第二百九十四話 避難
帝様は目を閉じてじっと俯いたまま、微動だにしない。この人のことだ。きっと頭の中でいろんなことを考えているのだろう。これはしばらく時間がかかりそうだなと思っていたそのとき、帝様がスッと顔を上げた。
「アガルタ王殿」
「はい」
「すまぬが……我が国の民を……助けてやって給もらぬか……」
「喜んで」
俺のその言葉に、帝様は寂しそうな表情を浮かべて、ゆっくりと頷いた。
「……すまぬ」
「お気になさらないでください。生きていればいいのです。生きていれば、何度でもやり直せます」
そこまで言うと俺は、チワンに視線を向け、彼に念話を飛ばす。
『チワン』
『はい、どうされました?』
『聞いた通りだ。この国の民をアガルタに移住させる』
『はい。我々ポーセハイを総動員します』
『いや、俺の転移結界を使う』
『それでは……秘密が……』
『いや、俺に考えがある。ドーキの店に居るポーセハイたちだけで十分だ。あとで指示を出す。俺からの念話での指示があることを、すまないがローニたちに伝えてくれないか』
『わかりました。念話を飛ばします』
見つめ合っている俺とチワンの様子を、帝様たちが不思議そうな顔をして眺めている。俺はコホンと咳払いをして、再び帝様に向き直る。
「帝様、アガルタへの移動はなるべく早い方がよいでしょう」
「うむ。道理じゃ。イッカク」
「これに」
「国の民に総触れを出しゃ。明日の日の出……というても分からぬの。なるべく早く、この国に住まう者全員をこの御所に……」
「お待ちください!」
突然ショゲツが帝様の言葉を遮る。
「ご無礼の段、ご容赦くださいませ。国の民を集めるのは、アテら町衆にお任せください。町ごとにすぐに集めますさかいに、ドーキはん、あんさんらポーセハイが町ごとに転移させてくれたらええのどす」
「しかしそれでは……」
「名案」
訝る帝様にイッカクが重々しく口を開いている。
「兄上もそない言うてはりますさかいに!」
「兄上ぇ!?」
「ああ、リノスはんが知らんのも無理はおへんな。アテとイッカクは兄妹どす」
ホホホホとショゲツは高らかに笑うが、イッカクは眉間に皺を寄せ、不愉快そうな雰囲気を醸し出している。
「彼の者、妹に非ず」
「え?」
「勘当せし者故」
「勘当?」
「口数多し」
まあ確かに、このオバサンはよくしゃべる。勘当に至るまでには色々な紆余曲折があったことは容易に想像がつくが……。俺はオホンと咳払いをして、帝様に向かって口を開く。
「ショゲツさんの言う通り、各町衆に人を集めてもらいましょう。そうだな……チワン、町ごとにポーセハイを一人ずつ配置しようか。それで、準備が整ったら念話を飛ばしてくれ」
「わかりました。各町の場所はわかりませんので……ドーキ、案内できるか?」
「はい。大丈夫です」
「では、ドーキの店に戻ろうか。あそこを拠点に、君のMPをチャージしながら、ポーセハイを送り込んでいこう」
「わかりました」
「ちょっと待っておくれやす」
「どうしました、ショゲツさん?」
「先に……帝様と皇后さまを避難させておくれやす」
「ああ、そうですね」
帝様に先に結界村に避難してもらおうと言おうとしたが、彼はゆっくり首を振った。
「マロは、最後でよい。この国の最後の民が転移するまで、見届ける義務がある」
「そんな、帝様……」
「ショゲツ、お主の心遣い、マロはうれしく思うぞよ。その気持ちだけで十分じゃ。十分じゃ……」
そして彼はクルリと踵を返し、皇后さまの側に行き、再び彼女の手を握る。
「オクよ、怖いであろうが、しばらく辛抱してくりゃ。マロもそなたの側にいるによって……の」
皇后さまは帝様の眼をじっと見ながら、ゆっくりと頷いた。
それがまるで合図であるかのように、俺たちは素早く行動に移った。
ミーダイ国の町衆の動きは実に素晴らしかった。各町に配置したポーセハイたちを通じて結界村の状況を把握した彼らは、まずは身の回りの貴重品だけを持って集まるよう町人たちに指示を出したのだ。その際彼らは、結界村に避難した後も、可能な限りポーセハイの転移を使ってこの国に戻り、必要な荷物を取りに来られるようにするよう、チワンたちに交渉することも忘れなかった。
