第九十話 まさかの敗北
「シカだ!シカが出たぞ!」
「作物を守れ!身体を盾にして守るんだ!!」
明け方、そんな声を聞いて目が覚めた。俺はあわてて部屋を飛び出す。すると、シカの所に向かう兵士たちを見つけ、すぐさまその後を追う。城の外に出てみると、そこには予想だにしなかった光景が飛び込んできた。
結界を張ったはずの畑にシカが入り込み、作物を食い荒らしていた。兵士たちは、まだ食われていない作物の上に覆いかぶさり、シカから食物を守ろうとする。しかし、シカたちはそんな兵士たちを軽々と放り投げ、作物を食い荒らしていく。
何より、俺の結界が問題だ。人間以外の生物が入り込めないように結界を張っていたにもかかわらず、そこに数十頭のシカがやすやすと入り込んでいる。結界自体は破られたわけではなく、そのままだ。一体なぜ?俺の頭は混乱する。落ち着け、落ち着いて考えるんだ。
「終わりだ・・・この国は終わりだ・・・」
そんな兵士のつぶやきを聞いて我に返る。見ると、作物を食いつくしたシカたちがそれだけに飽き足らず、食い散らかした作物の残骸や葉っぱなども食いつくそうとしている。そして、瞬く間に畑は、土だけの大地になった。
呆然と見ている俺たちを尻目にシカたちは、高い城壁をいとも簡単に乗り越えて、森に向かって移動し始めた。途中俺の結界の境界部分に差し掛かった時、シカたちから稲光にも似た光が放たれ、そのまま結界の外に出ていった。よく見ると、群れの先頭には小鹿がおり、自分の何倍もの大きさを持つシカたちを森に誘導していた。
「そんな・・・こんなことが・・・」
後ろからそんな声がする。振り返って見てみると、城のバルコニーにコンシディー公女が、畑を見て立ち尽くしていた。俺の視線に気づいた公女は、俺に一瞥をくれて、すぐにその場を後にした。
「侯爵様、どうぞ、お部屋にお戻りください」
後を追いかけてきたと思われる侍女に促され、俺は部屋に帰った。
「ご主人の結界が破られたのでありますかー」
「うそでしょう?私が閉じ込められたとき、どうやっても出られなかったあの結界が、シカごときに破られたんですか?」
部屋に戻って報告すると、全員がひっくり返った。俺も、慢心していたわけではないが、自分の結界については自信があった。まさかシカに結界を越えられるとは、思いもよらなかった。
「俺の結界でもダメとなると、本当にシカを間引く以外、方法がないな」
「リノスさん、任せてください。私がシカをまとめて倒します」
フェリスはいつも元気だ。確かに、ドラゴンの力をもってすれば、シカの間引きは簡単にできるだろう。そんなことを考えていると、ユーリー宰相が現れた。
「侯爵殿、すまないがすぐに私と一緒に来ていただきたい」
「どうされたのですか?」
「王が倒れられたのです」
「えっ?」
「先ほど朝食を取られた後、立ち上がろうとしてそのまま転倒し、左腕を骨折されたのです。それだけならばよかったのですが、体中の痛みを訴えておられます。侯爵殿の結界の中でも症状が全く改善せず、むしろ悪化しているような気がするのです。申し訳ありませんが、王の結界を一度解除して欲しいのです」
「わ、わかりました」
今度は王様が倒れてしまった。毒物などは完全に遮断する結界を張ったにもかかわらず、だ。一体この国では何が起こっているのか?全く思考が追い付かない。
ユーリー宰相に連れられるまま、俺は王の寝室に向かう。部屋の中でドワーフ王はすでに治癒魔術師により回復魔法が施されて、ベッドに横たわっていた。俺は促されるまま、ドワーフ王に張った結界を解除する。
「私が不甲斐ないばっかりに・・・本当に申し訳ありません」
「バーサーム侯爵か。いや、貴殿のせいではない。儂の寿命だよ」
「城内の畑の作物も皆シカに・・・」
「それも聞いた。相手は神の使いだ。貴殿の結界が破られるのも仕方があるまい」
「ドワーフ王、私はやはりシカを討伐するべきだと思います。このままではニザ公国は崩壊します。私に、シカの討伐をやらせてください」
「シカを討伐することはならぬ」
ドワーフ王は力なく首を振る。
「国王様、なぜシカ討伐に反対されます!我々ドワーフには古よりシカを傷つけてはならぬという掟があるのはわかります。しかし今は非常時です。我々ドワーフが無理であるならば、バーサーム侯爵にお任せすればよいではありませぬか!それでしたら、ドワーフがシカを傷つけたことにはなりますまい!」
ユーリー宰相の必死の説得にもかかわらず、王は頑として首を縦に振らず、シカを討伐することはならぬ、の一点張りだ。
「国王様は・・・この国を亡ぼすおつもりか・・・」
「国を亡ぼすつもりは毛頭ない。おそらく、シカの大量発生は、鹿神様の儂への天罰なのだ。儂は優れた武器や防具を生み出し、それで商いをすることで財を成してきた。儂はそれに執着しすぎたのだ。確かに国は豊かになった。しかし、ドワーフとして忘れてはならぬ心を忘れておったのだ。今の惨状は、その報いなのだろう」
「ドワーフとして忘れてはならぬ心とは、何でございますか!」
「世のため、人のためになるものを作り、そのために技術を研磨していく心だ」
「国王様!お言葉ではございますが、この国に生きているドワーフは皆、おのれの技術を研磨することに生涯を賭けております!優れた武器や防具を生み出すことの何が悪いのです!魔物から身を守れたでありませんか!敵の襲来を食い止められたではありませんか!」
