街へ
前回、予約投稿に失敗し、早い時間に公開されていたようです。大変失礼いたしました。
翌日から早速お休みをいただき、私は4か月ぶりに街へ出た。
イエーガー方伯領は帝国の北方一帯。その中でも国境が近いレーレハウゼンは、隣国との貿易の拠点であることもあり、商業が盛んな都市だ。
私の生まれ育った家も、農業地帯とは少し離れた、多くの店が立ち並ぶ街の中にある。
城内はいつも静かで厳格な雰囲気があり、とりわけ塔の中ではヨハン様以外と話すこともない生活だったため、道行く人々の声でにぎわう街はどこか新鮮に思えた。これから家に確かめにいく内容は不安に満ちたものであるにもかかわらず、街の明るい雰囲気につられて少し緊張がほぐれていく。
立ち並ぶ店が扱う品は様々だ。パンや酒、鋳物、金物、服、靴……皮革製品を扱う店もある。今まで意識して見たことがなかったが、ヨハン様は毛皮は商人にわたるまでに間に入る者が多いとおっしゃっていた。それは皮革も同様だろう。ヤープのあまりにも貧しい身なりに反して、皮革店の店主はある程度余裕のありそうな身なりをしている。こうして製品として店頭に並ぶ品々は、ヤープが皮を売った時からどのくらい値段が変わっているものなのだろうか。
しばらく歩くと、人々の興奮した声が聞こえてきた。
「おーい、あっちで歯抜きらしいぞ!」
「ハンスのとこの倅が抜くんだってよ!」
歯抜き、つまり抜歯を行う大道芸だ。庶民の数少ない娯楽である大道芸の中でも、派手な芸である歯抜きは人気が高い。
「歯抜きだ! 歯抜きだ!」
大人たちの掛け声を聞いてか、裏道から浮浪児たちも飛び出してきた。普段は多くの商人と一部の農民しか目に入らない大通りだが、大道芸という大きなイベントがあると、私が普段通らない街の裏側で生活する人々の存在が見えてくる。
道すがら人だかりにぶつかったので、隙間から少し覗いてみると、貴族のような派手な装束に身を包み、化粧を施した、異様な風体の男が見えた。
「お集まりのみなみなさまぁー! 本日は帝国一、いや世界一の歯抜き師、このオイレの歯抜きをとくとご覧あれぇー!」
その小太りの男は体形に似合わぬ軽快な足取りで踊り、始まりの口上を述べている。今回抜かれるのは隣の椅子に座っている青年らしい。
梟と名乗った歯抜き師は、伴った楽士によって打ち鳴らされる太鼓と息を合わせて、半分歌うように場を盛り上げている。
「さぁさぁオイレが始めるよ 私は梟、昼間のフクロウ 抜かれる人がヒィヒィ鳴けば、抜いてる梟はホゥと鳴く ホゥホゥ鳴けば見に来るアホゥ、あなたも私もみんなが阿呆」
どんどんどん、と拍子をとる太鼓に、観衆の手拍子と笑い声が加わっていく。
歯抜き師は満面の笑みで、縞模様の頭巾から鉗子のようなものを取り出すと、右手の指にひっかけてくるくると回し、左手は袖口から派手な水玉柄の布を取り出して器用に若者の首に巻いた。
「阿呆になれば怖くない 阿呆になれば痛くない」
布を巻かれた青年は自分から頼んだだけに何も言えないだろうが、これから歯を抜かれる恐怖と衆目に晒される恥ずかしさで涙を浮かべているようだった。その様子に気づいた浮浪児たちが、馬鹿にするように指さしてけらけらと笑う。
歯抜きとはこういうものだと知ってはいるが、改めて間近で見るとなかなか趣味の悪い見世物だ。
「おやまぁおやまぁお兄さん あんたまだまだ賢いままかい あんたが阿呆になれないならば、勇者になるのはどうだろぉ 歯を抜くときのあんたの声が、太鼓の音より大きけりゃ、泣き虫弱虫葉っぱ虫ぃ」
歯抜き師の口上に合わせ、楽士がどんどんと青年を煽るように顔の周りで太鼓を打ち鳴らすと、青年はさすがに覚悟を決めたようだった。
「さぁさぁオイレが始めるよ 準備はいいかいお兄さん それ、ホーゥホーゥホーゥ!」
梟の鳴きまねとともに鉗子を口の中に入れると、観衆はお約束とばかりに一緒にホゥホゥと鳴く。どうやらこの辺では有名な歯抜き師のようだ。この時ばかりはさすがに真剣な目で、口の中の鉗子を操っている。
ただ、太鼓の音でかき消されてはいるが、やはり青年はかなりの声で泣き叫んでいるようだった。
歯抜きが終わると、歯抜き師は青年の口に脂の塊のようなものを塗りこみ、首に巻いていた布で小さな冠を作って頭の上に乗せた。
「歯抜きの悲鳴は聞こえなかった! さすが勇敢なお兄さん いやいやそれとももしかして、オイレの歯抜きが上手すぎたぁー 」
あたりが歓声に包まれると、彼は大仰なしぐさでお辞儀をし、歯抜きの芸は終了したようだ。思わずしばらく見入ってしまっていたが、早く家に戻って父の生死を確かめないといけない。
私が人だかりを離れようとしたとき、ふと、壇上の歯抜き師と目が合った。
私を見てにっこりと笑った彼は、小さく唇を動かす。それを見た時、私は周囲の音が遠くなったように感じた。
――声は聞こえなかったが、彼は確かにこう言っていたのだ。「気をつけて」と。
中世ヨーロッパでは、歯科医は大道医と呼ばれる大道芸人の一種だったそうです。それにしても、こういう口上っていざ書くとなると難しいですね。




