その詳しい経緯についてだ。
親共和国路線をとる国王派のヴィルシェーズ家は、国王の希望もあって、反国王派のユメル家との縁談を検討していたのだという。国王は膠着した分裂状態を解決させるため、様々な手を模索していた。
ユメル家の三女と、国王派の貴族を婚約させるという話が出た時、候補に挙がったのがヴィルシェーズ家のカミーユだったというわけだ。
その話が纏まるより先に、当のユメル家の三女からカミーユのところへ使者が来た。この婚約の件で、相談がしたいと。
「で、呼び出された場所に行ってみたら、彼女はいなかった。その後は話した通り」
魔力を奪われ埋められたことを思い出したのか、カミーユは嫌な顔をした。
エミリアは振り返って、信じられないというように眉を潜める。
「呼び出されたからってどうして素直に行ったの? 政敵なんでしょう?」
「家同士はそうなんだけど、アリアーヌのことは良く知ってたから。弟と年が近くて、学校が一緒でさ」
「弟?」
「正確には従兄弟だね。伯父の子供」
ジェニーはその話を、車に酔ったからと無言で聞いていた。
フォンテに到着したのは、予定より時間が掛かり、日没の前だった。軍の基地に入ると、各々宿舎へと案内される。
安全のため、ナタンとカミーユ、ジェニーとエミリアでそれぞれ一部屋ずつを使うことにした。獣人が基地内に入るのは初めてだということで、空気が妙にざわついていた。
荷物を下ろしてエミリアと別れると、ジェニーは用意して貰った馬車の確認に向かう。フォンテ基地の人間を信用していないわけではないが、念の為を怠らないのがジェニーの習慣だ。
馬車に不備がないか、一人で黙々と調べていると、背後に気配を感じてジェニーは振り返った。
「やあ、ブラックウッド」
「……どうも」
一人の男性がジェニーの前まで歩いてきていた。
見つめながらジェニーは、内心で誰だろうと考える。ジェニーと同世代だろうが、良く分からない。
「入隊後二年でナイツの隊長になったんだってな。同期で一番早い出世だ」
同期、といわれてジェニーは思い当たる。二年前に共に入隊した一人だということだろう。
だがジェニーはそう言われても彼が誰なのかを思い出すことはできなかった。その時入隊した隊員は、軍全体で百人はいる。せめてナイツの人間なら覚えていただろうが。
「でも、隊員が貰えなくて獣人を押し付けられているらしいな」
何を勘違いしているのか、男の物言いに、ジェニーはむっとした。
「ナタンには私が希望して来てもらったのよ。それに、隊員が貰えないわけじゃない。私の隊には、私とナタンで十分なの。口ばかりで役に立たない隊員なら、いないほうがまし」
長い時間車に揺られたせいか、ジェニーは疲れていて機嫌が悪かった。棘のある言い方になってしまった自覚はあった。
ジェニーの言葉に、男は真顔になった。ややして、表情がきつくなる。
「相変わらずだな。訓練の時もそうだった。君は他人と連携できない。だから獣人を選んだわけか」
「…………」
苛立ちを募らせて、ジェニーは心底冷たい眼差しを男に返す。
「そうね、反論はしないわ。だから私はあなたの顔も名前も覚えていないのよ。あなた、誰?」
男は一度大きく目を見開くと、チッと大きく舌打ちをして身を翻して去っていった。
一人になって、ジェニーは手に持っていた整備用の古布を床に叩きつけた。それから自分を落ち着かせるように、何度も深呼吸をする。
連携できなくて、いつも一人だったのは、今に始まったことじゃない。
連携できないわけじゃない、する必要がなかっただけだ。大抵の訓練はジェニーひとりの魔力があればクリアできた。
というのは、自分への言い訳だ。それで良いわけがないことくらい、自分が一番良く分かっている。どうにかしようという焦りはずっとあった。それがなかなか上手くいかない。
「――ほんと、最低」
ジェニーは思わず呟いていた。他でもない、自分自身に対してだ。
嫌味に嫌味を返せばどんな結果になるかくらい想像できたはずだ。うまくかわせば、いらぬ反感を買うこともないのに、本当に馬鹿だ。
分かっていたつもりなのに、そうできないくらいにはジェニーは苛々していた。そしてそういう自分の馬鹿さ加減がつくづく嫌になった。
腹の中にもやもやしたものを抱えながらも、ジェニーは馬車の確認を終えて部屋に戻ろうとした。
その途中、廊下の向こう側にカミーユの姿を見つけて、ジェニーは思わず回れ右をする。
小走りになって、進路など考えずに滅茶苦茶に進んでいると、やがて道は行き止まりになった。
仕方がなくジェニーは振り返り、視線を厳しくした。
「何で追いかけるのよ」
ジェニーの後を追って、すぐそこまできていたカミーユが、理解できないような表情をした。
「いや、ジェニーこそ何で逃げるわけ?」
「追いかけるから」
「逃げるから」
「…………」
ジェニーは大きく息をついた。本当に、馬鹿みたいだ。
するとカミーユが、小さく首をかしげながら、ジェニーを覗きこんでくる。心配そうな、不安そうな目をしながら。
「ジェニー、怒ってる? まともに目合わせてくれないけど、何で」
「……さっき馬車の確認に行ったら、すごく腹が立つことがあって。だから苛々してるの」
「俺と目を合わせないのはその前から」
「…………」
逃げ場を失くして、もうジェニーは自分で自分を止めることができなかった。
ジェニーは眉間の皺を深くして、険を含んだ声で言った。
「……聞いてない」
「何を?」
「婚約者がいたなんて、聞いてない」
「婚約者なんて、いないけど」
「そういう話が出たって言ったじゃない。アリアーヌって子と。親しかったんでしょう?」
胸の中にわだかまっていた思いが、噴き出してしまった。
カミーユは驚いたように少しの間沈黙する。
居心地の悪い空気に思わずジェニーが視線を逸らして俯くと、ややしてカミーユが言った。
「……ジェニー、もしかしてだけど、妬いてくれてる?」
驚いてジェニーは顔を上げる。
だがその言葉の意味を理解して、ジェニーは金縛りにあったように動きを止めた。