お蔭で、ものの数時間も立たないうちに町人たちの避難準備は完了し、俺はチワンたち数人のポーセハイを伴って各町に転移していく。そこには数百に及ぶ人々が集まっており、俺はチワンたちと人々を囲むようにして立ち、彼らを転移させた。建前として、複数のポーセハイがあつまれば、これだけの人数を転移させることができるということにしたのだ。とはいえ、後で数百人の人間を転移させてくれと言われることのないように、このスキルは相当のMPを消費するので、余程の緊急時でなければできないことだとも説明しておいた。
予想以上の速さで民衆たちの転移は終わり、俺は一旦アガルタの都に転移し、フェリスたちに事情を説明して救援物資をまとめるように指示を出した。そしてすぐにミーダイ国に取って返し、チワンたちと合流し、再び帝様の許に転移した。しかし、奥殿には帝様の姿は見えず、皇后さまとキュアライト、そしてターマがいるのみだった。
「あれ、帝様は……?」
「大広間に」
「ここには、三人だけか?」
キュアライトはコクリと頷き、ゆっくりと口を開く。
「他は、大広間にて、貴族の引見」
「なるほどな。それで皇后さまには腕の立つキュアライトを置いたのか。さすがだな。では、皇后さまも帝様の許に参りましょう」
俺たちは皇后さまを伴って、ゆっくりと大広間まで移動する。そして、部屋の扉を開けるとそこには、帝様や皇后さまと同じような顔立ちをした人々が、立錐の余地なく犇めいていた。さらには、下女たちだろうか? 粗末な着物を着た女たちが、庭にも犇めいている。
「こ……これは?」
あまりの光景に俺は絶句してしまう。そんな俺のところに、何やら豪華な着物に身を包んだ鬼たち数人がしずしずとやって来る。
「そこもとが、アガルタ王様であらしゃいますか?」
「はい、そうですが……」
「この度のこと、ほんまにおおきにどす。我はセッショと申す、帝様の側近くに仕える者。心から礼を言いますえ」
よく見ると、帝様に似ている。兄妹か何かだろうか。そんなことを思っていると、帝様がやってきた。
「おお、よく帰ってきてくれた。礼を申す、礼を申すぞよ」
「民衆の避難はほぼ完了しました。あとは……こちらの方々は?」
「ミーダイ国の貴族たちじゃ」
「あーなるほど。……しかし、こう言っては何ですが、皆さん帝様に似てらっしゃいますね」
「さもあろう。皆、マロの親類じゃによって」
「……なるほど」
聞けば、ミーダイ国の貴族は基本的に、帝様と血のつながりのある者たちで占められているのだという。しかも、彼の妃には、その貴族たちの子女から選ばれるために、どうしても血は濃くなる。そのために、集まった貴族たちの顔が皆一様に同じような顔立ちになっているのだ。中でも子供、女の子たちは、髪型が同じだったということもあるだろうが、顔立ちがオージンそっくりだった。
聞けば、彼らの移動はかなり大変だったらしい。御所を警護するイッカクを筆頭にしたオワラ衆が手分けをして貴族屋敷に向かい、人々を御所に案内したのだが、彼らは牛車に乗って避難しようとしたのだそうだ。さすがにそれでは日が暮れてしまう。さすがにそこは帝様が厳命を出して、御所への避難を最優先させたのだという。どうりで、この部屋の人々から言いようのない倦怠感を感じるわけだ。
そんな話をしながら、俺たちはこの貴族たちをアガルタに転移させる。そして、すぐに帝様たちの許に戻ってくる。彼はほぼ一瞬で数百の人々を転移させた俺たちの様子を見て、口をポカンと開けたまま固まってしまっていた。
「そ……そこもとらは、考えられぬことをする……」
「いや、かなりのMPを消費しますからね。こんなことは10年に一度あるかないかですよ」
「そ……そうかの」
「では帝様、皇后さまと共に、アガルタにご案内します。お二人はアガルタの迎賓館にご案内しますね。あと……オワラ衆も」
そこまで言うと、頭領のイッカクがどこからともなく姿を現した。
「イッカク、大儀であった」
「未完了にて」
「何? まだ誰ぞ残りおるのか?」
「御意」
イッカクはフッと息を吐き、ちょっと苛立ったような雰囲気を醸し出しながら、口を開く。
「クワンパック様、未だ、屋敷を動かれず」
帝様はゆっくりと天を仰いだ。