「果たしてそれが、世の人のためになったのであろうか?我らが作りし武器で傷ついたものも多くいるのではないか?・・・まあよい。儂の命もそう長くはないだろう。儂亡きあと、鹿神様はきっとこの国を、元の大地に戻してくださるだろう。本来は儂が死んでお詫びせねばならぬのだが、あいにく死ぬための力すら儂にはない。皆の者、儂の命が尽きるまで、待つのじゃ。待つのじゃ・・・」
「国王様!」
いたたまれなくなった俺は、ドワーフ王の寝室を後にした。国王は頑としてシカ討伐の許可は出さないだろう。そうなれば俺は何ができるだろうか?そんなことを考えながら部屋に帰る。
部屋には既に、俺たちのための朝食が並べられていた。皆、俺の帰りを待っていたようで、料理には全く手を付けていなかった。俺は皆に朝食をとるよう促し、俺も食べることにした。
すっかり冷え切ったスープ、固くなったパン、水気がとびつつあるサラダ、一つ一つの料理が不甲斐ない俺への罰のような気がする。そんな気分が滅入った中ではなかなか食事は喉を通らず、用意された食事の半分以上を残してしまうことになった。
しばらくすると、ユーリー宰相がレコルナイ博士を伴って俺の部屋にやってきた。
「すみません・・・私の力が及ばずに・・・」
「バーサーム侯爵が謝る必要はありません。侯爵の結界ではシカを止められぬ、この事実が分かっただけでも良かったのです。選択肢の一つが消えました。あとは残された選択肢を選んで実践してみるのみです。そしてそれがダメなら、また新たな策を考えればよいのです」
宰相を差し置いて、レコルナイはフードの中から饒舌に喋っている。
「博士の言うとおりだ。我々は、我々のできることをやる、それだけだ」
「何をなさるおつもりですか?」
「シカを討伐する」
「しかし、先ほど王様は討伐はしないと」
「そうですな。確かに仰られました。しかし、こう申しては何ですが・・・。国王様は、ドワーフ王のみが許されるオリハルコンの錬金を行うことは最早出来ません。あの重い黒鋼鉄の金槌を振るうことはできない身体になってしまわれた。したがって、王としての資格がないお方と言ってもよいでしょう。そこで、次期国王であらせられるご子息のガルトー様から、シカ討伐の御命令を発令していただきます」
「それで、私にシカ討伐に加われと?」
「いえ、侯爵様には、国王様から直々の要請を言付かっておりますので、それを伝えに来ました」
「直々の要請?」
「急ぎ、ヒーデータ帝国に帰還され、公国の惨状を皇帝陛下にお伝えいただき、その上で、救援物資の増援をお願いしていただきたい、とのことです」
「バーサーム侯爵が帰還されている間に、我々は公国の農地を回復させる。必ずやってみせます。そして、侯爵が再び公国を訪れる頃には、新たな作物が芽吹いている光景をご覧に入れてみせます」
レコルナイが胸を張る。俺はレコルナイの自信に満ちた態度より、何としても国民を救うという王の強い意志を感じ、そこに心を動かされていた。
「・・・皇帝陛下への救援物資の要請、承知しました」
「出発は、明日の朝にされるがよろしいでしょう。コンシディー様が貴殿を警護なされると仰せですから」
「コンシディー公女ですか?理由をお聞きしても?」
「シカ討伐の隊長にコンシディー様が任命され、明日の朝が出発なのです」
「なぜ女性のコンシディー公女が任命されるのです?」
「実はガルトー様も国王様と同じ病で臥せっておられるのです。しかし、国王様ほどひどくはなく、普段の生活には支障はありません。しかし、出陣となると話は別です。お体に障ってはなりませんので」
「しかし、女性が隊長というのは、その・・・大丈夫なのでしょうか?」
「コンシディー様はああ見えて、魔法が大変お得意なのです。討伐軍は、公国内にいる冒険者が中心の部隊となります。彼らは剣に覚えのある者が多く、コンシディー様の魔法と冒険者の剣、これがあれば討伐も速やかに進むでしょう。公国との国境付近までですが、コンシディー様の部隊に警護いただければ、貴殿も安全に帝国に帰れるでしょう」
「・・・お心遣い、感謝します」
「今宵はゆるりとお過ごしください」
「明日の出立に際しては、私の部下も同行いたします。回復魔法に優れた者で、きっとコンシディー様のお役に立つでしょう」
「さすがは博士、やはり頼りになります」
本音を言うと、今すぐにでも帝国の屋敷に帰りたかったが、俺自身に負い目があるのか、何故か今すぐ帰るとは言い出せなかった。仕方なく、今宵一夜をニザ公国で過ごすことにする。そして俺は屋敷に転移し、リコたちに事の顛末を話した。
「そうですの・・・。それは大変でしたね」
「ご主人様の結界を通り抜けるシカというのは不思議ですね。なぜシカが暴食に走っているのか、許されるのならば、一度ニザ公国に行ってみたいです」
「シカのこと、私も大学の図書館で調べてみますね」
「ごしゅじんさまーはやくかえってきてくださいねー」
この屋敷のダイニングは本当に落ち着く。何より、俺が帰ってくると聞いて、みんなホッとしたような表情をしたのが、何故かうれしかった。ずっとここに居たいと思うが、しかし、名残惜しくはあるけれど、俺はリコたちが用意してくれた夕食を抱えて、ニザに帰った。
夜、ベッドに入っても俺は寝付けなかった。なぜ俺の結界がシカにも、王にも効果を発揮しなかったのか、という疑問は当然ある。しかしそれよりも、ドワーフ王の決死の覚悟にも似た、悲壮な決意に対して何かしてあげられることはないだろうか。そんなことを考えてしまう。
色々なことを考えすぎたせいか、久しぶりに俺は眠れぬ夜を過ごした。




